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第18話

その後、牧瀬のほうが先に亜子を見つけたらしく、送るというので、堂嶋はひとりで電車に乗ってマンションまで帰ってきた。電話をかけてきた牧瀬は、まるで亜子がただ単にはぐれたみたいな明るい言い方で、本当になんとも思っていないのか、それともふりをしているだけなのか、堂嶋には確かめる術はなかった。そういえば牧瀬も鹿野目きょうだいにとってみればよそ者なのに、彼が側にいることに、亜子は慣れているみたいで違和感がない。兄と一緒のところは見たことがないので分からないが、明るくて軽いノリの牧瀬と、物静かで冗談も言えない鹿野目が、一体友達としてどんな話をどんな空気感でするのかは、何となく想像できるような気がしたから不思議だった。電話を切るときに、また遊びに行きましょうと、牧瀬は明るく言って、彼は今日尾行なんかしているつもりはなくて、ただ単に亜子とそれこそデートでもしているつもりだったのかもしれないけれど、だとしたら自分はもっともっと異質でよそ者で邪魔者に違いなかった。マンションの扉を開けると、堂嶋は今まで忘れていた眠気が回帰していたような気がして、そのまま眠ってしまいたかったけれど、流石に鹿野目と話をしなければいけないし、起きておかなければならないのは分かっていた。それにしても、話をしようと言ったのは堂嶋だったけれど、一体何を話せばいいのか、話すことができるのか、堂嶋はソファーに転がってひとりで考えていた。 (皆に中途半端に優しくして、結局皆を傷つけているのは俺なのかもしれない) (そんなのは本当のやさしさじゃない、俺は皆に嫌われたくないからいい顔をしているだけだ) (亜子ちゃんにも西利ちゃんにも、そして鹿野くんにも) 亜子はお兄ちゃんは恋人ができると途端に連絡が取れなくなると零していたし、鹿野目はなんだかいつも亜子が泊りに来るときはあまりいい顔をしない。西利のことだって、鹿野目自身は優しくした記憶なんかないようだったし、多分堂嶋が何も言わなければ、今日二人で出かけたりはしなかっただろう。そうやって鹿野目は自分が一番大事にしなければならない存在をちゃんと分かっているし、ちゃんと実行しているのだと思った。堂嶋はソファーに転がったまま、耳が熱くなるのが分かった。鹿野目がそんな風に心底自分のことを好いていてくれるのを、堂嶋は知っているつもりだったけれど、知っているつもりならなおのこと、それを大事にしてやらなければならなかった。鹿野目が自分以外の誰かのことを好きになんてならないことを、自覚しているのならなおのこと、鹿野目のそれに甘えているのは横暴で傲慢だと思った。 (嘘を吐くのはもうやめよう、ちゃんと謝らなきゃ) その時、不意にマンションの扉が開く音がして、堂嶋はソファーに寝転がっていた体を起こした。ややあって鹿野目がリビングの扉を開けるまで、堂嶋は今までになく心臓の音が煩くて、緊張しているのが分かった。鹿野目はロングコートを廊下のラックにかけてきたのか、随分身軽な格好でそこから姿を現して、ソファーに不自然な形で座っている堂嶋のことをちらりと見た。それから見慣れない紙袋をダイニングテーブルの上にぽんと置いた。それを無意識に目で追いかける。 「か、鹿野くん、おかえり・・・」 「ただいま戻りました。これ、お土産です」 「あ、そうなんだ。なにかな?食べ物?」 「悟さん」 くるりとダイニングテーブルの側で振り返った鹿野目は、少しだけ眉間にしわを寄せて怒っているようだった。堂嶋はその鋭い瞳に刺されながら、体を固くする。別に何をされているわけでもないのに、心臓がギュッと痛かった。目を反らしてしまいそうになって、謝らなければと思っていたことが脳裏をかすめる。堂嶋は体に力を入れて、ソファーから立ち上がる。部屋の中にいても、いやもしかしたら部屋の中にいるからこそなのかもしれないが、兎角側に居たがる鹿野目が、今日はなんだか全く距離を詰めてくれなくて、いつまで経っても一定の距離から堂嶋のことを見ていることに、そんな権利はないのに勝手に傷ついてしまう。 「ご、めんね。