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転機
大木は円の告白に、疑うような視線を送った。
もっとも、これは予想できていたことではあったから、何ということはない。
こんな話、即座に信じられる方がおかしいのだから。
「まあ、信じられないだろうね。信じてくれなくていいよ。でも、ちょっとだけ話を聞いてくれる?」
「…はい」
大木が生唾を飲む音が、はっきりと聞こえてきた。
「ボクはそのアルファの愛人の子でね。多分、痴情のもつれなのかな。それが原因で、3つのときに親父が本妻に、目の前で刺し殺されたの。そのときに親父の吹き出した血が顔に飛んできて…その後、親父を刺した本妻が自殺しようとして、自分の首を包丁で切ったんだよ。その人の血も飛んできた」
「…そうですか」
「うん、ボクがマスクしてるの、顔に水滴が飛ぶのが嫌だからなんだよ。汁物飲んだときとか、雨降ったときとか、顔に水滴が飛ぶと、このこと思い出して気分悪くなるからね。メガネもそのためだよ」
「……そうだったんですね」
大木が俯いた。
いつもの元気な様子が嘘のように、しんみりした顔をしている。
「ねえ、知成くん。こんなこと知っても、まだボクと付き合う?」
どうか「別れる」と言って欲しいと円は願った。
そうしたら、転職だって、これから生きていくのだって、何の後腐れもなく前に進める。
「…そんなこと、今さら別れる理由にはならないでしょう。円さん、何も悪くないじゃないですか。むしろ、被害者なのに…」
「まあ…そうだけどね。でも、世間はそういうの関係ないんだよ。ボクは被害者の家族だし、現場にいたから、向こうからしてみれば「関係者」なんだよ。どうやって知ったのかわからないけどね、マスコミ関係者とか、事件に興味を持った人が未だに実家に来ることがあるんだ。ボクの家は今のところ知られてないみたいだけど、でも、いつそういう人がやって来るかわからないよ?あの人たちはボクのことを人間と思ってないからね」
「ひどい…」
大木が円を見つめた。
きっと、彼の中でいろんな感情がせめぎ合っているのだろう。
怒鳴りだしそうな、泣いてしまいそうな、なんとも言えない顔をしている。
「だからね、このままボクと関わってたら、マスコミにつけ狙われるかもしれないよ?君も「関係者」になる。それでもいいの?」
「ぜんぜん平気です!」
大木は円の手を握って、真正面から円の顔を見た。
大木の純朴な瞳は、しっかりと円をとらえて離さない。
──ああ、なんて優しいんだろう
円は心が軽くなるのを感じた。
思えば、この話を他の誰かにしたことがない。
秘密を打ち明けることがこんなに楽なことだとは思わなかったし、秘密を持ち続けて生きることがどれだけ辛かったか、ようやく自分で理解できた。
同時に円は、もう大木と番になってしまおうかと思った。
一度番になってしまうと、番になったアルファ以外の子どもができにくくなると聞いたことがある。
それでも、番を作ればあの厄介な発情期はもうやってこない
何より、大木は父のような放蕩者とは違い、誠実そのものだ。
今の今まで、いつでも円を気づかってくれた。
このまま大木と番になって、結婚して子どもが生まれたら、この上もなく幸せに暮らせるのではないか。
そんなことを考えているうち、腰の奥がじくじく疼いてきた。
──ああ、そういえば、今日…発情期だ。
「ねえ、知成くん。ボク、いま発情期なんだよ。抱いてくれる?」
円は大木の首に腕を回した。
円は回した腕に力を入れて、大木にしがみつくようにして抱きついた。
「円さんっ!いま首輪してないでしょ!俺、フェロモンにあてられて噛んじゃうかもしれないから!せめて首輪してください!!」
大木は円の肩に手を置いて腕を突っ張り、なんとか引き離そうとする。
「別にいいよ」
円は口をすぼめて、暗にキスを求めたが、大木はそれに応じようとはしない。
「よくないでしょ!」
