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第2話

所長室を出て天海に声をかけた後、自席に戻ると班のメンバーは相変わらず半分くらいは外に出ていて揃っていなかった。柴田がいつか『お前の班のメンバーはどいつもこいつも勝手に仕事をする奴』と言っていたが、まさしくそうで、堂嶋は今でこそリーダーという立場にも慣れたけれど、未だに他の班のリーダーと自分は重みづけが全然違うと思っているし、例えば他の所員相手になら、自分はリーダーなんて管理職をやっていけないと考えることすらある。彼ら相手だから成り立っているというところがある。それが所員に甘えながら、なんとか今までやってきた堂嶋の見解であり、おそらく真中や柴田も同じように思っているのだろうと、堂嶋は勝手に考えている。別にそれは卑下しているわけでも何でもなく、事実がそうであるということだけで。 「堂嶋さん」 ぼんやりと考えているとふと呼ばれて、慌てて顔を上げると、そこには藤本が立っていた。てっきり班のメンバーだと思っていたが、藤本は堂嶋の班のメンバーではなかった。性格的にあまり真中や柴田が怖くないらしい彼女は、平の所員ながら管理職とよく雑談をしているイメージがある。 「どうしたの、志麻ちゃん」 「いや、たいしたことじゃないんですけど、堂嶋さん今いいですか」 「あ、うん。いいよ、なに?」 彼女はやや疲れたような顔をして、といっても彼女が疲れた顔をしているのはほとんどマストみたいなことで、今更気にすることでもなかったが、堂嶋に向かってにこっと笑った。そうして少しだけ声を潜めるみたいにしたのと、堂嶋の方に顔を近づけたのがほとんど一緒だった。 「最近ケーキ会してないじゃないですか、そろそろしません?」 「あ、そういや、してないね。しようかー。なんだ、びっくりした、俺、仕事の話かと思った」 藤本が声を潜めたことで、何か重大なことでも言われるのではと構えていた堂嶋だったが、藤本が言ったことがそれだったので、堂嶋はふっと肩の力が抜けて、安心したみたいに息を漏らすと椅子の背もたれに凭れる。それを見ながら藤本は、あははと笑い声を上げた。 「仕事の話でも、堂嶋さんがそんな構える必要ないでしょ、私相手に」 「そんなことないよー、ほんとでも、最近仕事バタバタしてたから息抜きにしよう」 言いながら堂嶋は立ち上がって、デスクの端に置かれたスケジュール帳を手に取り、それを捲った。 「志麻ちゃんいつがいいの?俺、割と週末空いてるから合わせるよ」 「あー、じゃあ、また皆の都合聞いて、日程調整しますね」 「ありがとう」 「私行きたいお店があるんです。それもメールして良いですか」 「あ、うん。どこだろう。志麻ちゃんの紹介してくれるところ、どこも美味しいから俺好きだな」 「まだ行ったことないんですけどね。あ、そうだ、堂嶋さん」 あははと笑いながら藤本が、言葉を切る。ケーキ会は甘い物好きの藤本と堂嶋がふたりで立ち上げた、激務の息抜きも兼ねて、週末にお互いの好きなスイーツを紹介し合ったり、気になっているスイーツ巡りをしたりするというだけの会だったが、女子所員が増えるにつれて、噂も広まり、なんだか規模も大きくなってきている。堂嶋は立ち上げメンバーだから除外されているが、いつの間にか男子禁制の女子会になっており、日程調整やお店の下調べなどは管理職で忙しい堂嶋の代わりに、藤本がやってくれている。これも堂嶋がリーダーになる前はもう少し頻繁に開いていたのに、なんだか寂しいなと堂嶋は少しだけ思った。 「なに?」 「今度、西利(ニシリ)も来たいって言ってるんですが、いいですか」 「西利ちゃん?