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第13話

ややあって今度は亜子にマンションの下まで来たから出てきてと、半ば命令されるみたいに言われた堂嶋は、やっぱりどうしても気乗りしなかったが、仕方なく身支度をいつものように整えると、鹿野目が出て行ったばかりのマンションから出て、エレベーターで1階まで下りた。エントランスには黒いワンピースを着た亜子が、珍しく見たことのないサングラスをかけて立っており、これはいよいよ不審者だなと思いながら、それでも堂嶋は亜子に向かってへらりと笑いかけた。 「おはよう、亜子ちゃん」 「おはよう、堂嶋さん。車あるから乗って」 「え。車?亜子ちゃん運転できたの?」 レンタカーでも借りたのか、兄や堂嶋の持っていない車をまさか学生の亜子が持っているとも考えられず、堂嶋は少し混乱したが、亜子はそれには答えずに、ワンピースの裾を颯爽と翻して、エントランスから早足で外に出て行ってしまった。亜子はやっぱりいつもよりも苛々しているように見えた。慌てて堂嶋はその背中を追いかける。マンションの前に止まっている黒のクラウンの助手席を開けて、亜子は黙ったままそこに乗り込んだ。堂嶋は迷ったが、後部座席の扉を開ける。 「・・・おじゃまします」 「あ、お兄さん!おはようございます!」 おずおずと車に乗り込むと、運転席に座っていた男がぱっと振り返って堂嶋に向かってにこりと笑いかけた。堂嶋はびくっと体を震わせて、それでも彼がにこにこしているので、意識的に口角を引き上げた。見知らぬ男だった。亜子の知り合いだろうか。 「お、おはよう・・・えっと、君は?」 「あ、俺牧瀬(マキセ)っていいます。お久しぶりですね、お兄さん!」 「・・・久しぶり・・・?」 「昴流(スバル)、時間がないのよ、早く出して」 面倒臭そうに亜子が助手席で命令するのに、牧瀬は嫌な顔一つせずに軽く答えるとそのままエンジンをかけた。ややあって車がじわっと動き出す。 「亜子ちゃん・・・この人・・・?」 「あぁ、俺!亜子のカレシなんですよ、だから未来の弟です!宜しくお願いします、お兄さん!」 「え?カレシ?亜子ちゃん彼氏いたの!?」 堂嶋は心底吃驚して、亜子の肩を後ろから掴んだけれど、亜子は全く動かずにそれには何も答えなかった。亜子の思いが一途だからと思って、自分はこんなことをしているのに、と堂嶋は言いかけて飲み込む。彼氏がいたなんて聞いたことがなかった。あんなに兄が好きなのに、それとこれとはまた別ということなのかと、堂嶋は混乱しながらちらりと助手席の男を見た。男は軽い口調でまだ何か喋っていたが、どう見てもその姿は鹿野目とは重ならなくて、ますます亜子のことが分からない。 「・・・彼氏なんかじゃないわ」 「亜子が中学の時から約束してるんですよ、旬を諦めたら付き合ってくれるって!」 「・・・チッ、べらべら喋るんじゃないわよ、鬱陶しい」 あからさまに不機嫌になった亜子が舌打ちをして、堂嶋は掴んでいた肩を思い出したようにようやく離した。しかしいつもより歯切れが悪いような気もするし、牧瀬が言っていることは、別に大きく外れているわけではないのだろう。考えながら堂嶋はちらりと、運転をする牧瀬を見やった。鹿野目は全体的に尖ったところの多いシャープな印象のする外見だったけれど、牧瀬はどちらかといえば柔らかい印象の方が強い。目鼻立ちは整っているから、きっと女の子にもモテるのだろう。それにしても不自由していなさそうなのに、どうして亜子なんていう面倒臭そうな女の子を選んだのか、堂嶋は悪いと思いながら考えざるを得なかった。 「・・・あ、そう・・・」 「いやー、お兄さんのお蔭っすわ、お兄さんが旬とくっついてくれたから!」 はははとやけに快活に笑いながら、牧瀬は器用にハンドルを切った。何となくそうだろうと思っていたけれど、彼は鹿野目の性的嗜好を知っているようだったし、もっと言えば、鹿野目が今堂嶋と付き合っていることも知っているみたいだった。一体誰から漏れたのかなんて、追求しなくても分かっていた。ちらりと亜子の方を見ても、亜子はまるで自分には関係ないみたいな顔をしている。 「・・・とりあえずお兄さんっていうのは止めてくれるかな・・・?」 「そんな照れなくても、昨日今日の仲じゃないんだし」 「・・・そういえば、久しぶりって・・・どこかで会ってる?」 全く覚えがないけれど、と堂嶋は心の中で思いながら、牧瀬の横顔を見つめた。全く覚えていないが、堂嶋は余り自分の記憶力を信じていなかった。 「お兄さんは知らないと思いますけど、大学の時、旬の代わりにストーカーしてたの、俺なんですよ」 「・・・え、ストーカー?」 「人聞き悪いこと言わないでよ、調査よ」 「ははは、まぁそうともいうか」 そう言えば、亜子の話の中で、卒業制作を作っている堂嶋のことを亜子が調べたと言って鹿野目に伝えていたような気がすると、堂嶋はそこでようやく思い出していた。亜子はその時何も言わなかったけれど、その時中学生でしかなかった彼女が、堂嶋の素行を調査することは流石に、この女の子の奥が見えないといえども、不可能だろうことは想像できた。亜子にはその頃から協力者がいたのだ。堂嶋はもう一度、運転席に座る牧瀬の横顔を見た。やっぱり自分には見覚えのない顔だった。 「懐かしいっすね、お兄さん!」 「・・・いや、俺、そんなの全然知らなかったし・・・」 「そうですかぁ?俺、授業さぼりまくって大学に潜入してお兄さんの事毎日のように調査してたんですよー、そんな冷たいこと言わないでください」 「・・・そんなことしてたのか・・・!」 堂嶋が呆れと怒りで声を震わせると、牧瀬は全く響いていない様子で、はははとまた快活に笑い声を上げた。あの頃、自分の事ながらあんまり上手く思い出せないけれど、卒業間近は提出物だのの単位の計算だのやることが多くて、忙しかったことだけは覚えている。その堂嶋を遠くから牧瀬が見つめていたことを、知らない堂嶋はどうやっても思い出すことが出来ない。 「大体そんな、調査なんてする必要ないだろう・・・」 「いや、俺もそう言ったんですけどねぇ、亜子が聞かないんすよ。まぁ心配だったんですよね、旬のことが」 言いながら牧瀬はちらりと、助手席に座って不貞腐れたような表情の亜子を見やった。亜子は自分の話をされているのにまるで他人事みたいに、表情をピクリとも動かさないでいる。心配で片付けていいのだろうか、度が過ぎていると思いながら、堂嶋はそれを亜子に向かって言う事が出来ない。 「いやぁ、でもほんと良かったです、旬がお兄さんとくっついて」 「・・・はぁ」 「俺も授業さぼったかいがありましたよ」 そうしてにこりと微笑む牧瀬には、他意がない。他意がないから性質が悪いなんて、いつか誰かにも同じことを思ったような気がした。

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