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相手の家

約束の日時がきて、円は大木の実家にお邪魔することとなった。 大木の実家は会社から5駅ほど離れた場所にあり、閑静な住宅街の真ん中にドンと建っている一軒家だった。 駅から徒歩10分前後。 モダンスタイルというのだろうか。 屋根は三角ではなく平面の2階建て。 コンクリート製の頑丈な塀に挟まれた鉄の門の高さは円の目の高さまであり、その門の凝った装飾がなんとも美しい。 「立派なとこだね…」 円の実家は古くて見すぼらしい団地だ。 そんな家庭で育ってきた円からしてみれば、この近代的な一軒家は豪邸と呼んでいい代物だった。 周囲の家も同様で、言ってみればここは富裕層が住むような土地柄なのだろう。 駅周辺は高級ブティックや画廊、宝石店が建ち並び、少し歩くと洋城のようなデザインの老人ホームや有名進学塾などが目に入った。 「普通ですよ」 大木が何の気なしに答える。 これすら、大木には「普通」なのだ。 少し前の軽井沢がこれを知ったら、間違いなく大木に接近したであろう。 彼の言う「お金持ちでカッコいいアルファ」に、大木は該当する可能性が高いのだから。 皮肉なものだなと円は思った。 特定の相手など求めていなかった円はこれだと思えるような番を得て、これだと思う番を探し回っていた軽井沢は未だに相手が見つからず、停滞したままでいるのだ。 重たい門を開けて敷地内に入ると、塀に囲まれた庭が結構に広いことに気がついた。 ひょっとしたら、円の部屋のほうが狭いかもしれないと思うほどだ。 庭の片隅には猫脚の白いアイアンテーブルと椅子、テーブルのそばには広い花壇があり、そこに色とりどりの花が咲き誇っている。 白いガーデンアーチなんかも置いてあり、そのアーチにはピンクの薔薇が巻きついて咲いている。 アーチのそばには天使や女神の像なんかが置いてあったり、百合やポピー、カモミールが植えてある植木鉢がバランスよく並べられていた。 全体的にロココ調のインテリアで統一されたその庭は、マリー・アントワネットが優雅にお散歩していそうな雰囲気を漂わせている。 「キレイなお庭だね」 「母親がね、ガーデニングが趣味なんですよ。花の匂いがプンプンするでしょ?酷いときは他の匂いがわからなくなっちゃうからもう……」 大木が苦笑いした。 母親の趣味を本気で嫌がっているわけではないが、少し困っているといったような笑いだった。 「庭をこんなふうに整えるの、すっごく手間かかるんじゃない?」 「まあ、そうですかねえ…俺の知る限り、休みの日はずっと庭にいましたよ」 大木は何とは無しに言うが、植物の世話というのは案外根気が要るし、庭がこうも広いと、生えてきた雑草を取り除くのさえ一苦労なはずだ。 大企業の部長にまで昇進し、我が子2人を大学まで入れた事実も踏まえると、大木の母親は本当にたくましい女性なのだろう。 まだ顔も合わせていない大木の母親を、円は改めて尊敬した。 ステンドグラスがはめ込まれた丸窓付きの玄関ドアを開けると、ラベンダーの香りが鼻腔をくすぐった。 来客用の香を焚いていて、それが室内を漂っていたのだ。 「いらっしゃい!円さん!!」 玄関ドアが開く音を聞きつけて、咲子が元気よく出迎えてくれた。 「あら、あなたがマドカさん?」 咲子の背後から、年配の女性が歩いてきた。 大木の母親だ。 大木の母親は間違いなく美人と言える顔つきをしているが、「大きな家の御夫人」というよりかは、「気のいい庶民の主婦」といった風情の女性だった。 家に客が来るのだから当然と言えば当然だが、ナチュラルブラウンに染めた髪はきっちりセットされ、艶めいている。 この日のために、わざわざ染め直したのかもしれない。 年相応にまぶたがたるんでいるせいで目は小さめだが、その黒目がちの瞳は間違いなく大木と咲子と同じものだった。 色白で顔が小さく、フェイスラインはくっきりときれいなカーブを描いている。 この特徴は咲子に受け継がれているが、子どもたち2人と違って、口はどちらかと言えば小さいし、眉は細い。 体格は小柄で華奢で、これも咲子に受け継がれていた。 ベージュのカーディガンに白いカットソー、ダークブラウンのスカートは地味過ぎず、派手過ぎない、ほどよいバランスが取れていた。 センスの良い、カジュアルにもフォーマルにも合う服だ。 円は急に、自分の身なりが気になってきた。 大木に選んでもらった服を着てきたのだけど、地味で堅苦し過ぎないだろうか。 髪をワックスで整えてみたけど、つけ過ぎてテカテカしていないだろうか。 「はじめまして、わたし、知成の母親の啓子(けいこ)です。まどかさん、でいいのよね?」 大木の母親が円に、にっこり笑いかけてくる。 上品だが気取っておらず、とっつきやすい笑顔だ。 「はい、円と申します。ああ、これ、つまらないものですが…」 円は持っていたデパートの袋を大木の母親に渡した。 中身は入浴剤の詰め合わせだ。 デパートの生活雑貨売り場を歩き回り、販売員に相談して、アレコレ悩んで買ったものだ。 「まあ、ありがとう」 大木の母親は袋の中身をあまりしっかり確認せずに受け取った。 ──あとで袋の中身を見られて、がっかりされないかな…… 今の円には、それが気がかりだった。 「円さん、早く入って。この日のためにいろいろ用意したんだよ!」 咲子が円の手首を掴んで、軽く引っ張る。 