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第3話

その日、堂嶋がいつものように残業をこなして家に戻ると、そこに当然みたいにオレンジの明かりがついていて、ほっとした。やっぱり誰かが待っている家に帰ってくることができるというのは良いことだなと、思いながら靴を脱ぐ。今日は藤本とケーキ会の話もしたし、週末に楽しみもできたので、今日もいつも通りの激務には違いなかったが、気持ちは何故かいつもよりも少しだけ清々しかった。リビングに続く扉を開けると、テレビがついていて、その前には鹿野目が座っていた。音に反応して、振り返って堂嶋の帰宅を確認した鹿野目は、いつもの無表情で音もなくすっと立ち上がる。 「お帰りなさい、悟さん」 「ただいま、鹿野くん」 鹿野目ににこりと笑ってそう言うと、鹿野目は黙って堂嶋が半分脱いだコートを引っ張り、それを脱がせるといそいそとハンガーにかけはじめた。鹿野目は多分少し几帳面なところがあって、堂嶋がコートだったりジャケットだったりを脱ぎ散らかしたりすることを嫌がり、口では何も言わないで、そうして自分で勝手にハンガーにかけたりする。そういえば咲と一緒に住んでいた時は、咲が同じようにしてくれていた気がすると、余り覚えていないことに罪悪感を覚えつつ、堂嶋はその広い背中を眺める。 「今日、はやく上がれたのでご飯作りました、鍋ですけど」 「わー、ありがとう。鍋いいじゃん、冬は鍋に限るよー」 はやく上がれたと鹿野目が言ったけれど、鹿野目がいつ事務所を出たのか、自分のことで手一杯だった堂嶋は知らなかった。鹿野目はあまり料理をするひとではなかったようだが、堂嶋もしないので、そうするとふたりでコンビニ飯ばかりになることを危惧したらしく、何となく時間がある時はやろうとしてくれているようだった。所員であるからと言って、別に忙しくないわけではない鹿野目に、こんなことをさせていていいのか分からないが、温かいご飯が食べられるので、堂嶋は悪いと思いながら黙っている。 「悟さん」 「ん?」 「今日、藤本さんが来てましたよね」 「え、あ」 堂嶋が帰ってくるまで鍋には手を付けずに、待っていたらしい鹿野目と鍋を挟んで向かい合って座ると、鹿野目はぽつりとそんなことを言い始めた。そういえば、その時鹿野目も傍にいたのか。佐竹が煩くて良く覚えていない、堂嶋は視野の狭い自分のことをそうやって顧みながら、いたのかと聞くとまた拗ねるに決まっていたから、知っているふりをしようと決めた。 「あ、うん。ケーキ会のことでさ」 「ケーキ会って」 「あーうん、俺も志麻ちゃんもケーキとか甘いものが好きでさ。ほら、でも俺男だからそういう店にひとりで入るのもあれでしょ。だから志麻ちゃんとふたりでよく遊びに行ってたんだけど、それがちょっと前から他の子も行きたいって連れてくようになってさ・・・」 「・・・ふーん」 じっと堂嶋を見ながら、鹿野目は低い声でそう言った。何か良くない言い方をしたかなあと、堂嶋はそれを見ながら反省する。鹿野目は何か違うことを堂嶋に訴えようとしている、しかしそれが一体何なのか堂嶋には分からない。こういう噛み合わなさはふたりの間でよくあったが、堂嶋はいつまで経ってもそれに慣れることが出来なかった。そして真意を掴むことも難しかった。 「それ、俺も行って良いですか」 「・・・鹿野くん、が?」 「駄目ですか」 鹿野目はその時デスクに座って、一体どこまで話を聞いていたのだろうかと思った。佐竹が行きたいと煩く言っていたのを、藤本が断っていたのを見ていただろうか、見ていて敢えてこんなことを自分に言ってきているのだろうかと思った。相変わらず、鹿野目の思考回路はどうなっているのかよく分からない。堂嶋は鹿野目の揺らがない目を見ながら、心底困っていた。 「鹿野くん、は、ちょっと無理だと思う・・・ケーキ会は男子禁制って志麻ちゃんが決めたし・・・」 「ふーん、悟さんは女の子だったんですか、知らなかったです」 「いや、俺はね、俺は立ち上げメンバーだからいいんだって、まぁ立ち上げっていうか、そんなたいしたものじゃないんだけど、さ」 「・・・ふーん」 低く相槌を打つ鹿野目は、何か違うことを考えているに決まっていた。拗ねているけれど、何故拗ねているのかよく分からない。本当の意味合いで、ケーキ会に参加したいわけではないだろう。堂嶋のことを気遣って、鹿野目は時々ケーキ屋でケーキを買ってくることはあるけれど、その時は向かい合ってふたりでケーキを食べたりすることはあるけれど、基本的に甘いものは多分あんまり好きな方ではないはずだというのが、直接尋ねたことはないものの、鹿野目に対する堂嶋の見解であった。それに佐竹みたいな不埒な理由でもないはずだ。鹿野目はそれとは懸け離れたところに立っている。 「鹿野くん、何か怒ってる?」 「・・・怒ってないです」 「そう?・・・でもなんか、俺に言いたいことがある?」 「・・・―――」 困った堂嶋が、小細工なしに、推測することを諦めて、そうやって直接確かめると、鹿野目は不意に黙った。何か自分でも、後ろめたいというか疾しいところでもあるのかと思ったけれど、鹿野目がケーキ会のことでそんな気持ちを育てるはずがなかった。 「・・・悟さん、週末は用事がないって、言ってました」 「あ」 なにか白状するみたいに鹿野目が呟いたそれに、堂嶋は確かに覚えがあった。成る程それで拗ねているのかと思ったら、やっぱり鹿野目の思考は理解できないし、多分これからもそれを推測することなど不可能に思えたけれど、堂嶋はその時、鹿野目のそれがそんなに気分の悪いものではなかった。 「それで拗ねてるのか、鹿野くん」 「拗ねてないです、別に」 「拗ねてるだろう、君はほんとに、かわいい」 「・・・―――」 そう言って笑うと、鹿野目は吃驚したみたいに切れ長の目を丸くしたので、堂嶋はまた可笑しくなって今度は声を上げて笑ってしまった。 「悟さんは俺のことをからかってばかりいる」 「からかってないよ。本当に君はかわいい。別に毎週末志麻ちゃんと出かけるわけじゃないから、いいだろう」 「・・・別にいいです、けど」 「でも、ごめんね。鹿野くんのことを忘れてたとか軽んじてたとか、そういうわけじゃないんだ。他の日は仕事じゃなきゃ家にいるし、鹿野くんが行きたいところがあるなら行こう、ね」 「・・・行きたいところなんて別にないです」 鹿野目はまだ納得していないような目をして、小さく呟いた。 「俺は悟さんと一緒にいたいだけ」

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