「ココ、こんなになってるのに?」
円が大木の股に手を置くと、そこはもう雄としての兆しを見せていた。
円の体からフェロモンが出始めていて、それが効いているのだろう。
必死に理性を働かせても、肉体の反応は正直そのものだ。
「なってるけど…ダメです!あっ、ちょっと…そんな、触らないで……」
円の体がじくじく熱くなっていくのと同時に、大木の抵抗が弱まっていく。
「ねえ、お願い…抱いて?」
赤く染まった大木の耳元で囁くと、大木が円の体を押し倒してきた。
脳が完全にフェロモンに支配されてしまって、理性も崩壊してしまったのだろう。
円を見おろす大木の瞳は、これから獲物を捕食する猛獣みたいにギラギラ光っている。
大木の顔が近づいてきたかと思うと、大きな口が円の唇を捕らえた。
口内に大木の舌が侵入してきて、乱暴な舌使いで歯列をなぞってきたり、口蓋を撫でまわす。
口を塞がれているせいで、上手く呼吸ができない。
ろくに酸素が取り込めず、頭がクラクラしてくる。
このままだと気絶してしまうかもしれない、と考えた頃合いに、やっと唇が開放された。
ようやく自由になった口から、円はすうっと息を思いきり吸い込んで、肺に空気を入れた。
そのすきに、大木は円が着ているシャツを捲りあげると、白くて真っ平らな胸に舌を這わせてきた。
這っていた舌先で乳首を突かれて、ちゅうちゅうと吸い付かれると、円は体が芯から熱くなるのを感じた。
「あっ…んっ…ともなりくんっ!」
舌で転がすように乳首をいじくりまわされて、円は身をよじった。
大木にこんなことをされるのはこれが初めてではないが、何度経験しても、この快感には抗えない。
大きな手で胸や脇腹を好き放題に弄られると、腰の奥の疼きはどんどん強くなってくる。
大木は円が履いていたズボンを抜き取って床に放り、大木自身も服を全て脱ぎ捨てた。
露わになった男根はすでに完全にいきり勃っていて、涎まで垂らしている。
大木はもう我慢ならないようで、早急な動作で円の足首を掴んで広げさせ、男根を胎内に押し挿れてきた。
本能にまかせて、たくましい体を前後に揺さぶり、勢いよく円の最奥を突いてくる。
「あっ…ああっ、ともなりくんっ…すごいっ、もっと…もっと!」
男根が肉襞を掻き分けていく感触が、ただただ心地良い。
円が何をしようと決して逃さないとばかりに、指先が食い込むほどに強く腰を掴んで、胎内を穿つ。
そのたびに、ずちゅっ、ずちゅっ、と生々しい音が円の耳に届いた。
男根が胎内で膨張したのを感じ取ったと同時に、快感がいっそう強くなる。
そのとき、首筋をガブリと噛みつかれて、激しい痛みが走ったと同時に、感じたことのない快感を得た。
──番になるって、こんなカンジなんだ
円はうっとりと目を閉じた。
思ったより、悪くない。
今までずっと、番はおろか恋人を持つことすら躊躇い続けていた。
番になったアルファにいいようにされ、捨てられるオメガの話を散々聞いてきたから。
自分はアルファの奴隷になるなど、まっぴらごめんだ。
だから、生涯ずっと番は作らず、結婚もしないし子どもも産まないで、ひとりで生きていこうと考えていた。
しかし、今は違う。
大木との子どもなら、喜んで産み育てたい。
たとえ、後になって捨てられることがあったとしても、今のこのときがあれば、充分だ。
バカだな、と自分でも思う。
でも、バカになってみるのも悪い気はしない。
「ああっ…ともなりくん、うんっ、あっ、いいよう…もっ、だめッ…イクぅ!」
この上もない快感と幸福感に包まれながら、円は絶頂を迎えた。
大木も同じらしい。
大木が吐き出した精液が、胎内に押し寄せてくるのを感じた。
──ナカに出されるのって、こんなカンジなんだ
達した後の余韻に浸りながら、円は悠長にそんなことを考えた。
ずるり、と胎内から男根が引き抜かれる感触がした。
──まだ挿れてて欲しかったな…
などと考えたが、大木の顔を見て、それどころではないことに気がついた。
「あ…ああ…まどかさん、おれ、あ…」
