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おいしーね
しばらくして修作の呼吸が整ったのを確認した七海は、背中をさする手を止めて修作にいくつか問いかけた。
「ねえ、オレの話はあとでいいからさ。先輩体調悪いんでしょ?電車で帰れる?誰か先生に送ってもらう?」
「‥‥大丈夫。ただの貧血だし」
「貧血にただもクソもないよ!ご飯は?ちゃんと食べてるの?」
修作は素直に首を横に振る。ただの貧血と言うが、こんな状況ではとても一人で帰らせる訳にはいかない‥乱暴に涙を拭う修作の姿を見て七海はそう感じた。
「‥あっ、」
ふと七海の頭に浮かんだのは、いつか修作の家に夕飯を食べに行った時の出来事。皆と笑顔で食卓を囲んだ日のことを、七海は今も鮮明に覚えていた。きっと自分以上に、修作の家族は修作の事を心配しているに違いない。
「ねえねえオレ先輩んちのご飯また食べたいな!ね、今日行ってもいい?」
「は?でも‥‥」
「うち今日親いなくて、コンビニで弁当買って帰るつもりだったんだ。ダメ?おばあちゃんにも会いたいし!」
もしかしたら、自分が一緒にいれば修作も少しは食事をとってくれるのではないか、七海はそう思って修作にお願いをしてみる。修作の家へ行きたいというのは、七海がずっとずっと望んでいたことでもあったから。
返事を決めかねている修作のリュックを拾い上げて背負うと、七海は「決まり!帰ろー!」と言って修作の手を引いた。
「あ、ちょっと待ってて!忘れ物した!」
空き教室を出てしばらく歩いたところで、七海はそう言って修作の隣から離れる。もちろん、忘れ物なんてしていない。廊下を曲がったところで足を止めると、七海は食事の支度をしているであろう母に急いでメールを送った。
久しぶりに乗った反対側の電車。七海はすっかり陽の落ちた車窓をぼんやりと眺める。修作の代わりに背負ったリュックサックはずっしりと重く、電車が揺れるたびによろけてしまうほど。きっと難しい参考書がたくさん入っているのだろう。修作の方へ目線をやると、ドアに寄りかかるようにして車窓から遠くを見つめていた。痛々しいほどやつれているが、紫色の瞳は以前と変わらずそこにあって、その横顔を見て、七海はまたこうして修作と一緒にいられることを素直に幸せだと思ったし、改めて自分の気持ちを確認した。
電車が駅につくまでの間、七海は背中に感じるリュックの重みを噛みしめていた。
「こんばんはー!」
「えっ、あ!七海ちゃん!」
「お久しぶりでーす!また来ちゃいました」
修作の家のドアを開けて七海が明るい声で挨拶をすると、母の三和子が驚きつつも満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「わ~!来てくれて嬉しい!も~あんたもメールしてくれればよかったのに‥‥」
手招きをして七海に中に入るよう促すと、三和子は修作の方へ目線を向けた。その表情から心配していることが七海にも痛いほど伝わってくる。
「‥‥今日は食べれそう?雑炊でもしようか、すぐ出来るけど」
「いい。食べれる、‥‥多分」
「そう‥?あ、七海ちゃんには秋刀魚の塩焼きあるからね!旬だから脂のってて美味しいよ~!」
「やったー!あ、おばあちゃんは?」
「今呼んでくるね。食卓のとこ座ってて」
「はーい!先輩行こ~!」
「‥‥‥」
修作の腕を引いて、七海は居間へと進んでいく。「早く早く!」とグイグイ腕を引く姿を見ると、もはやどちらの家だか分からない位だ。
「確かここに‥やっぱり!」
以前来た時の記憶を辿り、七海は床の間の小さな押し入れを開ける。山積みされた座布団を見つけると、それをごっそり取り出して座卓の周りに手際よく並べていった。
「あれあれホントだ、七海ちゃんじゃないの!いらっしゃい~」
「おばーちゃん久しぶり!来たよ~」
ちょうど座布団を並べ終わったタイミングで、修作の祖母が居間にやってきた。以前と変わらないしわくちゃの笑顔がとても嬉しくて、七海は祖母の顔を見るなり駆け寄り、久しぶりの再会に思わずハイタッチをする。
「あれー七海ちゃん、こんなに座布団出して。今日は宴会かい?」
「えっ?あ、ホントだ!超いっぱい!」
居間にびっしり敷かれた座布団を見て七海は照れ笑いを浮かべると、人数分だけ残してそれを慌てて押し入れに戻す。その姿がなんだかおかしくて、修作の表情も少しだけ和らいだ。
程なくして父と祖父も居間へやってきて、七海は深々とお辞儀をする。次々とテーブルに運ばれてくる色とりどりの美味しそうな料理を前に、七海の期待は膨らみ、そして同時に“修作はちゃんと食べてくれるのだろうか”と不安になる。7時のニュース番組をぼんやりと眺めている修作の横顔を、七海は無言で見つめていた。
「わー!今日も美味しそう!」
「七海ちゃん、いっぱい食べてね」
秋刀魚の塩焼き、手羽元の煮込み、蓮根と蒟蒻のきんぴら‥他にもたくさんの料理がテーブルに並んでいるが、ホカホカと湯気が上がった真っ白いご飯茶碗が1番七海の目を引いた。
「はい!いただきます!」
七海が手を合わせて元気よくそう言うと、修作もつられて手を合わせる。何も言わずにただ目の前にある食事をゆっくり口へと運んでいき、何かを考え込むように一口ひとくち噛みしめている修作の姿を、修作の家族が、そして七海が見守っていた。
「‥‥‥っ」
何口目だろうか。真っ白いご飯を口に含むとその手が止まり、修作は小さく嗚咽を漏らした。必死に堪えようとすると、涙は余計に溢れてくる。
「‥‥先輩、ごはんおいしーね?」
「‥‥‥‥っ、」
肩を震わせてポロポロと大粒の涙をこぼす修作の背中を、七海が先程と同じように優しくさすってそう声をかけると、修作は何度も何度も頷いた。‥もうそれだけで十分。手のひらから、そして流した涙から痛いほど伝わってくる修作の思いに、七海も目の奥が熱くなった。
「‥‥も、もお~!やあねえこの子ったら‥。高3にもなって何泣いてんだか‥!ごめんねえ七海ちゃん頼りない先輩で」
涙目でそう話す三和子に、七海はブンブンと首を横に振って応えた。
三和子に料理を食べるよう促され、七海が涙を拭ってもう一度大きな声でいただきますを言うと、その笑顔につられて父も祖父母も安堵の表情を浮かべる。この場にいる誰もが修作のことを心配し気にかけていたから、ようやくその緊張から開放され、何とも言えない柔らかな空気に包まれた。
「先輩、今日のおかずでどれが1番好き?」
「んー‥‥きんぴら。‥一ノ瀬は?」
「オレね、ご飯!先輩んちのご飯が1番好き!」
そう言って茶碗のご飯をたいらげると、七海は本日3回目のおかわりをした。
「おかずじゃねーじゃん」
そう呟く修作の顔には、自然と笑顔が戻っていた。
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