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告白と返答
「どうぞ、座ってください」
「はい」
大木の父親に言われるまま、円は元の位置に座った。
円に続くようにして、大木の父親は妻の隣に座った。
必然的に、円と向かい合うような形になる。
「はじめまして、知成の父の丈成 です」
丈成が深々とお辞儀した。
「はじめまして」
それに返答するように、円も一度だけお辞儀して、頭を元の位置に戻した。
ここで円は、改めて大木の両親の顔を真正面から見た。
2人とも、整った顔つきをしているが、年相応にシワやシミ、たるみがある。
若い頃は子どもたちと同様に、とても美しかったのだろう。
しかし、この2人は老いてしまって持ち前の美しさを失うことに、何の未練もなかったのかもしれない。
その気になれば、整形手術だのエステだので見た目は変えようがあるのに、あえてそうしないのは、潔く老いを受け入れているからではないか。
そんな2人の姿に、円はむしろ威厳と敬意を感じた。
円の母親は美しいが、振る舞いのところどころに狡猾さが見え隠れしていて、威厳なんて微塵も感じられない。
父にいたっては、必死で老いに抗うように若作りな格好と髪型をして、いい歳をして若いオメガを囲うことに夢中だった。
その結果があの惨事だ。
あんな両親から生まれた円は、どうしようもなく卑屈に育った。
一方、大木の両親は実直で、努力の甲斐あって、ベータであるというハンデさえ乗り越えて出世してみせた。
そんな両親から生まれた大木と咲子は、明るく、優しく、素直に育った。
大木と自分は、何もかもが正反対なのだなと、改めて実感してしまう。
「来てくれてありがとう。まさか、知成がこんなに早くに結婚相手を連れてくるとは…」
大木の父親が口を開いた。
「え?あの…ボク、結婚するつもりは……」
相手の父親の口から突然出てきた「結婚」という言葉に、円は心底戸惑った。
「父さん!まだ結婚するつもりはないって言っただろ!!」
大木が呆れたように言い放つ。
「あっ⁈そうか…」
大木の父親があからさまに驚いた顔をした。
先ほどまで纏っていた神妙な雰囲気が嘘のような、間の抜けた表情だ。
「大きな家の大黒柱」というより、「うっかり屋のお父さん」という顔だった。
「でも、番になったんでしょう?」
大木の母親が自分用に淹れた紅茶が入ったカップを片手に、尋ねてくる。
「番にはなったけど、結婚はまだ考えてないんです。ボクは、お互いが好きなら同棲とか結婚とか、形にこだわる理由は無いと思ってるし、知成くんはまだ若いし」
これが本音だった。
今日、大木の実家に来たのは、咲子に誘われたのもあるが、この本音を伝えるためでもあった。
「ごめんね円さん。お父さんったら、いつもこうなの。私が高校生のときに付き合ってたカレシに会ったときも、こんな調子だったの」
咲子がマカロンをかじりながら告げた。
「ああ、すまないな…」
大木の父親がすまなさそうな顔をした。
「いえ、ああ、でも…将来はどうなるかわかりませんよ。この関係のままかもしれないし、結婚するかもしれないです」
「まあ、そうよね。先のことはわからないけど、今はまだ…ってことでいいわね?」
大木の母親が、円の言いたいことをまとめてくれた。
「そうです」
「そうか、まあ、また何かあったら、言いに来てくれ」
大木の父親は照れ臭そうに笑った。
「ええ、あの…ボク、もう一つ言わなくちゃいけないことがあって…」
「あら、なあに?」
大木の母親が、カップをトレーの上に置いた。
「M区IT企業CEO刺殺事件って、ご存知ですか?」
「ああ、知っているよ。有名な事件だからね」
「それがどうしたの?」
大木の母親が、カップをもう一度手に取った。
「ボク、あの事件の関係者なんです」
どういうことかと、咲子が円の顔を覗き込んだ。
「あの事件の関係者?あなたが?」
大木の母親が「信じられない」とでも言いたげに目を見開いた。
父親も同様だ。
まあ、妥当な反応であろう。
大木だってそうだった。
こんな突拍子もない話をされて、即座に信じられるわけもない。
「ボクはあの現場にいたんです。刺し殺されたCEOは、ボクの父です」
「えっと……きみは今いくつだい?」
大木の父親がゴクリと生唾を飲んで、彼の喉仏が上下した。
「28歳です」
「現場に3歳の子どもが逃げ遅れた、と記憶していたが、その子がきみか?」
「そうです」
円が深くうなづく。
大木の両親が具体的に何歳かまでは知らないが、少なくとも事件当時はすでに成人していただろうし、ワイドショーや新聞などで事件を知っている可能性は大きい。
「ねえ、円さん。なんでいきなりそんなこと言うの?円さんが事件の関係者とか、どうでもよくない?」
咲子が円の肩にもたれかかって、眉をひそめた。
円の言うことがまだ信じられないのかもしれないし、純粋に、その言葉通りに、なぜこんなことを言い出すのか理解できないのかもしれなかった。
「咲子ちゃん、大きな事件が起きるとね、いつまでも覚えてる人が必ずいるんだよ」
「それは…そうよね」
大木の母親が顔を曇らせ、ほんの少し顔を下に向けた。
彼女もあの事件のことを覚えていて、円の言葉に心当たりがあるのかもしれない。