俺、君に嘘を吐いた、よ」 「・・・なんでさとりさんが嘘を吐く必要があるんですか」 「なんで・・・?」 「さとりさんが嘘までついて俺に隠しておきたいことって何なんですか」 その時ふっと堂嶋は体の力が抜けるような気がした。鹿野目のそれが、怒っているのではないと分かったからだ。鹿野目はそこでそうして、傷ついているのだと分かった。そう思うといたたまれなくなって堂嶋はソファーを離れて鹿野目に近づこうとしたけれど、鹿野目が微弱ながら足を後退させたのを見て、そこに止まらざるを得なかった。鹿野目がそんな風に、そんな形でも拒絶を示すのは珍しかった。それをひどく冷静に観察しながら、一方で堂嶋はどうしようもなく焦燥するのをおさめることができない。 「俺は、悟さんが考えていることが全然分からない」 「・・・いや、あの」 「今日だって行っていい、仲良くしたほうが良いって言うから行ったのに、不安そうにするし、それにあんなところにいるし・・・」 「ごめん、鹿野くん、俺は・・・」 それに続く言葉なんて考えても出てこなかった。不安そうにしたことなんて一度もなかったはずだったけれど、鹿野目にはどう見えていたのだろう。そう言えば、今日見送った時に何か言いたそうにしていたけれど、それだったのだろうかと堂嶋はぼんやりその時のことを思い出していた。鹿野目が一番大切にしたい存在をちゃんと分かっているみたいに、堂嶋も本当は分かっていた。他の誰かにどんな風に好かれたって多分、一番大事な存在をこんな風に傷つけていたら意味がない。意味がないことだって分かっていた。 「ごめん、あんなのは全部綺麗ごとで嘘だ」 「本当は行ってほしくなんてないし、仲良くしたらいいなんて思ってない。君がゲイで女の子に興味がなくたって、それでも西利ちゃんみたいなかわいい子だったらもしかしたらって思ってしまうから」 「でも俺がそう言うと君はそれに従うだろう?それも嫌だったんだ・・・」 鹿野目の表情は凪いでいて、彼が一体何を思っているか、堂嶋には分らなかった。ちゃんと自分の言葉を聞いてそれを理解してくれているのだろうかと、思いながらも、堂嶋は続きを考えることしかできなかった。鹿野目が一番に思ってくれていることは嬉しいし、それは大事にしたいと思っているけれど、全部自分の言葉通りになってしまうのは少しだけ怖かった。例えば、堂嶋が西利とデートなんて行くなと言えば、鹿野目は二つ返事で簡単に彼女の提案を破いてしまうことは分かっていた。もしかしたら好意なんてなくても、鹿野目は同期の西利と仲良くしたいかもしれないのに、それを鹿野目は否定する堂嶋相手には言わないだろうことを、堂嶋は分かっていて、それを操作するみたいな自分の言葉が怖いと思った。鹿野目の判断力を奪ってしまいそうで。 「・・・どういうことですか」 「だから・・・君が俺のことを大事にしてくれているのはよく分かる、でも、君は君の判断で動くべきだし、決断すべきだ。それに俺の意思は無関係で構わないんだ」 「今日だって悟さんが行くなって言っても、俺が行きたかったら行ってもいいってことですか」 「・・・そう、だよ。小さいことかもしれないけど、これからきっと沢山選択を迫られることがある。その度に俺の顔色を伺っていても仕方ないだろう、君は君の選択をすべきなんだ」 思ったよりもすんなり鹿野目がそれを理解したみたいで、堂嶋は安心しながらまだ焦燥していた。言いたいことはこれで良かったのだろうかと、無表情の鹿野目を見ていると不安になってくる。いつものように鹿野目は無表情で堂嶋のことを見ていたけれど、なんだかその目は何かを迷っているように見えた。鹿野目のしていることが間違っているとは思っていない、思っていないけれど、堂嶋は少しだけ怖かった。そういう日々の些末な決断がいつか、鹿野目にとって大きな過ちになってしまうのではないかと思うことがあって、それが自分の言葉に起因してくるかもしれないことが怖くて、だから嘘を吐いた。本意ではないことも言った。本当はこんなこと鹿野目のことを考えているふりをした、自分の保身ではないかと堂嶋は思いながら、そっと震える自分の腕を上から押さえるようにする。

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