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第20話
その日、堂嶋はまた藤本に誘われてランチに外に出かけていた。藤本はいつものようにあまり元気そうではない疲れた顔色をしていて、事務所で一番平和と誰かが言っていた波多野の班も色々あるのだろうなぁと堂嶋はそれを見ながら考える。堂嶋はというと残業残業で忙しかった時期はやっと抜けて、今はその残務が少しあるくらいで、また次の仕事が降ってくるまでは、リーダーとして放置していた所員の仕事も見てやらねばと思うほどには、余裕が出てきたところだった。
「・・・西利のことなんですけど」
「え、西利ちゃん?」
藤本が自棄に陰った顔でそう言うのを聞いて、堂嶋はどきっとした。西利のことをまた、喉元過ぎれば熱さを忘れる要領ですっかり忘れていたことに、堂嶋は要らない罪悪感を覚える。そういえばそんなことがあって、鹿野目と珍しく喧嘩をしたことも、もうなんだか随分前のことのようだったが、あれから一週間も経っていなかった。そういえば、デートに出かけた鹿野目は、その後西利とどうなったとかいう話を、堂嶋に遠慮しているのか、また何かよくない推測でも働かせているのか、しない。されないので、堂嶋はそれを鹿野目に尋ねることを、すっかり忘れてしまっていた。あの男は多分尋ねれば正直に答えるのだろう。
「・・・そういやどうなったの、西利ちゃん」
「いや、一応デートはしたらしいんですけど。なんか鹿野の奴、途中で急に機嫌が悪くなったらしくて、早々と帰ったらしいんですよ」
「・・・急に機嫌が悪く・・・」
思い当たる節がありすぎて、堂嶋はそれを聞きながら、また西利に申し訳ない気持ちがふつふつと芽生えて仕方がなかった。藤本は目の前で俯く堂嶋が、まさか真意を知っているとは知らずに、肘をついた格好のまま、どこか不機嫌そうな目で続けた。
「それで、結局後日正式に断られたんですって」
「・・・あぁ、そう・・・それは残念だ・・・ね」
「まぁ、私は鹿野と付き合うのは反対だったんでいいんですけどー」
「・・・落ち込んでるよね、西利ちゃん。なんか、また皆でどっか食べに行く?」
「それがねー。そうでもないんですよ」
藤本は首をかしげて、心底不思議そうにした。堂嶋もまさか藤本がそう言うとは思っていなかったので、吃驚して顔を上げる。
「ふられた日は流石に凹んでたんですけど、なんかその日の午後、アマさんに壁ドンされてって言ってて・・・」
「え?アマさん?」
アマさんというのは、堂嶋班の隣の班のリーダーの天海 という男のあだ名である。事務所では波多野の次に長く勤めており、堂嶋からしたら勿論先輩にあたる人物であった。真中がそう呼ぶので、事務所では皆、天海のことは別にそれほど親しくない間柄でもアマさんと呼んでいた。
「なんか今は嬉しそうにアマさんの話してます。現金ですよね、女って」
「・・・志麻ちゃん君も女の子なんだけど・・・いやまぁ、西利ちゃんが元気なら俺はそれでいいけど、でもアマさんかぁ・・・」
「コピーを機械の中に忘れてたのを追いかけて渡してくれたらしいんですけど。私はアマさんがただ単に躓いてそうなっちゃったんだと思うんですよね。壁ドンっていうんですか?知りませんけど」
「・・・あー・・・ありうる・・・」
言いながら心底ほっとして、堂嶋は笑った。天海が長く働いている割に、堂嶋とは仕事で一緒になることもあまりなく、天海自身が無口で物静かなひとだったので、天海のことを堂嶋はあまりよく知らなかった。ただ鬼のように仕事が早いのと、何をしていても顔色ひとつ変えないので、堂嶋はひそかに苦手だと思っていたし、怒られたことなんかひとつもないくせに、いつも怒号を飛ばされている柴田よりもよっぽど天海のほうが怖かった。小奇麗な顔をしているので、佐竹が時々柴田相手にふざけたことを言うみたいに、することはあったけれど、柴田とはまた違った角度で、多分他の所員も天海のことは怖いと思っているようで、流石に本人を前にそんな風に、佐竹ですらふざけているところを見たことがない。それなのに、あえてそこに行くあたり、やっぱり西利も西利でかわいいだけの女の子ではないのだなと堂嶋は感心するみたいに思った。
「アマさんなんて一番望みなさそうなこと言い出すんだから、もう意味わかんないですよね、最近の若い子って!」
「だから志麻ちゃんそんなに歳変わんないでしょ」
言いながら堂嶋が笑うと、藤本もつられて笑った。
「すみませんね、堂嶋さんも変なこと相談しちゃって」
「いや、俺は別にいいよ、何の役にも立てなかったけど」
「あはは、そんなことないですって。また西利のアマさんの話聞いてやってください」
「・・・それはちょっと聞きたいかもしれない」
堂嶋がそう言うと、藤本はやっぱり笑っていた。もうすぐ就業時間だと藤本が言って、ふたりしてカフェを出る。事務所までは歩いて5分もかからない。
「そういや、堂嶋さん。鹿野って付き合ってる人がいるらしいですよ、西利が聞いたらそう言ってたって」
「・・・へー・・・」
知らなかったと言ってしらばっくれるべきなのか、考えながら堂嶋は隣を歩く藤本のヒールの音を聞いていた。何でもそうやって、堂嶋にでなくても聞かれたら正直に答えてしまうところは、鹿野目らしいと思いながら、それは咎めるべきなのかもしれないとも思っていた。まぁきっと西利の推測では、自分のところまで辿り着くのは不可能だと堂嶋は分かっているけれど。
「なんか不思議ですよね、なんであんな変な奴に彼女がいて私カレシいないんだろ」
「はは、そこなの?」
「えー、堂嶋さんもそう思いません?」
「志麻ちゃんに彼氏がいないのは俺も不思議だと思うけど。でもまぁ、鹿野くんもいいとこあるよ」
「えー、ほんとですかぁ?この間タケさんとか健介にも同じこと言われましたよ。鹿野は別に悪い奴じゃなくて、愛想がないだけだって、喋ったら結構面白いって」
「まぁ、ふたりはよくしてくれてるからね、鹿野くんには」
言いながら笑うと、藤本はそこで心底不思議そうな顔をして、堂嶋のことを見ていた。それにまた笑いそうになりながら、堂嶋は歩くスピードをやや早めた。もうすぐ就業時間である。
「志麻ちゃん、急ごう」
「あ、はい。なーんか納得いかないなぁ」
藤本は堂嶋のそれには素直に返事をしながら、まだ首を傾げている。別に誰にも分ってもらえなくても、誰にも知ってもらえなくてもそれでいいと思っている。堂嶋は俯いてマフラーを鼻まで引き上げて、藤本にはばれないようにくつくつと笑いを零した。
(鹿野くんがかわいいのは俺だけが知っていればいいんだ)
その気持ちは束縛か独占欲か。
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