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第16話
女の子が好きそうな雑貨のお店の中で、西利は両手に部屋に置くためのフレグランスを持って、にこにこ笑いながら鹿野目に話しかけている。鹿野目は側に立って、今日はちゃんと西利のことを見ていて、多くは話していないようだったが、何やら聞かれたことには答えているようだった。遠目からふたりがそんな風にぎこちないながら、それなりにデートらしく買い物をしているのを、眺めているのは不思議な気分がするものだった。鹿野目の前で極上の笑顔で上品な色のワンピースを翻す彼女の存在が、そんなことを考える必要などないのに、時々不用意に堂嶋の胸を突いたりして、一体何の目的でこんなことをしているのか、堂嶋には分らなくなってくる。狭い店の中で鉢あうのは危険だと、知った風に牧瀬が言うので、少し離れた本屋で立ち読みをするふりをしながら、堂嶋は鹿野目のことを見ていた。隣には雑誌の紙が破けるのではと思うほど、それをきつく握りしめた亜子が、奥歯をぎりぎり言わせながら立っていて、本当に彼女は牧瀬の言うように、兄のことに区切りがついているのか分からない。こんなことをしていては区切りどころか、気持ちに拍車をかける結果になってしまうのではないかと堂嶋は、遠くの鹿野目よりも近くの亜子のことが心配になる始末である。
「お兄さん見てくださいよ、この女優の脱ぎっぷりいいっすよね」
「・・・牧瀬くん・・・」
そんな中、亜子に運転手要員として連れてこられている、鹿野目に一番興味のない牧瀬だけが、何故か一番本屋を楽しんでいて、週刊誌のグラビアを開いて、嬉々として堂嶋に見せてくる。堂嶋はそれを咎めることも憚られて、溜め息を吐くことしかできない。
「お兄さんはどういう子がタイプなんすか、せーので指さす奴やります?」
「やらない。っていうか、これ商品だからね・・・」
「あ、もしかしてお兄さん女の裸とかに興味ない感じすか、ゲイだから?」
「ゲイじゃないし」
「ちょっとふたりともうるさい」
低音で亜子にそう言われて、堂嶋は黙ったまま肘で牧瀬を突いたが、牧瀬は自分は関係ないみたいな顔をして、週刊誌を捲っている。亜子のそういう態度に慣れているのか、亜子のことが好きなのかどうなのか、どれくらい本気なのか、堂嶋にはよく分からなかったが、牧瀬は牧瀬で、兄とはいえ他の男にあからさまに好意を向ける亜子のことをこんなに近くで見ていて、それこそ堂嶋みたいに胸が痛くならないのだろうかと思う。そうして亜子は亜子で、自分に好意を持ってくれている男の子を、まるで奴隷みたいに連れ歩いても誰にも咎められないことを知っているみたいな、この横暴さは一体何なのだろう。
「・・・ちょっと牧瀬くんさぁ・・・」
「あ、お兄さん、この中じゃ誰がいいですか、人気若手俳優ですよ」
「・・・いやだから俺は別に男が好きなんじゃなくて・・・」
「なのに旬と付き合ってんすか。俺が言うのもなんですが、旬のどこがいいんすか、あいつにこりともしないし、正直かわいくないでしょ」
「う、うーん・・・」
藤本と同じようなことを言う牧瀬の視線に当てられて、堂嶋は自分が言おうとしていたことを忘れた。ちらりと隣に立っている亜子を見やると、亜子はやはりそこで熱心に鹿野目のことをサングラス越しに見ている。ふたりはというと、西利はまだ何か買うものを迷っているのか、さっきと手に持っているものが違った。離れているので、会話までは聞こえてこないが、なんだか西利だけを見ているととても楽しそうである。それを見ながら、堂嶋はまた胸がずきっと痛んだような気がした。
「昴流、茶化すのはやめて頂戴。堂嶋さんはお兄ちゃんのことをちゃんと考えてるわ」
「・・・亜子ちゃん」
