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第11話
やっとの思いでベッドまで辿り着けた堂嶋は、このまますぐに眠ってしまいたいと思っていたけれど、事務所を出る時もマンションまで帰ってきた時も、確かにそう思っていたのに、亜子の怒った顔が頭に張り付いて、そして勿論亜子が不穏なことを口走っていたことも気になって、眠たいのに眠れそうにないと思いながら、それでも一応ベッドに潜り込んだ。激務に日々追われている堂嶋は、鹿野目が明日デートに行くのだという事さえ、亜子に言われるまでまた忘れていたくらいなのだ。そんなことではいけないと思うけれど、今は仕事以外のことに脳みそを使うのは、到底無理だった。柴田によく言われるけれど、やっぱり自分はキャパが狭いと思う。考えながらごろんと寝返りを打って、天井を見上げる。
「悟さん」
「・・・んー?」
隣で眠っているはずの鹿野目が不意に声を上げて、堂嶋は天井を見上げたまま返事をした。亜子のことが気になって仕方がなかった。
「今の仕事って、いつまでかかりそうですか」
「いつまで・・・?それは俺が知りたい・・・」
はははと苦笑いをして鹿野目をちらりと見やると、鹿野目は半分上半身を起こすみたいにして、堂嶋のことをじっと見ていた。暗闇に濡れているのが眼球だけで、そこがきらきらと光っている。綺麗だなと堂嶋はぼんやりした頭で思う。すると鹿野目がすっと手を伸ばしてきて、堂嶋の頬を指先で柔らかく撫でた。それに思わず目を細める。そういえば最近、激務がたたっている自分のことを気遣っているのか、鹿野目とセックスをしていないと堂嶋は思った。鹿野目の露骨な目を見ていない、その時薄闇に目を細める鹿野目は、それを無理矢理押さえているみたいに見えた。しかしこれ以上、堂嶋も日中欠伸をしているわけにはいかなかった。
「早く終わるといいですね」
「うん、そうだねぇ。終わりが見えないけど・・・はは」
堂嶋がまた苦笑いをすると、鹿野目は不意に投げ出された堂嶋の手を取って、その手の甲の骨の出っ張ったところにキスをした。何度も同じところを吸われて、堂嶋はくすぐったくて少し笑うと、鹿野目の目がまたふっとこちらに戻ってくる。
「キスはそこでいいの?」
「・・・ちゃんとすると止められないんで」
ふいと珍しく視線を外して、鹿野目は小さく呟いた。それでも堂嶋の手は握ったままである。明日は土曜日なのになあと思いながら、堂嶋はそれを鹿野目には言わないでいる。流石にデートの前日に、自分とそんなことをしていてはいけないような気がしたからだ。相手が知らない子ではないのも何となく、堂嶋の罪悪感を撫でたりするのだろう。西利の顔がちらつく間は駄目だ。鹿野目は全く違うことを考えているのだろうなと思いながら、堂嶋はこっちを見ない鹿野目の横顔をじっと見つめた。
「ねぇ、鹿野くん」
「なんですか」
「明日、デートだったね、そういえば」
「・・・あぁ、はい」
その時鹿野目は一瞬覚えていなかったような風を装ったけれど、多分そんなことはないのだろう、自分みたいには、と堂嶋は思いながら唇の口角だけを上げる。そんな風に何でもないことみたいに鹿野目が答えるのが可笑しかった。そういえば、この話は西利がエレベーターホールで鹿野目を誘っている現場を藤本と二人して目撃したあの日以来、ふたりでしていなかった。
「鹿野くんってさ、西利ちゃんと同期だよね、前波多野さんのところにいた時、仲良くしてたの?」
「・・・なかよく?」
「西利ちゃんは君に優しくしてもらったって言ってたよ、君も女の子に優しくしたりするんだなぁ・・・」
「・・・やさしく」
鹿野目は堂嶋の言葉を初めて聞いた言葉のように繰り返して、それから黙ってしまった。多分記憶を呼び起こしているのだろうと思ったけれど、鹿野目が西利にしたことは多分、誰かがそこで困っていて自分が手を出したほうが自分にも利益があったからという理由にすぎないのだろうことを、堂嶋は分かっていた。だからその記憶は西利に優しくした記憶として、鹿野目の頭の中に刻まれているわけではないだろう。だからそんな風に記憶を辿っても出てこないのだ、堂嶋は知っている。
「・・・優しくしたことなんてないと思いますが」
ややあって鹿野目はやっぱりそう呟いた。それを聞きながら、堂嶋は可笑しくて笑ってしまった。
「悟さん、何で笑ってるんですか」
「・・・いや、別に」
「別にってことはないでしょう」
ややムッとしたみたいに鹿野目が呟いて、そこでようやく今まで大事に握っていた堂嶋の手を離した。すっかり鹿野目の体温が移った右手は部分的に生暖かくなっている。
「まぁ、同期って特別だからさ、仲良くするに越したことないよ。何か困ったら助けてもらったりできるしさ」
「・・・困ったら悟さんに相談します」
「それは俺が困る」
言いながら堂嶋は笑った。
「そういえば、亜子、何か言ってましたか」
「・・・何かって?」
亜子は色々言っていたが、それは鹿野目には聞かせられない話ばかりだ。考えながら、堂嶋は隣の鹿野目の方をちらりと見やった。
「いや、来た時に悟さんに話があると言っていたので」
「・・・あぁ、そう、なんだ。話聞く前に帰っちゃったから、結局何だったのか分からなかった、な」
「そうですか」
その時、咄嗟みたいに嘘を吐いたけれど、それは堂嶋に何か疾しいところがあったわけではなくて、亜子を守るために仕方なく吐いた嘘だった。そうやって亜子が兄に隠し事を増やすみたいなことに、堂嶋も結果的には加担していることが、本当は嫌だったけれど、他の女とデートするなんて嫌だと、その分かりやすい言葉で亜子が怒りを表現した時に、堂嶋は確かにその通りだと思ったし、そうやって怒る亜子のことを誰も否定できないと思っていた。やり方はまずいのかもしれないけれど、そうやって亜子は自分の気持ちに折り合いをつけようとしながら、上手くいかなくてもがいているのだとしたら、堂嶋はそれに付き合うべきなのかもしれないと思っていた。本当は知らないふりをしていたかったけれど。
(亜子ちゃんにあっているとか間違っているとか、そんなこと俺が言う権利はない)
彼女の必死な気持ちは堂嶋が一番よく知っていた。
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