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第5話

ややあって堂嶋の目の前に、藤本が勧めたアップルパイが運ばれてきたのは良かったのだが、堂嶋の頭の中は最早スイーツのことなど何処かに消し飛び、今は目の前でピンク色の頬で俯く西利の顔しか見えない状態だった。西利の言葉と藤本の言葉を上手に繋ぎ合わせて考えると、西利が鹿野目に対して好意を抱くことは、別段そんな突拍子もないことではなく、実に自然な流れにも思えたけれど、鹿野目のことをおそらく誰よりもよく知っている堂嶋にとってみれば、それは鹿野目とはまるで無関係のところで紡がれた話としか耳に入って来ないから困っている。しかしこの恋する乙女相手に鹿野目はゲイだから、その恋は無駄であると悪魔のように囁くことも出来ずに、堂嶋はただ罪悪感でじりじりと体の奥が熱いだけだった。 「鹿野くん、前は班が一緒だったから、そうやってよく話をしていたんですけど、堂嶋さんの班に移っちゃってから、あんまり話をすることがなくなっちゃって」 「・・・あー、そういや俺、ふたりが話してるところとか見たことないな」 「なんかこのまんまは嫌だなって思ってるんですけど、それでもういっそのこと告白しちゃおうかなって!」 「え!」 話が急に飛んだような気がして、堂嶋は思わず声を上げていた。声を上げてから、自分がこんなに吃驚するのはもしかしたらおかしいのかもしれないと思ったけれど、もう普通のリアクションがどんなものなのか、堂嶋には考えることが出来なかった。 「いや、話が飛び過ぎだって、西利」 その時、藤本が呆れたみたいにそう言って、やっぱりそうだよなと堂嶋はそっと胸を撫で下ろした。もうここで頼りにできるものが藤本しかなかった。 「えー、そうですか。でもなんかほっといたら彼女出来ちゃいそうじゃないですかー、いるかもしれないですけど」 「いないってあんな変な奴」 「変じゃないってー、もう志麻さんは全然鹿野くんのこと分かってないー」 藤本のことを握った手でぽかぽかと叩く西利の顔は笑っているが、おそらく言っていることは本気なんだろうなと思うと、堂嶋はそれに同意することも否定することも出来なかった。例え堂嶋の同意や否定が、彼女にとって無意味であっても。 「いやでも真面目な話、いきなり告白とか引きますよね」 「えー・・・そうなんですか?堂嶋さん」 「いや、それ俺に聞かれても・・・まぁでもびっくりはするかな」 「まずデートとかしてみれば?ふたりでどっか行ったりとか、したことないんでしょ」 若干面倒臭そうに藤本が、それでも一応後輩の為に考えて、そう提案するのを聞きながら、堂嶋はまるで他人事みたいに成る程と感心していた。自分でも何が成る程なんだかよく分からなかったけれど。それにしても西利は自分に相談せずに、藤本に相談していて十分成り立っているような気がするから、どうせなら本当はこんなこと知りたくはなかったと思いながら、堂嶋はようやく自分のアップルパイにフォークを入れた。本当ならこんな妙な話と現実に板挟みにされる予定ではなかった。これを楽しみにしていただけだったのに。考えながら顔を上げると、西利は相変わらずピンク色の頬を隠そうともせずに、そこで真剣な顔をしている。 「デートか・・・さ、誘うの勇気いります、よね」 「・・・告白しようとしてるやつが言うセリフじゃないでしょ、それ」 「でもデートって言ったら一日中一緒に居るわけでしょう?何話せばいいんですかね?鹿野くんって何話すんだろう・・・」 「アンタ付き合いたいんだよね?鹿野と」 呆れたようにまた藤本が言う。藤本の言い分はもっともだったが、堂嶋は何故かその時、西利のほうに共感してしまっていた。自分だって毎日鹿野目とは職場でも家でも顔を合わせて話をしているが、一体何を話しているのかと聞かれたら、きっと答えることが出来ない。職場では主に仕事の話をしているが、家では一体何の話をしているだろうと、堂嶋は考えてみたが、それはもうとりとめのない話としか言いようがない。