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人生初デート
約束の日が来た。
14時に映画館前に集合、14時半から始まる映画を見て、その後は近くの店で食事、という約束だった。
約束の5分前に映画館前に向かうと、大木がすでに到着していた。
それこそ、メッセージアプリに「着きました」と着信があったのは20分も前のことだ。
休日だけあってか辺りは人が多かったが、大木は目立って背が高いから、人ごみの中でもあっという間に見つけられる。
「円さん!」
円を見つけるなり、大木の表情がぱっと明るくなる。
飼い主が帰宅するなり、しっぽを激しく振る犬みたいだ。
「待たせたね」
「ぜんぜん待ってないです!行きましょう!!」
大木が円の手を引き、2人して映画館へ入って行く。
──大木くん、手も大きいな
自分の手と大木の手の大きさの違いに改めて驚きつつ、円は空いている方の手でマスクとメガネ、スカーフの位置を直した。
「円さん、何か見たいのあります?」
映画館の壁に並んだポスターを眺めながら、大木が聞いてきた。
「これかな…」
円が自分から見て右の方にあるポスターを指差す。
パルムドールだか何だかの賞を取ったとかで以前から話題になっていたし、知智さんが「面白かったわよ」と言っていたので、円も見てみたいと思っていたのだ。
しかし、デート向きではないかもしれない。
一夜限りの相手ばかりしてきた円には恋人がいたことがないから、こういうときにどんな映画を選ぶのが最適かわからないのだ。
──こういうときって、どうすればいいんだろう?
デートでこれ見たら、ドン引きされる?
そしたら軽井沢くんとかに心移りするかな?
わざと嫌われるような行動を取るのは容易いが、度が過ぎれば妙な遺恨を残すことになる。
そうなれば会社で変な噂を立てられたり、オメガであることを暴露される危険性もある。
どうしたものか。
「いいですね、俺も見たかったんです」
戸惑う円の心情など何でもないと言わんばかりに、大木が答えた。
そんなわけで、どの作品を見るか決めるのに、さほど時間はかからなかった。
ポップコーンやらコーラやらを買って劇場内に入り、しばらく経つと、劇場内が暗転した。
映画は全員失業中の貧しい4人家族が、学歴や経歴、名前を偽って裕福な家庭に取り入ろうとするところから、話は始まる。
前半はコメディタッチで面白かったし、劇場内には笑い声をあげる人もいた。
しかし、物語も中盤になってくると、想像を絶する秘密が明らかになり、終盤は血みどろの惨劇が展開されていく。
登場人物が死に至るシーンでは「ひいっ」と小さく悲鳴をあげる人がいたし、ラストシーンは暗く、何とも言えない後味の悪さが残った。
映画が終わった後、2人は近くにある安いイタリアンレストランで食事を摂ることにした。
「なーんか…後味悪いっていうか、スゴい終わり方でしたけど、円さんはどう思いました?」
店に入って席につくなり、大木が感想を聞いてきた。
「ボクは悪くないと思うよ」
本心からの感想だった。
幸せとは言えないエンディングだったし、終わった後は異常な緊張感に襲われたが、妙に引き込まれるような、魅力ある映画だった。
何より円を惹きつけたのは、貧しい一家の団結力だ。
映画に登場した家族は決して褒められた人たちではないし、貧困に悩まされてこそいたが、あの一家には間違いなく「家族の絆」があった。
円には無縁の、手にすることができなかったもの。
一方、裕福な家族は自分たちの力では料理も運転もできないし、夫婦は我が子がそう遠くないところにいるのに、セックスに夢中になっていた。
その姿は、円が幼い頃に見たどうしようもない連中を思い起こさせた。
見た目は美しいが、浅はかで自立心がなく、自分だけの力では何もできない。
そのみっともない姿を、円は人生の反面教師にした。
話題は何を食べようかという話に移り、円はシーフードドリア、大木はピザにパスタ、フライドチキン、ドリンクバーも注文した。
「ねえ、大木くん。ボク、君に話してないことがあるんだ」
料理を運ばれてくるのを待っている間、円は切り出した。
「何ですか?」
大木がドリンクバーで入れてきたメロンソーダを飲み切った。
「ボクね、君と付き合うちょっと前まで、マッチングアプリで相手を募って、売春してたんだよ」
これを言えば、別れようと考えるか、そうでなくてもある程度は距離ができるかもしれない。
大木の性格上、会社に暴露する可能性は低いし、少なくとも「あの事件」の当事者であることがバレるよりはマシだった。
「お金が必要だったんですか?」
「うん、それもあるね。あと、抑制剤を買うお金を節約するためってのもある。発情期が来た頃を見計らって、そのときに相手を探して、お金出して貰ってたんだ」
「俺、相手の過去について問い詰めるようなことしません。今はしてないんですよね?」
大木は円に告白したときと同じように、真剣な眼差しでまっすぐ円を見た。
「…うん」
これは事実だ。
大木が事あるごとに円に会いたがるせいで、相手を探す暇などとうの昔になくなっていた。
「じゃあ、いいじゃないですか」
大木が屈託なく笑ってみせた。
この反応では、「別れたい」という気持ちを芽生えさせるのは難しいだろうと、円は諦めた。
食事を終えてレストランを出た後は、駅まで一緒に歩いていくことにした。
「今度はどこに行きましょう?水族館?動物園?あ、ショッピングとかどうですか?」
パスタにピザ、フライドチキンの後、デザートにチョコレートケーキとパフェまで飲むようにペロリと平らげた大木は、軽い足取りで機嫌良さそうに歩いていた。
大木の鋼の肉体は、あの旺盛な食欲によって作られたものだったのか、と円はひとり納得した。
「どこでもいいよ」
「どこでもってのが一番困るんですよー」
困ったような、それでいてどこか嬉しそうに大木が笑った。
「本当に、どこでもいいんだよ。大木くんが決めて」
本音を言えば、どこにも行きたくない。
ずっと家にいたいし、たまにセックスの相手をしてくれたら、それでいいのだ。
「あと、そろそろ「大木くん」って呼ぶのはやめてもらえませんか?名前で呼んで欲しいんです」
「わかったよ……知成くん」
仕方ないなと名前を呼んだ途端、大木が赤面した。
──笑ったり、キリッとしたり、赤くなったり、忙しい子だな
でも、何故だろう。
そんなところが、なんだか可愛いと思う気持ちが芽生えてきた。
「円?」
聞き覚えのある声に呼ばれて、振り返った後になって、円は後悔した。
振り返った先にいたのは45歳前後の男で、ほっそりした体を看護師白衣で包み、その上に黒いカーディガンを着ている。
首には青いスカーフが巻かれていて、円と同じように首全体を覆うような巻き方をしている。
「久しぶりだね」
男が円に微笑みかける。
「えっと、お知り合いですか?」
男と円を交互に見て、大木が不思議そうな顔をした。
男は親しげに話しかけてくるのに対して、円は不機嫌そうに顔をしかめている。
「その人、ボクの母親だよ」
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