事が終わって、冷静を取り戻した大木は、青ざめて震えていた。
自分が円に何をしたのか、気がついてしまったのだろう。
戸惑いの表情を浮かべた大木は、急いで服を着込むと、一目散に部屋を飛び出していった。
──ボク、結婚してとか認知しろなんて言わないから、って言おうと思ったのに…
逃げるように部屋を出ていった大木の背中を、円は名残惜しい気持ちで見送った。
翌日、円は拘束具もタオルもスカーフもせずに出社した。
メガネもマスクもつけていない。
素顔を晒して外を歩くのは、幼少期以来、初めてのことだ。
顔周りも首元も涼しくて、開放感が強い。
密閉していた部屋の窓を開けて、新しい空気を入れたときのように、スッキリと清々しい気持ちになって、何でもできるような気がした。
こんな気分は初めてだ。
業務に入る前、退職する意思をいつ伝えようかと考えていると、日並さんと知智さんが歩み寄ってきた。
「富永くん、ちょっと来てくれるかい?」
「常務とね、あと、人事部の部長さんが呼んでるの」
「え?はい、わかりました」
常務はさておき、人事部の部長にまで呼び出されるのはどういうことなのだろう。
──まあ、いいか
どうせ、退職届を人事部に出さなきゃいけないし
日並さんと知智さんに言われるままについて行き、案内されたのは「第三会議室」と書かれたドアプレートがかけられた部屋だった。
3人でそこに入ると、常務と人事部の部長が、長机に座って待っていた。
「富永さん、そこに座って」
人事部の部長が、自分の目の前の空いた席を指さした。
さて何の話だろうかと考えつつ、円は促されるままにその席に座った。
「君たちはもう、仕事に戻ってくれ。富永くんを連れてきてくれて、ありがとう」
常務にそう命令された日並さんと知智さんは、失礼しますと言って一礼すると、静かに部屋を出ていった。
「えーと、何の用ですか?」
背後でパタンとドアが閉まる音が聞こえると同時に、円は自分から切り出した。
「君の、本社への異動が決まった」
常務が尋ねてきた。
「え?」
意外な返答に、円は思わず間抜けな声を出した。
「あんなことがあって、このまま、ここにいてもしんどいだろう?それに、まあ、前々から検討されてたことだ。今どき、優秀だけどオメガだから昇進はさせないなんて、時代錯誤もいいところだろう?富永さんは係長や部長からの評価もいいし、他の部署の社員からも信頼されてるし、出世してもいいときだ」
人事部の部長が淡々と話す。
「……あまり大きな声では言えないがね、本社の専務が昨日あったことを聞きつけて、こっちの品質管理課から聞き取りをして、それで君を本社に異動させるように進言してくれたんだ」
常務が口ごもりながら言った。
「向こうの専務はどうやってこっちのこと知ったんでしょう?」
「それは、わからない。ただ、まあ、異動は決まったことだし、本社である程度経験を積んだら、おいおいは昇格していく。だから、今後もがんばってくれ」
「…ええ、はい。えっと…用件はそれだけですか?」
「ああ、だからもう仕事に戻ってくれ。段取りは決まり次第連絡する」
人事部の部長は、相変わらず淡々とした様子で語りかけた。
「……わかりました。失礼します」
円は席を立つと一礼して、部屋を出て行った。
本社に行くということは事実上、新しいところで再出発するようなものだ。
だから、気まずい気持ちのまま仕事せずに済むし、退職する必要もなくなった。
実にありがたいことだが、向こうの専務はなんだってわざわざ進言してくれたのだろう。
昨日の一件は結構に大きなトラブルではあったが、本社の専務がわざわざ出てくるほどのことでもないのではないか。
本社に移った際に、そのへんのところを聞いてみないとなと考えた矢先、大きな足音が近づいてきた。
「円さん!」
向こうから、大木が駆け寄ってきた音だ。
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