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第17話

本屋で待っていてもきっと亜子は帰ってくることができないだろうからと、堂嶋は外に探しに出た。牧瀬は飄々としていて、あっからかんと、まるでなんでもないことのように、放っておけばいいんですよと言っていたけれど、堂嶋はやっぱりどこかで亜子に甘くて、そんな風に楽観的にはとてもできそうになかった。あんな風に赤くなって震える亜子を、堂嶋は見たことがなかった。堂嶋の前で、亜子はいつも凛と強く立っていて、兄への気持ちを吐露して泣いた時でさえ、やっぱり強い目をしていた。亜子は携帯電話も財布も持っているから、その気にさえなれば自分で電車を乗り継いで帰ることだってできることは分かっているけれど、亜子をあのままにしておくことは、やっぱりどうしても堂嶋にはできなかった。罪悪感なのだろうか、自分が亜子の長年思い続けた兄を、彼女から奪ってしまったから。考えながら溜め息を吐く。そんなつもりは毛頭ないのに、結果的には自分はやっぱりあのきょうだいの前でよそ者だし、後から現れておいて大きい顔などできなかった。それにきっと鹿野目はまた亜子や自分とは違う見解を持っているのだろうけれど、堂嶋にはそれを想像することはできなかった。 (・・・いないな、亜子ちゃん、どこ行っちゃったんだろ・・・) コーヒーショップの店内を2階までぐるりと見て回ってから、堂嶋は階段を下りてきた。さっきから何度か携帯電話は鳴らしているが、コール音がするだけで亜子は出ない。もしかしたらひとりでいたいのかもしれないし、堂嶋が思うほど亜子が子どもではないことは分かっているのだけれど、やっぱり胸がざわざわするし、投げやりになって何かよくないことにでも巻き込まれでもしたら、それこそ一生の後悔ものだと、堂嶋は飛躍する頭で考えた。そうして、1階まで降りてきた堂嶋は、何も買わないままだったが、コーヒーショップを出ようと扉に手をかけた。すると後ろからその堂嶋を呼び止める声が聞こえた。 「さとりさん?」 「・・・―――」 反射的に振り返ってから、よく考えれば自分のことをそんな風に呼ぶのはひとりだと思って、それから顔を見て後悔した。そこには先ほどまで西利とデートしていたはずの鹿野目が立っていた。鹿野目は無表情ながら、堂嶋が読み取ることができるぎりぎりの範囲で、何故ここに堂嶋がいるのか分からないと言いたそうな、不思議そうな顔をしている。鹿野目がそんな顔になるのは、当然のことだ。考えながら、堂嶋は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。さっきまでふたりを尾行していたことなんて、亜子と牧瀬のことですっかり頭の中から抜け落ちていた。亜子がこの辺りにいるということはイコール、ふたりも近くにいる可能性があるということを、完全に堂嶋は失念していた。見れば、鹿野目は両手にひとつずつ、おそらくコーヒーの類を持っている。先ほどまでデートをしていた、のではなく、鹿野目は多分今も西利とデート中なのだろう。 「・・・なんでさとりさんこんなところに」 「あ、ぐ、偶然だね!鹿野くん、いや、俺もちょっと近くまで用事で来てて」 「昼まで寝るんじゃなかったですっけ、そう言ってましたよ、昨日、俺に」 「えっと・・・だってもう昼過ぎてるし!」 いや、ムキになるのは多分、そこではなかった。堂嶋の頭の中の冷静さが言う。とりあえず鹿野目がここにいるということは、西利も近くにいるはずだった。ここで西利に姿を見られでもしたら、またややこしいことになりかねないと思って、釈然としない鹿野目をそこに残して、堂嶋はコーヒーショップの扉を開けて外に出た。すると何故か、背中を鹿野目が追いかけてくる。 「ちょっと待ってください、さとりさん」 「なんだよ、なんでついてくるんだよ」 ついてくるなというほうが、もしかしたら鹿野目にとっては難しい提案だったかもしれないが、堂嶋はその時鹿野目にそう言うしかなかった。