13 / 34
母親
円の母だというその男は、ほっそりしていてかつ、美しい顔をしていた。
白い肌には年相応のシワが刻まれているものの、シミやくすみはなく、髪はしっかりと七三に分けてセットされていて、1本のほつれも見当たらない。
白衣もカーディガンも靴もバッグも、汚れやキズがほとんど見られず、大木に「きっちりした人」という印象を与えた。
デートだというのにボサボサの髪に毛羽立ったパーカー、着古したジーンズ、流行遅れなスカーフ、大きな黒縁メガネにマスク、ほつれが目立つトートバッグという出立ちの円とは対照的だ。
「え?お母さん?」
大木が間の抜けた声を出す。
「母親はオメガの男なんだよ」
「あ…そっか、あー、はじめまして。俺、円さんとお付き合いさせてもらってます、大木です!」
大木は上半身を垂直に曲げるように、頭を深々と下げて挨拶した。
「うん、はじめまして」
母は眉ひとつ動かさず、淡々とした態度で挨拶を返した。
「こんなとこで何してるの?」
円は母を軽く睨んだ。
「この近くにある会社の健康診断のバイトに行ってたんだよ。その帰りにこの辺ブラついてたんだ。お前は……デート中だったんだね?」
「まあね」
円が冷淡に答える。
「そっか、いいところを邪魔して悪かったね。失礼するよ」
母親は円たちに背中を向けると、軽やかな足取りで去っていった。
「…お母さん、おキレイですね」
去っていく母の背中を見送っていた大木が、気まずそうな顔をして口を開く。
久しぶりに会った親子と思えないぐらいに、殺伐とした空気を漂わせる2人に耐えかねたのかもしれない。
「まあね」
「お母さん、看護師さんですか?」
大木が尋ねてきた。
あの服装から考えれば、そう推理するのが妥当だろう。
「うん」
正確に言うと母は助産師だが、それをわざわざ訂正する気も起きない円は、大木の疑問に対して短い肯定の言葉を返すだけだった。
数日後、円が仕事を終えて家に帰ってくると、部屋のど真ん中で母がくつろいでいた。
「おかえり、お邪魔してるよ」
だらけた姿勢でローテーブルに寄りかかった母が、小さく右手を振る。
この母はいつもこうだ。
何の連絡もなく突然来訪してくるなんてしょっちゅうだから、円もいい加減慣れてしまった。
無遠慮に円の家のマグカップを使って、コーヒーなんか飲んでいる。
おそらく、キッチンに置いてあったヤカンやインスタントコーヒー、ティースプーンなんかも勝手に引っ張り出したのだろう。
「お前が恋人作るなんて意外だったよ。あの子アルファ?ベータ?どこで知り合ったの?」
帰宅してきた我が子に対して放った第一一声がそれだった。
「職場の後輩のアルファ。あと、恋人じゃないよ。いや、今は恋人だけど、いずれ別れるつもり」
母に見向きもせず、円はマスクとメガネ、スカーフを取り、上着をコートハンガーにかけた。
「どうして?彼に何か不満でもあるの?背が高くてイケメンだし、あの態度見た限り、真面目ないい子だと思うけど」
母がコーヒーを一口飲む。
「不満はないよ。ただ恋人なんか欲しくないし、番も作る気が無いだけ」
円もコーヒーを飲もうと、まだ温かいヤカンを手に取った。
ヤカンの中にはわずかにお湯が残っていたが、コーヒー1杯分には及ばない。
円はヤカンに水を足し、コンロの火をつけた。
「あの人よりはいい男だと思うけどねえ」
母がローテーブルに肘をつき、自分の頬に手を当てた。
きちんと手入れされている、医療従事者特有の傷ひとつ無いすべすべした手だ。
「あいつと比べたら大半の人はいい男だよ」
言いながら円は、マグカップにインスタントコーヒーを入れた。
「うーん、まあ、そうかな」
母は一瞬目を泳がせたかと思うと、もう一度元の位置に戻した。
「あと、わかってると思うけど、「あのこと」を知成くんに言わないでね。絶対だよ?」
円が母をギロリと睨みつける。
「うん、もちろん」
そんな円の態度などものともせず、母はコーヒーを一気に飲み干したかと思うと、そばに置いてあったカーディガンを着て、バッグを手に取った。
「あ、でも、ひとつ忠告しとくね。彼と結婚するとか番になるとかいう話になったら、いつかは話さなくちゃいけないと思う。その覚悟は決めとくんだよ?」
それだけ言うと、母は円の脇をすり抜けていき、玄関で靴を履くと、さっさと部屋を出て行った。
──お前なんかに言われなくても、わかってるよ、そんなこと!
円はキッチンのシンクにマグカップをガンっと叩きつけるように置いた。
ともだちにシェアしよう!