「こら、急かすんじゃないわよ」 大木の母親が咲子に注意した。 「そうだぞ咲子。すみませんね、円さん」 「いや、大丈夫だから……お邪魔しますね」 円は下ろしたての靴を脱いで、上がり(かまた)をまたぎ、大木の家にお邪魔した。 「リビング、こっちよ!」 咲子が円の手を引いて、誘導してくる。 来客にそなえて掃除したのもあるだろうが、どこもかしこもキレイに整理されている。 大木の母親と咲子の後についていくようにして、大木と円はリビングに向かった。 家そのものが大きいからか、玄関からリビングまで、まあまあの距離がある。 廊下とリビングは白いドアで隔てられていて、玄関ドアと同様に、ステンドグラスがはめ込まれた丸窓がついている。 「好きなとこ座っててくれる?お茶とお菓子を出すわ」 洒落たドアを開けると、大木の母親はキッチンに向かった。 「ああ、はい」 さて、どこに座ろうかと円はリビングを見回した。 この家のリビングは、円の部屋の5倍ぐらいの広さがある。 キッチン付近にはダークブラウンの猫脚のダイニングテーブル、イスが置かれている。 大きな窓にはボルドーのフリルのカーテン、壁にはアンティークデザインの振り子時計に、豪華な額縁に入れられた絵画、壁際に置かれた背の高いラックには本やマンガがぎっしり並べられている。 ラックの上は家族写真に、うさぎの置き物やオルゴール、帽子箱がバランスよく配置されている。 リビングの端にテレビ台があり、その前に3人掛けソファが2台、木製のローテーブルを挟むように置かれていて、床にはどっしりした分厚い絨毯が敷かれてある。 先ほど見たロココ調の庭とは打って変わって、ヴィクトリアン調のインテリアで統一されており、シャーロック・ホームズがくつろいでいそうな雰囲気があった。 こんな家で大木は育ったのか、と円はしみじみとした感慨に耽った。 「ね、円さん、こっち座って!お兄ちゃんはそっち!」 咲子の先導で、円は3人掛けソファの真ん中に、咲子と大木に挟まれるような形で座った。 「そういえば円さん、アレルギーとか大丈夫かしら?紅茶でいい?」 大木の母親がキッチンから顔をのぞかせて、呼びかけてきた。 「大丈夫ですよ。紅茶は好きです」 他人の家に呼ばれたことなど、一体何年ぶりであろうか。 なかなか緊張が解けない円は、可愛らしい女の子と大柄な男に挟まれながら、縮こまるようにして座った。 「お茶をどうぞ」 キッチンから出てきた大木の母親が、紅茶を入れたカップ3人分と、お菓子が盛られた皿とをトレーに乗せて持って来てくれた。 「ありがとうございます」 テーブルにトレーが置かれると、円は啓子に礼を言った。 「ねえ、これ、すっごくおいしいよ!この日のために買ってきたの!!」 咲子が皿から取って差し出したのは、クリームと苺がサンドイッチのように挟まれたピンク色のマカロンだった。 円は咲子に促されるまま、差し出されたマカロンを受け取り、一口かじった。 「……おいしいね、コレ」 本音からくる感想だった。 舌にベトつくくらい甘いのだろうと思っていたマカロンは、意外にも風味がさっぱりしていた。 間に挟まった苺の酸味とマカロンの甘味が上手く混じり合い、甘すぎず、酸っぱすぎない、ほどよい味を出している。 「でしょー⁈気に入ってくれてうれしー!!」 咲子は無邪気にはしゃぎながら、自分もマカロンを取って口に放り込んだ。 「うるさいぞ、咲子。ホントにすみませんね、円さん」 大木は呆れた顔をして、咲子をたしなめた。 「知成の言うとおりよ咲子。ホントに落ち着きがないんだから……お客様の前なのに」 大木の母親が円と向かい合うように設置されたソファに腰かけた。 「別にいいんじゃないですか?明るくて元気なのは、すっごくいいことですよ」 円は自然と顔が綻ぶのを感じた。 数年ぶりに他人の家にお邪魔して緊張していたから、咲子のあっけらかんとした態度は、かえって円を安心させてくれた。 なごやかな雰囲気になったところで、玄関ドアが開く音がした。 「あら、お父さんが帰ってきたわ」 大木の母親が音に反応して立ち上がった。 パタ、パタ、という足音がどんどん大きくなり、こちらにゆっくり近づいていく。 「おかえりなさい。円さん、もう来てるわよ」 大木の母親がリビングと廊下を隔てる白いドアを開けて、夫を出迎えた。 「お父さんおかえりー!ほら、この人が円さんだよ!すごくキレイでしょ?」 咲子の明るい声を聞いて、円は見がまえた。 ドアの向こうから、背の高い年配の男性が出てきた。 この男性が大木の父親で、本社の専務なのだ。 歳の頃は妻と同じくらい。 白髪まじりの髪をきっちりオールバックにセットしていて、浅黒い肌にはいくつものシワがたたまれている。 眉は太く平行に伸びていて、鼻は高く、口が大きい。 背が高く、肩幅は広くていかり気味。 これらの特徴の大半は、長男たる大木に引き継がれている。 大木はどちらかといえば、父親の遺伝子の影響が強いようだった。 「は、はじめまして。知成さんとお付き合いさせてもらってます、富永円と申します」 円はおもむろにソファから立ち上がって、お辞儀をした。 「ああ、はじめまして。そうか、君が……知成から話は聞いているよ」 大木の父親が、円が思っていたより低い声で挨拶を返す。 解けつつあった緊張の糸が、またピンと張りはじめた

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