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第25話

夕食が終わり、お風呂から上がって部屋に戻ると、堂嶋はそこで寛いだ格好でテレビを見ていた。実家の堂嶋の部屋は綺麗に片づけられていて、ほとんど本人の私物はなく、和室に洋服が何着か入っている箪笥とテーブルと、それからテレビがあるくらいだった。実家にほとんど帰ることがないので、いつの間にかこうなっていたと堂嶋は話していた。鹿野目は大学入学と同時に家を出てから、一度も家には帰ったことがない。亜子から時々両親の話を聞いて、元気にしているのだなと間接的に、もはや他人のそれを聞くみたいに思うくらいだ。やっぱり自分の家族は、堂嶋の家族とは全然違った。 「おかえり、鹿野くん」 「すいません、さとりさん。浴衣貸してもらってしまって・・・」 「あぁいいよー、俺もパジャマとか持ってきてないしさ」 「・・・っていうか浴衣ってすごいですね、旅館みたい。お風呂もふたつあるんですね・・・」 「あはは、あれは母さんが好きでさ。最近増設したんだって、俺がこの家にいる頃はひとつだったよ」 言いながら寝そべった格好から起き上がる堂嶋も、鹿野目が借りている兄の翔のものらしい、浴衣と同じ柄のそれを着ている。 「じゃあ、もう寝よっかー、今日なんか疲れたよねー」 「・・・あ、はい」 間延びした声で堂嶋が言うのに、ほとんどうわの空で鹿野目は返事をしていた。確かに疲弊していたことを、今頃思い出していた。堂嶋が隣の部屋に続くふすまを開けると、そこには布団が二組、ぴったりくっつけられて置いてあった。それを見て、堂嶋の動きがぴたりと止まる。 「・・・翔くんだな・・・あー、もうこんなことして!」 頬を赤くした堂嶋が大袈裟な素振りでせかせかと動いて、片方の布団を引っ張って、間には距離ができた。それを鹿野目はふすまの前に突っ立ったまま見ていた。よしと堂嶋がひとりで呟いて、かいてないのに額の汗を拭うような仕草をする。 「・・・鹿野くん?」 「・・・あぁ・・・すいません」 「え?しないよ?実家だからね?しないからね!」 「・・・分かってます」 鹿野目は別のことを考えていたのだが、頬を赤くして堂嶋が慌てたようにそう叫ぶように言うのを聞きながら、そんなつもりはなかったけれど、少しだけ口惜しい気がするから不思議だった。堂嶋は自分で引っ張ったほうの布団に潜り込み、鹿野目はきちんとセットされたままの掛け布団を捲って 中に入った。いつもとは違う布団の感触、いつもとは違う天井が見える。 「鹿野くん」 電気の消えた天井を寝つきの悪い鹿野目はじっと見つめていたが、ふっと暗がりに自分を呼ぶ声がして、隣の布団を見やった。いつもは同じベッドで眠っているので近くにいる堂嶋が、今日はずいぶん遠くに見えた。堂嶋は布団に入ればすぐに寝るタイプの人間だったので、すっかり眠っているものだと思ったが、そこで堂嶋は丸い目を開いて、少しだけ笑っていた。 「なんですか」 「・・・緊張してたね、今日。君があんなにガチガチなのは珍しくて面白かったなぁ・・・」 「緊張、しないほうが無理でしょう」 「あはは、そりゃそうだ」 だから堂嶋は笑っていたのかと、鹿野目は食卓で見た堂嶋の笑顔を思い出しながら思った。もしかしたら、いつもと違う布団、いつもと違う天井、いつもと違う空気を吸って、まだ緊張は続いているかもしれない。堂嶋と二人でいるのは分かっているのに。 「どうだった?」 「・・・え?」 「心配してただろう、来る前。どうだった?大丈夫だっただろう?」 「・・・―――」 枕に頬を押し付けるようにして、堂嶋は口元を綻ばせながらそう言った。そう言って笑って、少しだけ目を細めた。暗闇にいるのに堂嶋の表情の変化は、鹿野目にははっきりと映って見えた。それに返事をしようとして、喉の奥がかすれたような音が出る。 「さとりさん」 「ん?」 「昔、俺がまだ高校生だったころ、自分がゲイなんじゃないかと思って、ずっと悩んでて、家族に相談したことがあるんです」 天井を見ながらつぶやく鹿野目を、堂嶋は少し離れたところから見ていた。鹿野目のその話は、亜子に聞いていたから知っていた。けれど鹿野目の口から聞くのは初めてだった。堂嶋はそれを初めて聞くふりをしながら、少しだけ後ろめたい気持ちに胸を刺されて痛いような気がした。神妙な顔をした亜子からその話を聞いた時、それをいつか鹿野目本人からも聞くことがあるのだろうかと思ったけれど、鹿野目は自分のことはあまり話したがらないし、それが過去のことなら尚更、鹿野目はもしかしたらその話を自分にはしないのではないだろうかと、堂嶋はずっと思っていた。別にされないならされないで良かったけれど、鹿野目は大人だったし、自分で精査して話していいことと悪いことと、話したいことと話したくないことの区別はつけて当然だと、頭では思っていたけれど、でも少しだけ寂しかった。本当は少しだけ寂しかった。 「母親は泣いて、父親は怒りました。亜子も多分、その時は俺のことを軽蔑したと思います」 「黙っておけばよかったのに、俺はそれができなかった。ひとりで抱えるのが苦しくて、誰かにそのままでも大丈夫だと言ってほしくて、家族に話したんです。でも」 「そのせいで家族は壊れてしまった。俺のせいで」 すっと鹿野目の切れ長の目が動いて、それが堂嶋を捉える。どきりと心臓が跳ねたのを、堂嶋は知らないふりをしてただ黙っていた。鹿野目の口調はいつも通り、淡々としていて感情の幅など感じられなかったけれど、鹿野目はきっとその鉄仮面の下で堂嶋や他の誰かと同じように、もしくはそれ以上に、沢山の感情に塗れて今まで生きてきたのだろう、それは堂嶋にも見ているだけで分かった。そして鹿野目がそれを押し殺すようにしなければいけなかった意味も、何となく分かるような気がした。 「だから、さとりさんが実家に来ないかと言ってくれた時、嬉しかったけど多分、怖いほうが大きかった」 「さとりさんの大事な家族を、俺は壊してしまうかもしれないと思って」 「自分の家族を壊してしまったみたいに」 そうして鹿野目はゆっくり起き上がった。着慣れない浴衣がはだけて、暗闇に肌色が溶けている。鹿野目は布団の上で堂嶋に向き直って、そして小さく息を吸った。

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