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第7話

午前中の仕事が終わって、昼休みを知らせる音楽が事務所内になりだす頃、堂嶋は朝から使いっ放しだったPCの電源を一度切って立ち上がった。一応昼休みの時間は決められており、その一時間は仕事をしないで各々食事を取ったりリラックスする時間だと決められているのだが、音楽が鳴っているにも拘らず、デスクにかじりついたまま仕事をしている所員も多い。堂嶋も今抱えている仕事の進捗状況が余り芳しくないことは分かっていたから、少しでも前に進めておいたほうが良いのだろうと分かっているけれど、昼休みの時間を削るくらいなら残業するほうがマシだと思っているので、必然的に帰宅時間が遅くなる、いつものことだった。堂嶋の班の島からふたつほど奥、所長室の隣に据えられたひとつだけの机の前には柴田が座っており、眉間に皺を寄せて何かの資料を捲っている。今日は不機嫌そうで加えて顔色も悪い。 「堂嶋さん」 ふと名前を呼ばれて、堂嶋は遠くの柴田を見るのを止めてすっと首を戻した。堂嶋のデスクの前に藤本が立っている。手には財布だけを持っていた。 「あ、志麻ちゃん」 「ごはん、行きません?」 「うん、いいよ、行こう」 勿論、堂嶋は藤本と仲が良い方だったので、時間が合えばランチに出かけたりすることもあったが、そう言えば堂嶋がリーダーに昇格した後、藤本がそうして誘ってくれることは少なくなった。もしかしたら昇格して仕事が忙しくなったことを、藤本は藤本なりに気遣ってくれているのかもしれないけれど。考えながら堂嶋は鞄を取出し、デスクの上に置きっ放しにしていた携帯電話を掴んでポケットの中に入れた。柴田程ではないけれど今日も疲れたような顔をした藤本は、それを見ながらさっと半身になる。 事務所の近くのカフェに入って、堂嶋は余り深く考えずにランチセットを注文した。柴田とランチに出かけると店は指定されるし、柴田は堂嶋の頼むものに対して絶対に眉を顰める。潜めるだけで何も言わないけれど、きっとあれはそんなもの良く食べられるなというサインなのだ。柴田と食事をするといつもそうだから、味わってゆっくり食べることも出来ないし、なんだかいつも急かされている気がするけれど、堂嶋はそれでも時々柴田とふたりでランチに出かけている。自分でも不思議と思うが。 「堂嶋さん、西利の事なんですけど」 「・・・あぁ、西利ちゃん」 その時は柴田ではなく、堂嶋の向かいには藤本が座っていて、疲れた顔をしてふうと溜め息を吐いた。ケーキ会から一週間ほど経ったけれど、忙しくしている堂嶋は視野が一層狭くて、仕事以外のことを事務所の中で考えることが出来ない。そういえば、鹿野目に話しかけに来ていたりするのだろうかと思ったけれど、堂嶋はその様子を一度も見ていないし、来ているのだとしても気付かない自信すらあった。 「なんかね、デートに誘うことに決めたらしいんです」 「・・・ふーん」 困った顔をしている藤本は、自分がそうけしかけて、実際にそうなってしまっていることに少し責任を感じていたりするのだろうなと思いながら、堂嶋は運ばれてきたランチセットの五穀米を一口食べた。向かいの席で、同じランチセットに藤本は全く手を付けていない。 「私は、鹿野は止めといたほうが良いと思ったんですけど」 「あはは、志麻ちゃんずっとそれ言ってるね」 「だってそう思いません?アイツ仕事は出来るのかもしれないですけど、にこりともしないし何か気持ち悪くないですか」 「はぁ・・・まぁ愛想はないかな」 言いながら笑って、堂嶋もちゃんとした笑顔はあんまり見たことがなくて、無表情の微細な変化で今喜んでいるとか、悲しんでいるとか、そういうことを読み取るレベルでしかないので、藤本の言いたいことはおおよそ分かった。そもそも堂嶋だって鹿野目と今の関係になっていなければ、おそらく鹿野目のことは無愛想で何を考えているか分からない部下という認識でしかなかっただろう。佐竹や徳井なんかは持ち前の明るさで鹿野目と上手く付き合っているが、他の所員は、特に女性所員からは、にこりともしない上に、あんな奇抜な見た目をしているせいで、怖がられているに決まっていた。 「それにしても今の子って結構行動力ありますよね・・・。西利なんかあの見た目でぽやんとしてそうなのに、待ってても仕方ないから自分で行く!って意気込んでますよ」 「今の子って、志麻ちゃんそんなに歳変わんないだろう」 「いや、変わりますよ、いやー、こわい」 藤本は眉間に皺を寄せたまま、こわいこわいと呟いている。けれど西利のその行動力はきっと、どこか自分の自信の裏付けがあるのだろうなと、堂嶋は勘ぐらずにはいられない。鹿野目はそれに何と答えるのだろう、困った顔の一つでもできるだろうか。 「でも、堂嶋さん」 「・・・ん?」 「鹿野って最近ちょっと変わりましたよね、前より丸くなったっていうか」 「・・・そうなの?」 堂嶋は鹿野目が自分の班に移って来る前のことは、同じ事務所の中で仕事をしながら、ほとんど何も知らない。西利や藤本は元々同じ班だったから、彼女らの方が、その時の鹿野目のことは良く知っているはずだった。鹿野目の妹、亜子の話では、堂嶋が真中デザインにいるということも織り込み済みで、鹿野目はここを志望して、そして入社したことにはなっているらしいが。鹿野目がそんな風に入社当時より熱心に堂嶋を見つめていたらしいことも、堂嶋は全く知らないでいる。 「ちょっと西利とも話してたんですけど、ウチの班にいる時はもっとなんか、ぎすぎすしてたっていうか」 「・・・ふーん」 「多分、堂嶋さんの班に移ってからだと思うんですけど」 「・・・―――」 心当たりならあった。けれどそれを藤本に言うことは出来なくて、堂嶋は曖昧な笑みを浮かべながら黙っていた。堂嶋の目から見ると、事務所の中で仕事をしている鹿野目は、今も昔もそんなに変わらなくて自分の仕事をちゃんとやっているという印象しかないのだけれど、でも多分、この一年足らずで鹿野目の中では大きな変化が起きていて、それがあの鉄仮面の下から漏れ出して、誰かに気付かれることくらいのことがあってもおかしくはない。きっとおかしくはなかった。そう思うと何だか、そういうことを上手く隠すことが出来ない鹿野目のことは、やっぱり性懲りもなくかわいいと思うし、抱き締めて頭を撫でてやりたいと思うのだ。そんな風に考えてしまう堂嶋は堂嶋で、多分大きく変わっているのだろうけれど、それを誰にも指摘されないのは何故なのだろう。堂嶋は鉄仮面も隠す必要もそんな技術も持っていないのに。 「人当り良くなったっていうか柔らかくなったっていうか、丸くなったっていうか・・・」 「そう?佐竹くんとか徳井くんのお蔭じゃないかな」 「なんか不思議ですよねぇ、タケさんとか健介とかと全然違うタイプなのに上手くやってるんですもんね」 「そうだねぇ、俺も鹿野くんが異動してきた時はほんとにどうしようかと思ったけど」 言いながらその頃のことを、堂嶋はまた思い出していた。なんだか随分前のことのように思い出される、その時のことを。

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