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第28話

「いやー、ダブルベッドとかえろいっすね!ここでふたりで寝てるんですか!お兄さん!」 「・・・牧瀬くんもうやめてくれないかな・・・」 さっきまで亜子が不憫で可哀想などと思っていたが、亜子はいつの間にか牧瀬の隣をするりと抜けてダイニングテーブルに座って、ピザを食べながらワインを飲んでいる。鹿野目は後でやればいいのに、何故か皆の使ったお皿をキッチンで洗っている。ワインのせいもあるのか、いつも以上にテンションの高い牧瀬に肩を掴まれて、ああでもないこうでもないと広くない部屋の中を連れ回されて、堂嶋はすっかり疲弊してしまっている。助けを呼びたいのに、鹿野目はさっきからずっとキッチンから出てこない。 「あ、ゴムある!男同士でもゴム使うんすね!あ、ローションもある!えろい!」 「あー、もう、鹿野くん助けてよぉ」 「まぁまぁ、お兄さんもうちょっと俺にもゲイのこと教えてくださいよ」 「俺ゲイじゃないって言ったよね?知らないし!」 「ゲイって正常位きついんすよね、いつもどんな感じなんですか?」 「ほんと、君は俺の話を聞かないな・・・!」 呆れて溜め息を吐くと、目をきらきらさせた牧瀬はダブルベッドに座ってにっこり微笑んだ。牧瀬がそうして表面的に明るく振る舞っている裏で、意外とちゃんと亜子や鹿野目のことを考えているのを堂嶋は知っているから、なんとなく亜子みたいに邪険にし切れないでいるのだろう。困って俯く堂嶋の足元にすっと影が伸びて、振り向くとそこに鹿野目が立っていて、堂嶋は我を忘れて抱き着いてしまいそうになった。慌てて足にブレーキをかけて、誤魔化すようにへらりと口元を歪めた。 「何やってるんですか、さとりさん、寝室で」 「何ってー、それは俺が聞きたいんだけど、牧瀬くんが」 「旬、お前煙草持ってる?」 ダブルベッドに座ったまま、牧瀬は今までのことがまるでなかったみたいに、鹿野目がすっと牧瀬に視線を動かすのに合わせて会話を分断して、そう言って首を傾げた。逃げたなと思って堂嶋が唇を噛みながら、牧瀬のそれを鹿野目に告げ口したって別に構わないし、鹿野目は牧瀬のことを怒ったりするのかどうか、ふたりの関係性がよく分からない堂嶋は予測できなかったけれど、散々好き勝手された代償に、そうしてやってもよかったかもしれないが、堂嶋はその時何故か結局何も言えなかった。鹿野目は素直にパンツのポケットを探っていつものマルボロの箱を取り出した。それを放ると牧瀬は座ったままそれをキャッチした。 「おー、さんきゅ。相変わらずマルボロ」 「煙草吸うならベランダ出てよね、うちの中禁煙だから!」 「えー、お兄さん吸わないんですか?」 言いながら牧瀬はようやく立ち上がって、寝室を出ていく。鹿野目がその背中を追いかけるので、堂嶋は後ろ手で散々荒らされた寝室の扉を閉めた。 「旬も吸うだろ、ライター持ってきて」 「・・・いいけど」 牧瀬が勝手にベランダに続くガラスの扉を開けて外に出るのに、鹿野目もそれについていくことになる。とりあえず牧瀬は鹿野目に任せておけば大丈夫だと、ほっとした堂嶋は暫くふたりで話していればいいと思って、鹿野目がベランダの扉を閉めようとするよりもはやく、それを内側から閉めた。満足そうにする堂嶋の顔をベランダから見やっても、鹿野目にはその意味が分からない。 「さとりさん何か怒ってる・・・?」 「生理近いんじゃない?」 「・・・せいり」 鹿野目が呟くように繰り返すと、牧瀬はベランダの手すりにもたれたまま、あははと笑い声を上げた。鹿野目ならあるいは、自分の冗談を一度は、そんな風に字面通りに受け取ったりするのかもしれないと思う。そして振り返った鹿野目にマルボロの箱を投げる。 「吸えば」 「・・・なんだ、お前が吸いたいんじゃないのか」 「俺元々吸わない人じゃん、知ってるだろ?」 にこっと笑うと鹿野目はそれに大したリアクションはせずに、箱から一本煙草を引き抜いて、それに持ってきたライターで火をつけた。そう言えば、牧瀬が煙草を吸っているところは見たことがないと、昔の記憶を掘り起こしながら何となく思う。 「じゃあなんでいるなんて言ったんだ」 「旬とちょっと話したくて」 「なにを」 時々甘えるみたいな声を出す癖がある牧瀬のそれを、鹿野目は長い間側に居るからもう慣れてしまっているので何も言わないが、女の子は結構こういうのが好きで、割と好評を得ているのだ。かわいいと言って頭を撫でてくれる、母性本能を擽られるらしい。勿論、そんなことは鹿野目にとっては無意味でしかなかったが。そして多分、今頃堂嶋と顔を突き合わせて、まだ仏頂面でピザを食べている亜子にも無意味だった。気持ち悪いからやめてと、拒絶されたことがあるくらいだ。相変わらず、自分の武器はこの不思議なきょうだいには何も通用しない、考えながら牧瀬は奥歯を軽く噛んだ。 「お兄さんとさ、実家帰ったんだって?」 「亜子か」 「お前もさ、大事なこと妹に聞かれるまま喋んなよ。こっちに筒抜けだぞ」 「・・・だってちょっと、嬉しかったから」 「お前そういうかわいいとこあるよな、俺今不覚にもきゅんとしたわ。あはは」 「・・・悪いけど、俺、さとりさんと付き合って・・・―――」 「オイ、マジにすんな!俺を勝手にふるのはやめろ!」 それが冗談だと分かったのか、鹿野目は途中で言葉を切って、それから唇の間から煙を吐き出した。全く冗談が通じないのは昔からだったが、大人になっても鹿野目は、そのままで変わったところがあまりない。そんな感じで社会で上手くやっていけているのだろうかと、こちらが心配ばかりしていることに、そして本人は余り気付いている様子がない。でもまぁそんな風に心配ばかりするのも、もうそろそろ終わりかなと、牧瀬は部屋にふっと目を戻した。カーテンが開いているせいで中の様子は良く見えた。ダイニングテーブルの端に隠れるように座っていた亜子の正面に、いつの間にか堂嶋は座って、何やら話しながらひとりで笑っている。ホームパーティなんて口実で亜子を家に呼んだことも、そして自分を呼んだことも、それが全部堂嶋の考えなのだと牧瀬は分かっていた。鹿野目がまさかそんな他人の心の機微に今更敏感になれないことは、よく分かっていた。この鉄仮面は多分、亜子が最近家に来なくなったことにすら気づいていないに決まっていた。 「ぼんやりしてる割にすげーな、やること。尊敬するわ」 「・・・さとりさんは別にぼんやりしてない」 「そう?なんかおっとりしててふわふわーって感じじゃね?」 「・・・ふわふわ・・・?」 言いながら鹿野目が首を傾げたので、またこれは伝わってないと思ったけれど、牧瀬はそれを修正するのが面倒臭いので適当に笑って誤魔化しておいた。

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