周りの人はせかせかと、堂嶋と鹿野目には目もくれず歩いていくのに、堂嶋はこの段になって、休日にこんな風に鹿野目と向き合って、外にいることが怖くなった。西利でなくても、もしかしたら知り合いの誰かに会う可能性があるのだ。その時、どんな風に言い訳をすればいいのか、そういえばそんなこと一度も考えたこともなかった。 「偶然じゃないですよね。さとりさんここで何してるんですか」 「な、何って・・・いやだから別にただ出かけただけで・・・」 流石に偶然というのは無理があるだろうか、でも他になんと言えばよかったのだろうと考えながら、堂嶋は鹿野目からすっと視線を反らした。こういう時は素直に騙されてくれないのだなぁと、暢気に考え出してしまうから、堂嶋は自分のことながら手に負えないと思った。だからといって、正直にデートを尾行していたなんて、そんなこと言えそうもない。そもそも尾行していたのは何分か前までで、今は亜子を探していたのであって、正確には尾行していたわけではなく不可抗力であると、言い訳を考えてみたが、結局尾行していたことは説明しなければならないのなら、この言い訳はそもそも使うことができなかった。 「俺、ひとを探してるから急がなきゃいけないんだ。君も戻れ、西利ちゃん待ってるだろう」 「ひとって誰ですか、誰かと一緒なんですか」 「いや・・・まぁ、そうなんだけど・・・」 亜子や牧瀬と一緒にいると言うのはやっぱりまずいだろうかと、鹿野目のそれに上手く答えられなくて、口籠りながら堂嶋は考える。何か言えば言うほど、自分によくない情報が出てきてしまいそうで、どんどん何も言えなくなって、堂嶋はそれ以上後退できなくなる。 「・・・悟さんずっと様子がおかしいと思ってたんです、俺。やっぱり今日、来なきゃよかった」 「なんてこと言うんだ、西利ちゃんに失礼だろう・・・」 言いながら言葉がどんどん失速していくのが、堂嶋には分かった。そんなことは鹿野目にとってはどうでもいいことだった。そして堂嶋にとっても多分、可愛い後輩はどうでもいい案件になりつつある。このまま鹿野目を制さないでいたら、鹿野目はもしかしたら自分の欲しい言葉をくれるのではと、堂嶋は少しだけ考えた。考えて、そんなことしか考えられない自分のことが恥ずかしかった。鹿野目が両手にコーヒーを持っていてよかった。その腕で掴まれたら振りほどける自信がなかった。鹿野目はもうそこで迷った目をしていなくて、いつもの強い目をして、じっと黙って堂嶋を見つめてくる。堂嶋はそれから逃れたくて、もうずっとそれを反らし続けている。ふたりを遠目から眺めていて、あんなに疼いた胸がもうじくりとも痛まなくて、鹿野目の目がちゃんと自分を捉えていることに、どこかで安心し切っているのに、それを正面から見ることもできなくて、それとは全然違うことを言わなければいけないことが、堂嶋の喉を簡単に絞める。 「悟さん、俺は・・・―――」 「分かった、話は後で帰ってからにしよう。とりあえず君は今すぐ西利ちゃんのところに戻って」 「・・・分かりました、すぐ帰るんで、家で待っててください」 鹿野目は小さな声でそう呟くと、くるりとロングコートを翻してコーヒーショップの中に戻っていった。その後、ふたりがどんな話をしたのか知らないが、雑貨屋で楽しそうにしていた西利の顔は、多分曇ることになるのだろう、何となくそんな気がした。残された堂嶋は亜子を探しに行かなければいけないのに、アスファルトを見ながらしばらくじっとそこに立っていた。鹿野目に隠し事はしたくなかったし、あんな風に純粋に思ってくれているのなら、多分それを裏切ってはいけなかった。でも亜子のことも邪険にはできないし、考えながら堂嶋は、アスファルトを見ながら溜め息を吐く。どちらにもいい顔なんてできないことは分かっていた。それなのに西利の気持ちまで汲んでやることは不可能だ。流されやすい性格であることは分かっていたけれど、これは優柔不断もいいところで、結局皆を傷つけてしまっているのは自分なのではないかと、堂嶋はひとりで考える。

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