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第24話
ようやく家族全員が揃い、広いテーブルには堂嶋の母が作った料理がずらっと並べられていた。堂嶋は先にビールを沢山飲んでしまったせいで、眠そうにしているが、その隣で翔は久々の弟が可愛くて仕方がないのか、構っては堂嶋に怪訝な顔をされている。母は食卓についている時間が短くて、あれこれと黙って世話を焼いている。そして父親はそれを見ながらただ静かに微笑んでいた。鹿野目は自分の家族が自分のせいで壊れてしまったことを知っていたから、まさかこんな風に受け入れられる選択肢があったなんて知らなくて、ただ目の前のことが不思議で、いつも見ているはずの堂嶋も誰か知らない人みたいに見えて、ぼんやりと時々絡んでくる翔の話に相槌を打っていた。堂嶋が来る前にきっと大丈夫だからと言って笑っていたことを、自分はどうして信じられないでいるのだろう。もう大丈夫なのだと頭の中ではよく分かっているのに、鹿野目は中々それを理解することができなくて、それが現実だと思えなくて、だから現実感がなくてぼんやりしている。
「鹿野目くん」
「・・・あ、はい」
呼ばれて反射的に返事をすると、それは翔のものではなくて、堂嶋のものでもなくて、隣に座っている父親のものだった。ふっと背筋が寒くなって、今度こそ何か言われるのではと、鹿野目は身構えてしまう。それが分かったのか、彼はその表情を一層柔らかくした。
「まだ緊張してる?」
「・・・し、てます、すみません・・・」
「謝らなくていいよ。君が緊張しているのはごく当然のことだと思うし」
言いながら彼は笑って、ビールを少しだけ飲んだ。そういえば、堂嶋も誰相手にでも呼びかける時に『君』ということを、ぼんやり鹿野目は思い出していた。佐竹が堂嶋さんは結局、根が品がいいから、あんな風な喋り方なんだと、何故かぼやくように言っていたのを思い出す。やっぱり堂嶋はこの家でこの両親に育てられたのだと、鹿野目はそれに突き刺されるように思った。
「僕らも悟くんが電話をくれた時、正直すごく吃驚したよ。でも君がそれでも来る選択をしてくれたのはすごく嬉しかったな。僕だったら多分、怖くてそんなことできないよ」
「・・・そんな」
「君は勇気があるんだな、鹿野目くん」
目の前でチカチカと星が光るのが分かった。目の奥がじんじんと痺れて、このままもしかしたら自分は泣いてしまうのではないかと思った。あの日、鹿野目がまだ高校生だったあの日、抱えきれなくて家族に吐露した時、きっと自分はその言葉が欲しかったのだと思った。そう言って大丈夫だからと抱き締められたかったのだと思った。そしてきっと抱き締めてくれるのだと思っていた、思ったから吐露したのに。昔のことを思い出すのは嫌だった。嫌な記憶のほうが多かったからだ。だけどどうしてなのか、今日堂嶋の家に来てから、昔のことばかりを思い出してしまう。堂嶋の家族は、壊れた自分の家族みたいでは決してないのに。
「僕らも緊張していたんだ、悟くんが連れてくる男の子はいったいどんな子なんだろうって毎日三人で話したよ」
「でも僕らよりも、君のほうがずっと緊張しているはずだから、僕らはできるだけ普段通りにしようって決めたんだ」
そうして彼はすっと目を細めた。視線の先では依然として眠そうな堂嶋相手に、翔が何か言って、また鬱陶しそうにされていた。そうだったのかと、鹿野目は思った。なんとなくはじめに母親に挨拶をした時から、感じていたこの微妙な違和感は、彼らが自然にできるだけ自然に振る舞おうとした結果、出てきたほころびだったのか。別に無理して歓迎されているわけではないのか。考えていると、胸の中にあった小さなしこりが、溶かされていくような不思議な気配がした。
「悟くん、今ではすっかり元気だけど、生まれた時は小さくてね、小学校に入るまで、入退院を繰り返していたんだ。幼稚園もまともに通ってないんだよ」
