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第9話『雷雨』

「これはしばらく止みそうにないでしょう。弦さん、傘貸してやるからそれ使って帰るといいよ」 「あぁ、済まねぇな、吉次」 「若殿様とお話出来るなんていう貴重な機会をありがとな、また来てくれよ。若殿様も是非」 「うむ。今日は面白き話を数多聞かせてもらった。感謝致す」 吉次に見送られ、俺たちは借りた傘を被り城に戻った。 何とか見つからずに戻ったものの、結構な雨になっていたので傘を被っていても着物が濡れてしまっていた。 「済まんな、お前の着物、濡らしてしもうた」 「大丈夫ですよ、洗えばいいだけですか ら。それより殿、いつまでも濡れたものをお召しのままでは風邪を召されます。お召かえを……」 新しい衣を取りに行こうとしたその時、大きな雷の音がした。 「ひ…………っ!!」 怖かったのか、殿が俺に抱きつき、腕の中で震えている。 「弦次郎、行くな。このまま傍にいてくれ」 こんなに力強く俺の身体を掴んでくるなんて、余程雷が苦手なんだな。 可愛いところ、あるじゃねぇか。 「ですが、濡れたままでは……」 けど、そんな呑気な事言ってて殿に何かあったらマズイ。 そう思って殿を説得しようとしたが、強情な殿が俺の言う事など聞く訳がなかった。 「うるさい、ならば脱げば良いのだな。弦次郎、お前も濡れたのだから脱げ」 震えているかと思えば、殿は突拍子のない事を仰り、何の躊躇いもなく俺の着流しを脱いでいった。 風呂に入っている時と同じだと思っているんだろうか。 「……かしこまりました」 俺が着流しを脱ぐと、殿はすぐに俺の背中に腕を回してくる。 俺の浅黒い身体にその白く美しい肌が重なり、妙な気持ちになった。 「弦次郎」 「はい」 「こうしてお前の心の臓の音を聞いていると、何故か心が和らぐ……」 「…………」 穏やかな顔をして俺の胸に縋り付くようにしておられる殿。 その御顔が急に愛おしく感じ、ついその細い肩を撫でていた。 「な、何をする!?」 「す…すんません、殿のお言葉が嬉しくてつい」 「…………」 殿は暫しの沈黙の後、仰った。 「弦次郎は儂くらいの時、このような雷の日はどう過ごしてきたのだ?」 「そうですね……酒を飲むか、女と過ごすか……と言ったところだったかと……」 「……さすれば雷など気にもならぬという事か……」 この御方は一体、30を過ぎたつまらない男の胸に顔を寄せて何をお考えなのだろう。 「先頃、露木(つゆき)に言われたのだ。そろそろお世継ぎの事を考えて欲しいと。だが儂はどうしても気が進まぬ。女を知らぬのにすぐに子など成せるものなのか」 「それは……確かに……」 家老の露木殿、とうとう業を煮やしたのか。 だが、いくら殿の気が進まなくてもそれは避けられない事だろう。 「お前はどうだ?」 それを言われると、胸が痛んだ。 が、もう過ぎた事だ。 嘆いたところで妻や子が戻ってくる事などない。 「たった一度きり、ほんの一時でしたが、俺にも妻子がいた事があります。出産が上手くいかず、ふたりとも死んでしまいましたが」 「…………そうか。辛い事を聞いてしまったな」 「いいえ、それがあったからこそ、俺はこうして殿にお仕えする事になったんです。それに俺はひとりでいる方が性に合っていたんだと思います」 「……弦次郎……」 俺が笑いながら言うと、殿は俺の頬に手を伸ばす。 「無理に笑わんでも良い。家族が死んで悲しくない筈がないだろう」 「殿…………」 あぁ、この御方の心はその冷たい眼差しに隠れているだけでこんなにもあたたかい。 俺はその白く華奢な身体をきつく抱擁してしまっていた。

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