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信頼関係②

翌日の金曜日。いつものように時間ぎりぎりに登校してきた七海は、後ろのドアから慌てて教室に入ると、ドアから一番近い席に座っている穂輔に「おはよう!」と声をかける。いつもなら「おー」とか「あー」位は返事をしてくれるのだが、今日は目が合うとすぐに逸らされてしまった。一言物申してやろうと七海は穂輔に一歩近づいたが、そのタイミングで前のドアから担任の岡田が入ってきたため、急いで自分の席へ向かった。 「一ノ瀬」 3限が終わり科学室から教室へ戻る道すがら、七海は穂輔に声をかけられた。 「なーに?」 「ちょっと付き合え」 「うん?いいよー?」 頭にクエスチョンマークを飛ばしながら、七海はいつもより少し早足で歩く穂輔のあとを追いかけた。 「ねー?どこ行くの??」 「‥‥」 「そっち屋上だよ?まだお昼休みじゃないよ?」 「‥‥」 「ほすけー?」 「あーーもう!うっせーな!!」 屋上へと続く階段の踊り場部分で足を止めた穂輔は、七海の方を振り返って大声をあげた。今のこの状況を全く理解できない七海は、穂輔の声に驚いて口を開いたまま目をパチパチとさせている。その様子に穂輔は小さく舌打ちをし、後ろ髪をガシガシと掻いた。 「1日考えたけど全っ然わかんねーから、もう直接聞くわ」 「??」 相変わらずはてなマークを飛ばしている七海にグッと顔を近づけると、穂輔は目を細めて七海を睨みつけながら言葉を吐き出した。 「お前、昨日あの教室で何やってた?」 一瞬心臓が止まったと思った。冷や汗が背中を伝い、血の気が引くのを感じる。けれど次の瞬間にはあり得ない速さで脈を打ち始めて (見られた見られた見られた見られた‥) その言葉が七海の頭の中でこだまする。 (どうして?あそこに人は来ないはず。‥いや、どうしてそんな風に思ったんだ?絶対なんて言い切れない‥だってここは学校だ。いつ人が来てもおかしくないじゃないか‥) 混乱した頭の中に、そんな事が今更になって浮かんできた。もう何もかも遅いのに。 相変わらず穂輔の視線は七海に厳しく向けられている。この状況で一体どんな言葉を返せばいいというのか。あそこにいたのは自分ではないと押し通せば、穂輔は信じてくれるだろうか。 「や、やだなぁもー!オレ昨日、用があって帰っ‥」 「テメー‥嘘ついたら二度と口聞かねぇからな!!」 やっとの思いで声に出した言葉はあまりにも稚拙で、穂輔の感情をさらに刺激してしまった。“二度と口聞かねぇ”‥大好きな友達にそんな風に言われたら、七海はもうこれ以上何も言えなくなる。カタカタと震える手で自分の腕をギュッと抱えると、七海は冷たい廊下に視線を落とした。 不穏な空気が2人の間に漂う。しばらくの沈黙ののち、先に口を開いたのは穂輔のほうだった。穂輔の質問一つひとつに、七海は言葉を選びながら慎重に答えていく。 「アイツ、誰?」 「‥先輩。3年生の」 「いつから?」 「‥体育祭の前」 「あんなこと無理やりさせられてんのか?」 七海は俯いたまま、ブンブンと首を振った。 「じゃあお前、アイツの事好きなのかよ」 その問いに、七海はピクッと体を震わせる。 好き?オレが先輩を?そんなはずない、だって先輩は先生の代わりだったじゃないか。 ‥だった?じゃあ今は何だ?代わりじゃなかったら、何でまだ先輩とこんな関係を続けてるんだ?何でオレは、先輩と離れたくないって思ってるんだ‥? 何で? 何で‥? 「‥わ、かんない‥」 「はぁ?!わかんないって何だよ」 「だって本当にわかんないんだもん!!」 そう大声を上げて叫んだ七海は、今にも泣き崩れそうに肩を震わせていた。 『好きじゃない』 そう言い切ることが何故できないのだろう。考えても考えても、頭の中は靄がかかったようにに不透明で、いくら探しても“ワカラナイ”以外何も見つけられない。それがすごく不安で、ただただ涙が込み上げてくる。その感情が溢れ出してしまうぎりぎりのところで、七海は必死に自分を抑えていた。 「俺は‥」 そう言い出して穂輔は言葉を詰まらせた。こんな七海の姿を見るのは初めてで一瞬声をかけるのを躊躇ってしまったのだが、小さく息を吐くとはっきりとした口調で七海に伝える。 「お前のことに口出しするつもりなんてねぇけど、ただ‥普段うるせー奴が急に大人しくなったり、アホみてーに笑ってる奴にそんな顔されたりするとすっげー気持ち悪ぃ。だから普通にできねーんだったら、もうそんな奴と会うなって思っただけ」 それは穂輔なりに友を思っての精一杯の言葉で、それが七海にも痛いほど伝わってきた。 予令が鳴り無言で階段を下りていく穂輔を、七海は慌てて追いかけ呼び止めた。振り返った穂輔と目が合うと、まだ気まずさが残っていて七海は目を逸しかけたが、真っ直ぐに穂輔の瞳をのぞき込む。どうしても伝えなければならない事があった。 「あのっ、この事‥」 依伊汰達には言わないで その言葉が音になる前に、穂輔の言葉が耳に入る。 「言うかよ、バーカ」 穂輔は七海の肩をポンと小突いて「行くぞ」と促すと、今度は少し早足で階段を下りていった。 「ありがと‥」 穂輔の後ろ姿を目で追いながら、七海はその優しさを噛みしめた。

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