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M区IT企業CEO刺殺事件

母が帰った後、円はスマートフォンで「M区IT企業CEO刺殺事件」と検索してみた。 膨大な量のサイトが出てきて、円は手始めに辞典サイトの概要ページを開いた。 『M区IT企業CEO刺殺事件とは、T都M区にあるタワーマンションで発生した殺人事件で、加害者の女(オメガ、当時35歳)が夫(アルファ、当時40歳)の背中を包丁で刺し殺し、その後は自殺を図って自身の首を掻き切ったが、一命を取り留めた。 また、その場にいた妊娠中の男性オメガも切りつけられて軽症を負い、後に流産した。 現場には逃げ遅れた子ども(当時3歳)もいて、被害者と加害者両方の血液を浴び、感染症の疑いがあったため緊急搬送に至った。 本事件は「オメガによるアルファ殺害」という点から日本社会に大きな影響を与え、オメガの社会的地位の低さや人としての在り方に激しい批難、疑問の声が飛び交った。 事件が起きた20xx年当時はオメガへの偏見が激しく、就ける職業も限られていた。 就けたとしても非正規の低賃金がほとんどで、自立するのは難しい。 そういった背景から、オメガの大半は水商売に従事するか、金持ちの愛人にならざるをえなかった。 加えて、富裕なアルファたちの間でオメガを何人も番にして囲うことがステイタスとされるようになっていた。 事件後は社会学者や人権団体が「世の中がオメガの進学や雇用にもっと寛大に、積極的になっていれば、この事件は起きなかったはずだ」と述べている。 ・被害者男性について 父親が大手IT企業の重役であり、自身も子会社のCEO。 「今後、日本に影響力のある人物」としてメディアにもたびたび露出し、名前も各地に知れ渡っていた。 本事件がマスコミに大きく取り上げられた原因は、彼の知名度が大きいとされている。 事件現場となったタワーマンションは元々仕事場という名目で購入していたが、実際は複数のオメガを番にして囲うためであった。 番にしたオメガは20人前後、庶子は30人前後。 事件後は「仲間内で番にしているオメガや子どもの数を競っていた」「アルファとオメガは主従関係、と常に豪語していた」など数々の証言が報告されており、また、こういった見方をするアルファは彼だけでなかったことが報道されるようになり、後にオメガの社会的地位向上が叫ばれるきっかけを作った。 ・加害者の女 現在はM区刑務所で服役中。 実家は資産家で、父がアルファ、母がオメガ。 被害者男性と唯一婚姻関係があった人物で、言わば本妻。 古くからの友人知人からは「地味で真面目だった」という声が多く、被害者男性と結婚するまで、色恋沙汰とは無縁だったと推測される。 被害者男性とはお見合い結婚であり、半ば家同士の結婚という格好であった。 ・事件の経緯 20xx年x月x日、昼食を終えた被害者男性とオメガの男女5人、子ども2人(12歳と3歳)が部屋で談笑していたところ、女が玄関ドアから侵入してきた。 女は被害者男性に背後からゆっくり近づき、刃渡り15センチほどの包丁で男性の背中を無言のまま2回刺すと、その場にいた妊娠中の男性オメガも軽く切りつけた。 それにより、男性オメガは転倒、流産に至った。 このとき、5人の男女と12歳の男児は逃げることができたが、3歳の男児は逃げ遅れた。 女は逃げ惑う男女と子どもには見向きもせず、うつ伏せに倒れた男性の背中を続けて2回刺した。 さらに、女は自殺を図って自身の首を掻き切った。 現場にいた女性オメガの通報によって警察官が駆けつけたところ、男性は絶命していたが、女はまだかろうじて意識があったため、救急搬送された。 現場に取り残されていた3歳男児も女と同様に搬送されている。 ・事件の後 事件を起こした動機について女は「今までの浮気は許してきたが、自分の弟とまで不倫していたことがわかって許せなかった」と語っている。女は殺人罪に問われ、無期懲役の判決が下された。』 円は辞典サイトを閉じると、別のサイトも開いてみた。 何百とあるサイトの中から、目に止まったタイトルを1つずつ読んでいく。 『あれから25年、M区IT企業CEO刺殺事件』 『M区IT企業CEO刺殺事件に見るオメガの立ち位置』 『関係者が証言……M区IT企業CEO刺殺事件が起きた社会背景』 プロのライターが書いたニュースサイトから、趣味の片手間程度にやっている個人ブログまで、膨大な数のサイトがあり、円はそれらの中から目についたものを大雑把に読んでいった。 『若く貧しい体を売るしかないオメガが掃いて捨てるほどいる社会は、好色なアルファにとってはパラダイスとなる。 彼もまた、パラダイスの住人だった。 M区のタワーマンションの最上階に居を構え、彼は自らが囲ったオメガを1人につき一部屋、このマンションに住まわせていたそうだ。 上層階はもっぱら、彼の番になったオメガたちが独占していた。 友人知人によれば、彼はたびたびこのマンションを「ここが俺のハーレム!」と自慢していたという。よもやそのハーレムが地獄と化すことなど、誰が予想しただろうか…』  『ドアを開けたら、そこは血の池地獄でした。 男の人が豪華でオシャレな広いリビングの真ん中で倒れていて、その隣で首を切った女が寝転がってて、そばには血塗れの子どもが放心状態で座ってるんです。 子どもを連れて行こうとしたら、何か変な音がしたんですよ。ヒュー、ヒューって音。女の首の切り口から出た呼吸音だったんです。切り口からは血がドバドバ出て、血と一緒に息も漏れ出てたんですよ。びっくりしてね…でも、まだ助かるかもと思って、急いで救急車を呼びました (現場に向かった警察官の証言)』 『被害者男性と番になっていた男性オメガは、こう証言する 酷い人でした。こっちが嫌がってもお構いなしに行為を要求してきて…避妊は絶対してくれないし……別れようにもオメガには仕事が無いし、あの人にすがるしか生きていく方法はありませんでした……』 『人を殺した以上は償うべきだと思います。でも、あの人も気の毒なもんですよ。不妊体質でなかなか子どもができないのを責められたって言ってたし、旦那の浮気に悩まされてたみたいだし、親に相談しても「オメガが文句言うな」「アルファならそれが当たり前」って突っぱねられてたみたい。根が真面目だから、律儀に親の言うこと守って我慢したんでしょう。でも、我慢の限界がきたのかな。それがあんな形で出たのかも (加害者の女の知人より)』 どの記事にも、事件に関わったオメガたちに同情的な意見が掲載されているのを見て、円はフンとせせら笑った。 ──この記事書いた人たち、あのオメガたちが好き好んで飼われてたなんて、ちっとも思ってないだろうな

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