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予感
それからも修作の存在は七海の中で大きくなる一方だった。けれどその想いとは逆に、会わない間にどんどん忘れていってしまう。修作はどんな表情で話をしてその声はどんな風だったのか、頭を撫でてくれた手はどのくらい大きくてどのくらい温かかったのか。思い出せなくなる恐怖と悲しさで、七海は目を閉じるといつも必死で修作の幻を追いかけていた。
それでも会う勇気はなくて、月日ばかりが過ぎていった。
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期末試験が終わり、冬休みまであと数日と迫った今学期最後の木曜日。七海の頭の中に、久しぶりにあの空き教室のことが浮かんだ。あの場所へ行かなくなってどれくらい経つだろう。遠い昔のことのように思えて、もうすっかりぼやけていた景色が、今日は何故だか鮮明に脳裏に浮かぶ。‥何となく、そこに修作がいるような気がした。
会うのはすごく怖い。久しぶりに会って、また拒絶されてしまったら、もう今度こそ本当に最後だ。それでも会いたい気持ちの方が強くて、気がつくと七海は修作と何度も過ごした空き教室の前に立っていた。
ドアにかかる手が震える。七海はギュっと目を瞑って小さく息を吐くと、再び目を開けてドアのガラス窓から恐る恐る教室の中を覗った。
「修作‥先輩?」
窓越しに見覚えのあるリュックサックが目に入り思わずそう呟くと、何だか嫌な胸騒ぎがして、七海は慌てて教室のドアを開けた。
カーテンの締め切られた教室はいつになく暗く、恐怖さえ感じる。無造作に置かれた‥というより投げ捨てられたようなリュックに近づいて確認すると、やはり修作のものに間違いなく、周りを見回すと窓際に置かれた机の影に気配を感じて、七海はゆっくりと近づいていく。
「っ‥先輩?!」
七海の目に入ったのは、真っ白い顔で床に倒れている修作の姿だった。
もう何度名前を呼んだだろうか。ピクリとも動かず一向に目を開けない修作を前に、七海は
泣きそうに表情を歪める。このまま目を覚まさなかったらどうしよう。会いたかった人にやっと会えたのに、こんなのはあんまりだ。パニックで涙が零れ落ちそうになったその時だった。
「‥ん‥‥」
修作の瞼が微かに震え、小さく呻く声が聞こえる。ゆっくりと目が開かれ、久しぶりに見た紫色の瞳に七海は心の底から安堵のため息を漏らした。
「よかった生きてた~もぉ~‥‥」
力いっぱい叩いているつもりだったが、力が入らずパシパシと軽い音が辺りに響く。徐々に意識のはっきりしてきた修作は、少し驚いたような顔で七海を見上げ、ポツリと呟いた。
「‥‥寝てた」
「は?!寝てたんじゃないでしょ倒れてたんだよ‥って何その顔色!青いってか何かもうみどりいんだけど!!」
七海の言う通り、修作の顔色はとても悪い。目の下の隈も目立ち、最後に会った時と比べてだいぶやつれているように思える。思わず大声になる七海に修作は「うるさい‥‥」 と眉をひそめ、それに気づいた七海は両手で口を塞いで慌てて謝った。
久しぶりに修作に会えて嬉しくて、話したいことは山ほどあるはずなのに‥こういう時に限ってうまく言葉が出でこない。
「先輩‥‥」
「帰る」
七海がやっとの思いで名前を呼ぶと、修作は少し慌てたようにリュックを掴み取って立ち上がる。が、すぐに ふらついて窓のサッシにもたれ掛かってしまった。
「ふらふらじゃん!ちょっと休んでった方がいいって」
「‥‥‥」
修作は言葉を返す余裕もなく崩れるようにその場にしゃがみ込むと、七海から目を逸らして俯いてしまう。
「先輩、勉強大変なの?どっか調子悪い…‥?」
相変わらず体調は悪そうで、何も話さない修作に七海は心配そうに声をかける。手を伸ばして触れた背中はとても弱々しくて、躊躇いがちにさすると小さく震えた。
「‥‥‥っ」
「先輩?」
「お前のせいだよ‥‥」
「え‥‥」
「お前のせいで‥‥っ!お前のせいで全然寝らんないんだよ!!どうしても‥っ。“先生”って奴のこと想像して、夢まで見て‥っ!頭ん中じゃなんにも出来なくて‥っ!一ノ瀬のこと振り向かせたいって思ったって!!ヒマつぶしの俺にはどうにも出来ねえし!!!」
「‥せ、」
「お前知らないだろうけど、俺お前のケータイ全部着拒したんだよ。連絡なんて来るわけないのにさ。ホントもう‥‥っあほらしいったらねえよ!考えたくなくて勉強ばっかしてんのに全然成績上がんねーしもう‥‥っ。もういやだ‥‥‥っ」
知らなかった。修作がこんなにも自分のことを想い、悩み、傷ついていたなんて。修作の言葉を聞いて、あの時何であんなに怒ったのか、何であんなに泣いたのかやっと理解した。自分が期待していた僅かな可能性が確信に変わり、七海は胸の高鳴りを否が応でも感じる。しかしそれ以上に、自分の軽率な行動や言葉で修作をこんなになるまで追い詰めてしまった事がとても辛くて、心臓が抉られるように痛かった。
「‥知ってるよ。着拒もブロックも‥‥。知ってるに決まってんじゃん‥‥」
「‥‥‥」
「先輩ごめんね、俺のせいで‥‥」
「‥‥‥」
全てはあの日から‥オレンジ色に染まった放課後の教室で、初めて身体に触れた日から始まった。好きだった人の代わりが欲しくて“ヒマつぶし”なんて嘘をついて誘って、いいひとなのにつけ込んで心の隙間を埋めるために何度も何度も利用した。せっかく友達になろうと言ってくれたのに、それじゃあ満足できなくて拒否して、ズルズルと関係を続けて。好きだと気付いてからも一人で勝手に嫉妬して、怒らせて泣かせた。‥結局、傷つける事しかしていない。
きっと自分と出会わなければ、修作はこんな辛い思いをする事はなかっただろう。友達と普通に笑って過ごして、受験に悩む事があっても、修作ならちゃんと乗り越えられたはず。倒れるまで悩ませて、苦しませてしまったのは他の誰でもない“自分”だ。
ごめんね
嘘つきで
傷つけてばかりで
泣かせてばかりで
好きになってしまって
たくさんたくさんごめんなさい
感情の糸が切れたように泣きじゃくる修作の背中をさすりながら、七海は心の中でただ謝ることしかできなかった。
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