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第21話
「鹿野くん、週末何か予定ある?」
今までずっとかかりきりだった仕事がやっと片付いたとかで、今日は珍しく堂嶋のほうが先に帰っていた。鹿野目がマンションに戻ると、堂嶋が作ったらしいキムチ鍋が用意されていて、部屋の中は暖かかった。鹿野目がテーブルについて、ふたりで鍋を食べながら、急に思い出したように堂嶋がそう尋ねてきたのに、反射的に鹿野目は首を振る。基本的に鹿野目は週末、平日にできない家事をしたり、それこそ趣味のジョギングの距離を伸ばしたりするくらいで、堂嶋が家にいるのに出かけたりはしない。堂嶋はというと、時々それこそ藤本なんかと外に出ていくことがあったけれど、それもそんなに頻繁なことではなくて、基本的には家で昼前まで眠っていることが多い。こんなことを聞いてくるということは、何か予定でもあるのだろうか、それは少しだけ残念だと、鹿野目はほとんど無意識のまま思う。一緒に住んでいたって、平日はお互い忙しくて、一緒にいるのにせかせか動いていて、まるでひとりでいるみたいで、やっぱり少し寂しかった。
「あ、そう。よかった。俺、実家に帰ろうと思うんだよね、久々に」
「・・・そうですか。なら、俺、シーツの洗濯でもします」
「鹿野くんも来ない?」
「・・・は?」
思わず、持っていた箸を取り落としてしまった。鍋を挟んで向こう側にいる堂嶋は、何故かにこにこと笑顔を浮かべていた。いやいやと思いながら、それを口には出せずに、とりあえず落としてしまった箸を、椅子を少し引いて屈んで拾う。
「・・・悟さん、本気で言ってるんですか?」
「本気、本気。なんならもう電話しちゃったし」
「え?」
「鹿野くんも連れてくって言ったら母さん喜んでたよ?」
「は・・・!?」
また持っていた箸を取り落としてしまった。堂嶋が目の動きだけでそれを追いかける。鹿野目はもうそれを拾うどころではなく、椅子に座ったまま、背中に冷たい汗の気配を感じて、指先が小さく震えるのが分かった。珍しく動揺して顔を白くする鹿野目を見ながら、何故か堂嶋は平然と鍋の続きを食べている。
「おかあさんに・・・?」
「うん、ご飯二人分用意してくれるって言ってたから、鹿野くんが来ないんじゃ余っちゃうし、きっと困るなぁどうしようかなぁ」
「・・・さとりさん」
「なに?」
返事をする堂嶋の口元は笑っていて、きっと動揺する自分のことを面白がっているのだろうと思ったけれど、鹿野目はそれを止めさせることができない。とりあえず落ち着いて状況を整理しなければと思って、持っていた小皿を置いて、ふっと溜め息を吐きながら天井を仰いだ。
「俺のことは、なんて、流石に部下を実家に連れて行かないと思いますが・・・」
「あぁ、うん。だから今、付き合ってる人がいて、一緒に住んでるって言ったら、一度顔見せにおいでって言われたから、それもそうかなぁと思って」
「・・・男だってのは、言ったんですか」
声が上ずるのが自分でも分かった。昔、ゲイかもしれないと気付いた鹿野目は、それを家族に向かって吐露し、優しかった両親の人格を破壊してしまったことを、今更になって鮮明に思い出した。それを堂嶋には言ったことがないから、堂嶋は知らないのだのだと鹿野目は思い込んでいるが、妹によってそれはもう堂嶋の耳に入っている。ただその時堂嶋は、そんなことまるで聞いたことがないかのように、つんと澄ましていたし、鹿野目にはそんな複雑な憶測を立てることはとてもできなかった。
「うん、言ったよ」
「・・・―――」
「まぁ、流石にびっくりしてたけど。だったら尚更おいでって言ってたから、別に怒ったりはしてなかったよ」
そうして堂嶋は何でもないことのように、そう言ってにこりと微笑んだ。鹿野目はそれを見ながら、一体他になんと言えばいいのか分からなくなった。そんな風に笑う堂嶋に、反論のしようなんかなかった。勿論何となく、想像してみたりしたことはあった。堂嶋の家のことも両親のことも家族のことも。けれど自分の家族が自分のせいで壊れてしまった経過を、誰よりも側で見ていた鹿野目は、そんなこと考えれば考えるほど怖くなるばかりだったので、鹿野目はそれを見ては見ぬふりをして、手でちゃんと確かめられる堂嶋の表面を触っては、安心をしていた。いずれこのひとは自分の目の前からいなくなってしまうかもしれないけれど、いなくなってしまった後、ちゃんと思い出せるように形も匂いも覚えておかなければと必死になっていることを、きっと堂島は気付いている。気付いているからこそ、こんなことを提案してくるのだ。
「・・・行きたくない」
「なんで?きっと皆、歓迎してくれるよ」
「・・・―――」
首を傾げて心底不思議そうに堂嶋がそう言うことのほうが、鹿野目には理解できないと思った。それは堂嶋が元々ノンケでゲイではないからだろうか、自分とは根本的に違うからだろうか。考えたが、ゲイでもノンケでも今同性と付き合っている現実があるなら、それを誰かが線引きするのは難しいだろうと思った。一体それを聞かされた堂嶋の母はどう思ったのだろう。だってこの間まで可愛い彼女と結婚を前提に同棲していたはずなのに、その彼女と別れたと思ったら今度は男と住んでいるなんて、それを聞かされていて少し驚く程度で済まされるものではないだろう。もしかしたら優しい言葉をかけておびき寄せておいて、何かひどいことをされるのかもしれないし、言われるのかもしれない。堂嶋の意思とは無関係に、もう一緒には住めなくなってしまうかも、考えが飛躍しているのは分かっていたが、鹿野目には他にどんな風に考えればいいのか分からなかった。
「・・・考えさせてください」
「うん、考えて。でも週末には行くから、それまでには答えてね」
「・・・はい」
言いながら俯いて、鹿野目はテーブルの上にお箸を探したけれど、そういえば随分前に落としてしまったのだと思った。どうせ食欲などすっかり失せてしまっているし、さっさとお風呂にでも入って眠れそうにはないけれど、ベッドに入って纏まりそうもないが、この話の続きを考えなければと思った。すると目の前にすっと箸が伸びてきて、見れば正面に座る堂嶋がそれをいつの間にか拾っていて、鹿野目に差し出しているところだった。それを黙って掴む。使うには流石に洗わらなければいけない。
「鹿野くん、俺はね、君が来てくれると嬉しい」
「・・・さとりさんはずるい」
「えー、なんで?」
「そんなこと言われたら、答えなんてひとつしかないじゃないですか」
そうして俯くと、堂嶋はまたあははと嬉しそうに笑った。なぜそんなに暢気に笑っていられるのか、鹿野目には分らなかった。家族が壊れてしまうかもしれないのに、家族を壊してしまうかもしれないのに、堂嶋はそうは考えないのだろうか。そうはならないと、堂嶋はまるで知っているみたいだと思った。鹿野目はその先が知りたかったけれど、それを堂嶋にはとても尋ねられそうにないと思った。
「そんなことないよ、君が決めたらいいことだ」
「・・・はい」
言いながら堂嶋はまた優しく笑っていて、鹿野目はぼんやりと堂嶋が育った家のことと家族のことを考えてみるのも悪くないかもしれないと思った。
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