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第7話『無茶振りの果てに』
翌朝。
まだ夜も明けきらないうちに殿に呼び出され、俺と秀太郎は殿のお住いにある庭に来ていた。
「こんなに朝早くから稽古ですか」
「済まんな、稽古はこの時間と決めておる」
殿は俺に身支度を手伝わせると、朝からいつもの無表情で木刀を振っていらした。
「……では、早速お相手致します……」
殿と向かい合うと、秀太郎の眼が変わる。
俺もそんなに知らない、もうひとつの顔。
小袖に袴姿で木刀を構えた姿は武人そのものだった。
「我が主、弦次郎さまより手加減はしなくて良いというお話でしたので、それなりにやらせて頂きます……」
「!!」
勝負は目に見えていた。
秀太郎が素早く剣を振り、殿は防戦一方だ。
「……っ……!!」
いつもの柔らかな雰囲気の秀太郎はそこにはなく、あっという間に殿を地面に倒すと木刀の先をその首に向けていた。
「……思ったよりはお強かったです」
「ふ…、儂が受けてきた稽古などやはり大した事がなかったという訳か。秀太郎よ、朝早くから済まなかったな」
泥だらけになった殿は起き上がると、その泥を自らお払いになられる。
「弦次郎、風呂に入る。支度せよ」
「あっ、はい、かしこまりました」
「秀太郎、また明朝稽古をつけてくれ。今日はもう下がって良い」
「……ははっ……」
秀太郎に礼を言う間もなく、俺は殿に言われてその場を離れていた。
その時に俺を見ていた秀太郎の目が悲しそうに見えたが、どうする事も出来なかった。
「あの者は普段何をしておる」
「今は城下の警護についております」
「そうか。お前の家臣ならばお前の傍が良かろう。明日よりお前が屋敷にいる間はこの屋敷内の警護に当たらせる」
慌てて用意した風呂に入ると、殿はそう仰った。
「よろしいのですか?」
「あの者のお前を見る目は何とも不思議な目をしている。それが何なのか、儂はそれも知りたいのだ」
「……はぁ……」
「あれに近いのは……そう……幼き頃、母上が儂を見ていた時の目だ」
その冷たい眼差しのまま、殿は風呂から出ても何かを考えておられる様だった。
「母上は儂を慈しんでくれた。父上より女は不浄と言われ、会えなくなるまでの話だが」
「……そりゃ随分酷い話ですね。んな事言ったらお世継ぎなど成せないでしょうに」
共に食事を済ませ、俺が淹れた茶をふたりで啜る。
「……女と酒を知れば穢れ、正しい道から外れてしまう。儂は幼き頃よりそう父上から言われ、育ってきた」
「そうですかい。そりゃまた……」
殿から見たら、酒も女も知っている俺はどれだけ穢れている男だろう。
そうか。
それを知らないからこそ、殿は冷たく見えるほどに凛としておられるのか。
「だが、お前が道を外れているようには見えぬ。秀太郎のような家臣がいる事もその証だ」
「もったいなきお言葉、ありがたく存じます……」
「お前はあの者の主としてあの目の意味を知らぬのか?」
初めて、殿がその感情を露にされたのを俺は見た。
俺の胸倉を掴み、その答えを早く知りたいのか、焦っておられる様だ。
この御方は、愛を知らない。
人を想う心を知らない。
どうする?
その答えを伝えるだけなら容易い事だ。
それでこの御方のお気持ちが晴れるのか?
「そりゃ……分かりますよ。伊達に歳食ってないんでね」
「ならば言え」
「それを知って、殿はどうされるおつもりで……?」
殿がこんなにも熱くなられておられる。
俺はそんな殿をからかってみたくなった。
「どうもしない。儂が知らぬ事を知る事が出来たと思うだけだ」
「左様でございますか……」
その雪のような肌に赤みがさしていて、何とも言えない美しさがある。
「……秀太郎は俺に恩を感じ、傍を離れぬと話しております故、その決意が表れてるのかもしれませんな……」
「そう……なのか……」
さぁ、どう出る?
俺は黙って殿を見ていた。
「……お前はどうだ?」
「へ?」
思ってもみない言葉が返ってきた。
「お前が儂に向けるその目は何だと聞いているのだ」
「…………」
殿が距離を詰めてくる。
その澄んだ瞳の中に汚い俺が映っているのが見える程だ。
「……殿は俺にどう見られたいんですか……?」
俺は笑って尋ねてみた。
きっと、否、間違いなく殿は答える事が出来ないだろう。
故に、俺にこう言われて殿がどうなさるのか知りたかった。
「儂が聞いておるのだ。弦次郎、答えよ」
殿は決して退かない。
そのまっすぐな眼差しをそのまま俺に向けたままだ。
ならば……。
「俺に新しい世界を見せてくれるのは殿だけであると信じての目にございます……」
「新しい……世界……?」
殿の手が俺の胸倉から離れる。
予想もしなかった言葉にただただ驚かれておられる様だった。
「国同士で土地を奪い合う事も身分によって自由が制限される事もない、誰もが等しく暮らせる世界。俺は殿ならばそうした世界を作って下さるのではないかと信じております」
「…………」
殿は俺から目を逸らし、俯いてしまう。
「何を言い出すのかと思えば……やはりお前は実に面白き男だな」
そう仰って、もう一度俺を見る殿のお顔はいつもの無表情の様で、少しだけ笑っておられるように見えた。
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