いいよ、全然」 「ありがとうございます、なんか、西利、堂嶋さんに相談したいことがあるって言ってて」 西利というのは藤本と同じ波多野班の所員で、まだ若い女の子だった。背が低くて色が白くて、持っているものとか来ている服とかが女の子らしくてかわいいなぁという印象くらいしか、残念ながら堂嶋にはなかった。鹿野目が異動してきた時にも思ったが、自分の仕事と班のことで精一杯で、他の班がどういう動きをしているかとか、どういう人たちがいるかなど、堂嶋は一緒のスペースでほとんど毎日顔を突き合わせて仕事をしながら、ほとんど知らない。真中や柴田はそれを全部把握しているのだろうから、ますますキャパの小さい堂嶋にはついて行けない世界であると、自分で思ってしまう。 「え?相談?なんだろ」 「何でしょうね?」 「俺でも西利ちゃんとほとんど喋ったことないんだけど」 「ですよね、あの子管理職に興味でもあるのかな」 「えー、そう言う事は俺より波多野さんに相談してよぉ」 そんな風に弱気なことを言って、あからさまに困った顔をする堂嶋を見ながら、藤本はまた疲れた目元とは関係なく、快活に笑った。 「西利ちゃんも来んの?じゃあ俺も行きたいですぅ」 その藤本の肩を後ろから掴んで、ひらりと顔を覗かせたのは、誰がいつそう言い出したのか分からないが、堂嶋班の賑やかし担当の佐竹だった。藤本は佐竹を見るなり眉間に皺を寄せて、掴まれた肩を酷くぞんざいに振り払った。佐竹が中途採用なので、ふたりの関係は藤本の方が一応真中デザインでは先輩なのだが、藤本と同期の徳井にはタメ口で喋るみたいに、佐竹は藤本相手にもいつもタメ口だった。そして藤本はそれには別に何とも思っていないようだったが、余り佐竹のことは好きではないみたいで、鈍い堂嶋が見て分かるくらいには、今日だけの話だけではなく、いつも扱いがぞんざいであった。 「タケさんは男だから参加できません」 「いや、そういうけどさぁ、堂嶋さんだって男じゃーん、俺が行ってもいいでしょ、ね」 「堂嶋さんは立ち上げメンバーだからいいの、大体タケさんこの間西利にセクハラしてたでしょ、私見てたんだけど」 「してねぇって、セクハラなんて。上のもの取ってくれって言われたから、ちょっとおっぱい触らしてって言っただけで全然セクハラじゃないし」 「セクハラだろう!佐竹くん!君、女の子相手に何てこと言うんだ!」 「いや、堂嶋さん怒んないでくださいよ、ジョークじゃないっすか。それを西利が真に受けるから、俺が責められる羽目に・・・」 「当然だ!何言ってるんだ、君は!」 「じゃあ、堂嶋さん、私これで。またメールしますんで」 面倒臭くなってきた藤本は、顔を赤くして怒る堂嶋に対してひらひらと手を振った。佐竹のことは腹が立つにしても、堂嶋は何でも素直に受け取りすぎるというか、まぁきっとそれが堂嶋の良いところでもあり、悪いところでもあるのだろうが。特に佐竹みたいなのは、構えば構うほど喜ぶに決まっているので、放っておいた方が良いに決まっていた。藤本が半身になると、堂嶋はそれに今気づいたみたいに、佐竹に向けていた目を藤本に戻した。佐竹も面白がった顔をしたまま振り返ってくる。 「あ、志麻ちゃんごめんね、メール待ってるから」 「オイ、志麻子ぉ、俺も連れてけって」 懲りた様子のない佐竹がへらへら笑いながらまだそんなことを言うのを無視して、堂嶋だけに手を振ると、堂嶋は眉尻を下げた情けない顔をして藤本に手を振り返した。堂嶋は良くそんな表情をしている。藤本は元々、堂嶋と同じ班でもなんでもなかったけれど、堂嶋のあの不思議な優しい雰囲気とか、勿論同じ趣味を共有できるというところも含めて、人間的に好きだなと思っていた。

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