一緒に住んでいたらもしかしたらそんなものなのかもしれないが、そういえば自分は鹿野目のことは余りよく知らないなと、堂嶋は思った。それこそ何が好きなのかとか、そういうことを。今日出てくる前に、鹿野目はやっぱり少しだけ不服そうな顔をしていた。その時堂嶋はこの大男をこの部屋の中にひとりで置いておくのが、酷く悪いことのように思えて、そんなことはないはずなのに、その時自分は鹿野目に対して、とても酷いことをしているみたいな気持ちになって、きつく抱きしめてやりたくなった。それくらい鹿野目は簡単にいつもの無表情のまま、堂嶋相手に見捨てられたみたいな悲壮感を漂わせることが出来た。不思議なくらい。 「えー・・・じゃあちょっと誘ってみようかな、堂嶋さんどう思います?」 「・・・んー、まぁいきなり告白するよりは・・・いいんじゃない」 堂嶋はそうとしか答えられなくて、表面的にはにこやかにしながら、内側では冷や汗をかいていた。その焦燥が二人に伝わるのではないかと思って。 「やっぱりそうですかぁ、ねぇ志麻さん、デートってどこ行ったらいいと思います?」 「知らん、鹿野に任せたら」 「私から誘ってプラン丸投げって酷くないですか、それ」 「じゃあ、西利が過去にデートして良かったプランで行けば」 「何かそれはそれで酷くないですか、過去の男を持ち出すのは良くないですよ」 ふたりの話を聞きながら、堂嶋は苦笑いをして考えていた。鹿野目はこの女の子を絵にかいたような西利とデートをするのだろうか、全くもって想像が出来ないが。亜子の話からしか堂嶋には鹿野目の過去は想像できなかったが、鹿野目は自分がゲイだと自覚した後、女の子と付き合う努力を一応はしてみたことがあるらしい。どうも徒労に終わってしまったようだが。西利がもしも付き合ってくれと言おうものなら、きっと鹿野目はにべもなくこの女の子のことをふることにはなるのだろうが、デートしてくださいなら、また話も変わってくるのかもしれないと、考える自分は一体誰の味方がしたいのか分からない。堂嶋は目の前のアップルパイにフォークを入れながら、それにしても自分は鹿野目が若くて可愛い女の子に迫られようとしているのに、焦るどころかまるで彼女をけしかけるみたいな、彼女に加担するみたいなやり口を選んでいるのはどうしてなのだろうと思った。それは鹿野目がゲイで、まるで西利に勝ち目がないことを自分だけは知っているからなのだろうか。勝ち目、勝ち目とは何のことだろう。一体誰相手に何を持って勝ち目と思ったのだろう。 (鹿野くんは俺以外の人のことは好きにならない、と思ってる?) (だとしたらそれは) (ひどい自惚れだ) 考えながら堂嶋は恥ずかしくなって、顔が熱くなった。鹿野目には散々色んなことを言われていて、言われ過ぎて何だかそういう言葉に意味がなくなるのではないかと、堂嶋が危惧するくらい、鹿野目はいつもの無表情でそれを言葉にすることを全く躊躇する素振りがない。鹿野目にとっては躊躇する必要なんてないのだろうが、堂嶋はそれを聞きながら時々とてもどきどきすることがあるしハラハラすることもある。その鹿野目が堂嶋ではない誰かを捕まえて、それが西利みたいな女の子の見本みたいな子で、堂嶋に呟いたのと同じように嘘みたいな愛の言葉を呟くことなんて、堂嶋にはとても想像することが出来ない。そんな鹿野目のことを、逆立ちしたって堂嶋には思い浮かべることなんてできやしないのだ。 「堂嶋さんどうしたんですか」 「え、あ。ごめん、ぼーっとしちゃって」 「堂嶋さん、顔赤いですよ、大丈夫ですか?熱あるんじゃ・・・」 西利が慌てたみたいに堂嶋の額に手を伸ばして、あ、と思った瞬間にその冷えた手が、堂嶋の額に簡単に触れた。その時堂嶋は強く、彼女のそれが鹿野目の体のどこかに、どこかということはこの際どうでもよくて、どこかに、触れることを強く、それはもう強く拒絶したい気持ちが溢れてくることに気付いてしまった。

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