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第22話

堂嶋の実家は都心から電車で一時間ほど行ったところにあるらしい。そういえば昔、それこそ堂嶋を認識した頃、亜子が調べたと言っていた資料の中に、少しだけ実家に関することが混ざっていたなと思って、来る前に亜子に電話をかけると、ひどく不機嫌そうな声でそれを教えてくれた。一泊なので、荷物は別に要らないと堂嶋は言っていたが、鹿野目はそういうわけにもいかずに、あれこれ鞄に詰め込んでいたら、何泊もできそうなくらい巨大な荷物になってしまった。本当は断りたかったのに、結局堂嶋が甘いことを言うので、鹿野目はそれに反論できなくて週末、午前中から電車に乗っている。 「鹿野くん、スーツなんか着てこなくて良かったのに」 「・・・そういうわけには。それに俺、初対面の人には大体印象が良くないので、ちょっとはこれで緩和を・・・」 「あー、そういうの気付いてるんだね」 「え?」 「なんでもー」 堂嶋は朝からにこにこしたりにやにやしたり、兎に角緊張しまくっている鹿野目のことが、面白くて仕方がないようだった。堂嶋班に移るまでは、基本的に鹿野目はスーツで仕事に行っていたのだが、やくざみたいだからやめろとはっきり徳井に言われてしまったので、今はあまりスーツを着ることもなくなった。なので久々にそれを引っ張り出したのだが、堂嶋は特別いつもと変わらない格好をしていたので、ふたりで並んでいるとちぐはぐだった。考えながら、はたと鹿野目は隣に座る堂嶋に視線をやった。 「さとりさん」 「なにー?お腹すいたねぇ、駅弁買えばよかったよー」 「俺、もしかして今、やくざみたいですか?」 「・・・えー、それ今気づいたの?もう無理じゃない?」 言いながら堂嶋がにっこり笑ったので、鹿野目は血の気が引いてくらっとした。表情は変わらないのに、あからさまにまた動揺し始める鹿野目のことが、いよいよ可哀想になってきたのか、堂嶋は手を伸ばしてぽんぽんとその頭を撫でてせめても慰めた。 「・・・降りて着替えます・・・」 「えー、じゃあ俺駅弁買ってくる。鹿野くんも食べる?」 「いりません、何も食べられません」 「緊張しすぎだよ、そんなんじゃ持たないよー」 あははと堂嶋が笑って、鹿野目の腕を叩く。そんな暢気に構えていられる堂嶋のことが、鹿野目は少しだけ羨ましかった。もう家族の顔を見ることができなくなるかもしれないのに、そんなことを多分、堂嶋は考えていないことは分かっていたけれど、だから余計に、鹿野目はそれが杞憂なのだとしてもそういうことを考えることから逃れることはできなかった。 「ただいまー」 駅からタクシーで数分の堂嶋の実家らしいところは、古い日本家屋で、けれど外から見て分かるほどそれが家というかもうむしろ屋敷と呼んだほうが良いくらいの規模であることは、鹿野目の目にも明らかだった。誰かの手によって手入れされた立派な日本庭園を過って、堂嶋はすたすたと奥へ進んでいったが、鹿野目はきょろきょろとあたりを見回していて、落ち着かなかった。亜子の情報から、堂嶋の家は自営業をやっており、小さいながら父は会社経営者だから金持ちだと言っていたが、耳で聞いているのと実際視覚から情報として入ってくるのとではインパクトが違う。ますます帰りたくなって、鹿野目はここまで来ておいてなんだけれど、前を歩く堂嶋の腕を掴んで、また弱気なことを呟いてしまいそうだった。 「あら、早かったね。おかえりなさい、悟くん」 「ただいま、母さん」 しかしその手は空振り、堂嶋は簡単に玄関の扉を開けて、そこで待っていたらしい女性にそうにっこり笑って挨拶をした。鹿野目はその背中についていかなければいけないことを、半分以上忘れてそこに立ち止まったまま動けなくなる。彼女は堂嶋によく似ていて、けれど髪が長くて、そして優しい顔をして笑っていた。堂嶋が鹿野目の気配がないことに気付いて振り返るのに、彼女の目がすっと上がって自分を捉えたのが分かった。また一層体が固まって、背筋に汗が流れるのが分かった。 「鹿野くん?なんでそんな遠くにいるの、こっちおいで」 「・・・いえ、すみません・・・」 「母さん、この人俺の部下で、今俺の付き合ってる人。鹿野目くん」 「・・・こんにちは、鹿野目旬です・・・」 言いながら頭を下げる。あからさまに声が震えたのを、隣に立っている堂嶋が分かったみたいに笑ったような気配がしたが、鹿野目はそれに気をやっている余裕はなかった。ぱっと顔を上げると、彼女はそこで吃驚したみたいに目を見開いてしばらく黙っていたけれど、ふっとそれを笑顔にした。それを見て、肩に乗っていた重いものが、ふっと軽くなったような気がした。 「こんにちは。悟くんの母です。悟くんがいつもお世話になってます」 「・・・あ、いえ・・・こちらこそ・・・」 「それにしても随分大きいのね。お父さんと同じくらいだわ。(カケル)くんより大きいかもしれないわね」 初っ端の感想はそれでいいのかと、鹿野目は思ったが勿論口に出せなかった。彼女は堂嶋にもそういうところがあるみたいに、なんだかおっとりとしていて、不思議な優しい雰囲気のある女性であった。やっぱり家族なのだと、鹿野目はしみじみ思う。 「あー、そうだ。母さん、今日って翔くんいるの?」 「いるわよ、悟くんのボーイフレンドに会うからって朝から美容院に行ってるわ」 「なんで翔くんがそんな気合い入れる意味があるの?」 「さぁ?お兄ちゃんもいいところ見せたいんじゃないかしら」 「翔くんのいいところなんて見たくないよ、別に」 言いながら笑って、堂嶋は靴を脱いでひょいと家の中に上がった。母が屈んで、客用スリッパをふたつ用意してくれている。鹿野目はそれを見ながら、自分も靴を脱がねばと思ったけれど、思っただけで体は全然動かないで、堂嶋が目の前で母と家族らしい会話をするのを、ただぼんやりと目で追っていた。不思議だった。そんな会話をしている堂嶋をこの目で見る日が来るなんて、それはとてももう、鹿野目にとっては言葉にできないくらい不思議なことだった。するとまた堂嶋が鹿野目の気配がないことを察したみたいに振り返って、まだ玄関に突っ立っている鹿野目の手をひょいととるとそれを引っ張った。 「どうしたの、鹿野くん。ホラ上がって」 「・・・あ、あぁ、すいません、なんか、ぼーっとしてしまって・・・」 「悟くん、そんな風にしたら可哀想だわ。きっと緊張してるんでしょう、鹿野目くん」 「・・・あ、すいません・・・」 「いいのよ、狭いところだけど寛いでいってね。遠いところわざわざ来てくれてありがとう」 「・・・―――」 そう言って彼女が笑うのに、鹿野目は目の奥がジンと痺れたような気がした。 「母さん、狭いところっていうのは流石に嫌味なんじゃないかな」 「そうかしら、でも広いところっていうのも変じゃない?」 (・・・親子だ・・・)

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