「・・・そうなんですか」
「本人はあんまり覚えてないみたいだけどね。だから僕らは、悟くんはもう好きに生きたらいいって思ってたんだ。好きなように生きていたらいいって、僕らは悟くんが生きているだけで、他のものはもう何もいらないんだ」
「・・・―――」
そうしてしみじみ昔のことを思い出すように話す彼の横顔を、鹿野目はただじっと見ていた。そんな話は堂嶋から聞いたことがなかったから、全くの初耳だった。現状、堂嶋は残業が多くて、ひどいときには家に帰ったらそのまま眠ってしまうこともあり、鹿野目も一応は気を付けているけれど、生活のサイクルが決して整っているとは言えない。それでも堂嶋はしんどい疲れたといつも言っている割に、体の不調はないようで、年中顔色の悪い柴田なんかよりは、ずっと健康に見えた。
「だから、君がもし、僕たちに申し訳ないとか思っているんだとしたら、それは大きな間違いだよ、大丈夫」
「悟くんがした選択なら、僕らはそれが間違っているなんて、思わないよ」
そうしてまた優しい顔をして、彼はにっこりと笑った。
「・・・悟さんも同じことを、俺に言ってくれたことがあります」
「そうか。仕方がないな、家族だからな」
「・・・すみません・・・ありがとうございます」
「こちらこそ。勇気を出して来てくれてありがとう、鹿野目くん」
「・・・―――」
そうしてまた微笑む。鹿野目がそれに言葉を失っていると、背中にどんと急に衝撃が走って、思わず振り向くと、翔が張り付いていた。
「・・・か、けるさん・・・」
「鹿野目くーん!俺の部屋に来ないか!俺の秘蔵のさとりコレクションを見せてあげよう!」
「気持ち悪い!なんだよ、秘蔵コレクションって!今すぐ捨てろ!」
「そんなこと言うなよー、昔のさとりは小さくてそれはそれは可愛かったんだからな。今は口答えばっかりする子になっちゃったけど・・・」
「いや、口答えじゃないし」
「そうねぇ、昔は翔くんと悟くんに女の子の服を着せて遊んだわねぇ・・・」
「ちょ、母さんまで何言ってんの?そんなことしてたの?」
「だって母さん、二人目は女の子ですってずっと言われてたのよーだからいっぱいかわいい服買って待ってたのにー男の子だったんだもんー」
「そうだ!さとりが空気を読まないのが悪い!」
「俺のせいじゃないだろ、絶対に」
言いながら目の周りを赤くした堂嶋は笑って、また何かを大袈裟なジェスチャーつきで喋り出す翔の腕を突いた。そうして少し離れたところに座っている鹿野目にそっと目を合わせて、そしてにこりと微笑んだ。大丈夫だと思えた。その時、鹿野目は心の底から、堂嶋の側に居れば、側にさえ居れば、きっと大丈夫なのだと思えた。
昔、自分が同性しか愛することができないのではないかと思って、先の見えない暗闇に震えて、けれどそれをひとりで抱え込むのは苦しくて辛くて、誰かに理解してもらいたくて、自分の一番近くの存在に理解してもらいたくて、家族に向かって吐露した時、鹿野目はそこで自分の暗闇は途切れるのだと思っていた。自分は許されて、それでもきっと愛されるのだと信じていた。けれど結果的に、鹿野目の行動が家族を壊して、鹿野目の前にはまた別の意味合いでの暗闇が広がった。どうすればいいのか分からなかった。それでも生きていく選択をしたのは、どうしてだったのか分からない。この未来に、自分をいつか受け入れてくれる存在があるのだと、無邪気に楽天的に信じていたわけではない。単に死ぬのが怖くて、生き続けた結果だったのかもしれない。
けれどそれから何年も経って、知らない家族に囲まれながら、鹿野目ははじめて、心の底から大丈夫なのだと思えた。このままでいても、大丈夫なのだと思えた。それは多分、奇跡みたいなことだった。
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