相変わらず視線を遠くの二人に注いだまま、亜子は自棄にその時強い口調で、堂嶋のことを庇うようにそう言った。堂嶋はまさか亜子がそんな風に言うとは思っていなかったので、吃驚して亜子の名前を呼ぶ声がかすれた。すると隣で牧瀬は持っていた週刊誌をぱっと元のところに戻した。やけにぞんざいな動作だったので、彼が少し苛ついているのが、隣にいる堂嶋にはダイレクトに伝わってくる。
「あ、そ。それなら、亜子だって俺のこともうちょっとちゃんと考えたら?いつまでこんなことしてるつもりなんだよ、お前は」
「・・・ちょっと牧瀬くん・・・」
「お兄さんも言ってやってくださいよ、亜子、お前いつまで処女でいるつもりなんだよ、いい加減ヤラせろっつーの」
「え、は?」
固まる堂嶋の肩に牧瀬が体重を預けるみたいに、腕を乗せてくる。はっとして亜子のほうを見ると、亜子は鼻くらいまで持っている雑誌を引き上げていたので、その表情までは分からなかったけれど、見えるところで耳がひどく赤くなっているのが分かった。あれだけ一途に兄だけを思い続けている亜子のことだから、そうだったとしても別段おかしくはなかったけれど、それを彼氏なのか彼氏になる予定なのかどうか分からないが、それを牧瀬に、こんな風に簡単にあけっぴろげにされるのはどう考えても違った。
「旬にカレシができたら諦める約束だろ?お前がそんな風に言うってことは、お兄さんのこともう認めてんだろ」
「・・・え?やくそく・・・?」
「はじめてだから怖いの分かるんだけどさー、流石にもう待てないっていうか。俺が優しく教えてやるからいい加減腹くくれよなー、ね、お兄さんもそう思うでしょ?」
「いや、ちょっと・・・あ、亜子ちゃん・・・」
この段になって慰めの言葉もいたわりの言葉も、何も思いつかなかったけれど、べらべら喋りだす牧瀬の腕を強く掴んで、堂嶋はとりあえず口を噤むように促したつもりだった。けれど、牧瀬はそのことに気付いているのかいないのか、堂嶋に同意を求めてくる始末である。堂嶋は牧瀬をどうこうすることを諦めて、可哀想に鹿野目を見ることもやめて、ほとんど雑誌に顔を突っ込むようにして立ったままぶるぶる震えている亜子に手を伸ばしたけれど、それが亜子に触れる手前で、亜子は雑誌から顔を上げて、それをそのまま平積みされている雑誌の上に、叩き置くようにした。堂嶋の前ではいつも冷たい表情をしている亜子が、見たこともないくらい、見ていて可哀想になるくらい動揺しているのが、その真っ赤になった顔から分かる。
「あ、なんなら今からホテル行く?もういいだろ、旬もあの女のことなんか興味ないの見てりゃ分かっただろ」
「・・・行くわけないでしょ・・・ほんとに・・・」
「え?なんだよ、ホテルったってラブホじゃないぜ。スイートとってやるよ、お前のはじめてのために」
「馬鹿じゃないの、死ね!」
「あ、あこちゃん!」
亜子は真っ赤な顔でそう叫ぶと、本屋を飛び出していった。堂嶋はそれを追いかけかけて、ぴたりと足を止める。振り返ってみると、牧瀬は堂嶋ではなく亜子が出て行った方向を、自棄に冷めたような目で見ていた。堂嶋は仕方なく少しだけ戻って彼に近づいた。
「牧瀬くん・・・君の気持ちも分からなくもないけどああいう言い方は・・・」
「いいんです、別に。あいつも俺のこと利用してるんで、時々は仕返ししてやらないと。俺だって別に遊びで亜子のこと好きでいるわけじゃないで」
言いながら、牧瀬は亜子が持っていた雑誌を持ち上げた。亜子が必死に握りしめていたので、表紙は随分よれてしまっている。
「でもあれじゃ君が亜子ちゃんに本気なんだって伝わらないよ。もっと真摯なやり方があるだろう」
「はは、お兄さんらしいすね。でも俺が本気なんか出したらアイツびびっちゃうんで、あれでいいんですよ。ただの性欲なら亜子だって、簡単に拒絶できるから」
「・・・」
「ちょっとこれ、流石にあれなんで買ってきます」
そう言って牧瀬はにっこり笑って、店の奥に消えていった。
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