「たとえば、テレビの特番であの事件が紹介されたとするよね?そしたら、みんな事件について調べはじめるんだよ。現場に遭遇したオメガや子どもたちは今どうしてるんだとか、そういうのを知りたいんだろうね。中には、家や職場を探ろうとする人もいるんだ」
「ごもっともだな…」
大木の父親が深くうなづく。
「実際、どうやって場所を知られたのかわかりませんが、実家にマスコミ関係者とか、事件に興味を持った一般人とかが来たことがありました。それで、母親とかボクに、いろいろ聞いてくるんです。今までに何度もそういうことがありました」
「ひどい……」
大木の母親が、顔に怒りを滲ませて呟いた。
「今のところ、ボクの家は知られてないし、知成くんのところにもマスコミは来ていないみたいですけど。もし、このままボクと関わっていたら、巻き添えになるかもしれませんよ。今はお付き合い程度ですけど、結婚するとなったら、大木くんも咲子ちゃんも、丈成さんも啓子さんも「事件の関係者」みたいな扱いになるんです。少しでも情報が欲しいからって理由で、下世話なマスコミに追い回されるかもしれません。それで、根掘り葉掘りいろいろ聞いてくると思います。それでも、このままボクが知成さんとお付き合いするのを、許容できますか?この中の1人だけでも、「そんなのはごめんだ」とお思いでしたら、ボクは身を引くつもりでいます」
「そんな……」
咲子が小さく声を漏らした。
最初に会ったときの明るさが嘘のような、険しい声色だ。
大木の両親は、黙ったまま円を見つめている。
ここまで言われると、円の話を信じざるをえない。
そんな顔つきだ。
「事件の関係者であることを抜きにしても、ボクは片親育ちで、決して裕福とはいえない家庭の生まれなんです。おまけに、母親は若い頃に水商売してたような人です。あなたたちと釣り合うようなお家柄じゃないんです。それでも、いいんですか?このままでいても」
円は続けた。
大木の両親と咲子は何と言うのだろう。
円は手を膝の上に置いていた手を、ギュッと握りしめた。
「……そんなことは、些細なことだ」
大木の父親が、重い口を開いた。
口を開くまでに結構な間があったのを見ると、その間にさまざまな思いを巡らせ、やっと出した言葉がそれだったのだろう。
「些細なこと……」
円がオウム返しして呟いた。
「ああ、きみが昔の事件の関係者であることも、きみのお母さんが過去に水商売をしていたことも、ぜんぶ些細なことだ」
それが大木の父親の答えだった。
「それに、あなたのお母さん、今は水商売なんてしてなくて、看護師さんをして働いているんでしょう?知成から聞いたわ」
今度は大木の母親が口を開く。
「ええ、若い頃に客として店にやってきた父と出会って、看護師の専門学校に行くお金を出してもらうことと、子どもを産むことを条件に、番になったそうです」
これが、母から伝え聞いた自分の両親の馴れ初めだった。
「子どもがいる上で学校行って、看護師さんになるなんて。お母さん、すっごく立派だと思うけどなあ」
咲子が呟く。
「そうかな……」
咲子の言うとおり、子どもを抱えた身で学や資格を身につけられたのは、母自身の努力の賜物であろうし、間違いなく立派なことと言えるだろう。
しかし、円はどうあっても、母を尊敬できなかった。
円が生まれた当時、富裕層のアルファたちの間で何人ものオメガを番にして、たくさんの子どもを生ませることが「流行」していた。
当時のアルファたちはみんなして、仲間内で番は何人いるか、子どもが何人いるかで競い合っていたらしい。
番と子どもをたくさん持つことは、明確な財力誇示、ひいては精力誇示となるから、自慢の種にもなったのだ。
円の父もそんなアルファたちのうちの1人だった。
一方で母は、オメガであることを理由に定職に就くことができなかった。
若い頃の母は、水商売に従事して金を貯めて、医者や看護師になるための学校に通うことを目標としていた。
そんな矢先に、客として何度か来ていた父は、母がオメガだと知るや否や、こう口説いてきたのだ。
「ねえ、オレさ、番を集めてんだよね。子どももたくさん欲しくて……自分の子どもを100人作るのが目標なの。だからさ、最低でも3人は産んでくれない?キミが欲しいもの、何でも買ってあげる。大学行きたいとか、事業を立ち上げたいとか、やりたいことがあるなら、金は出すよ。だから、番になってくれない?」
これが、父が番にしたいオメガを見つけたときの誘い文句だった。
「ハハッ!やだあ、100人って……まあ、いいや。私はね、医者とか弁護士とか、あと、看護師とか歯科衛生士とかね、食いっぱぐれの無い職に就くのが目標なんだけど、そういう技能を身につけるための学校に通いたいんだ。そのための学費、出してくれるの?」
「いいよ、それぐらい」
「そう、じゃあ、私、豪貴さんの番になるよ!」
こうして2人の利害は一致して、番となった。
いわば円は、父から見ればステイタス・シンボルで、数あるコレクションのひとつ。
母から見れば生活の糧となるアルファを繋ぎ留めるための、枷 のようなものだった。
普通の夫婦が我が子に向けるような期待もされず、これといった関心も抱かれず、ただ存在することだけを求められていた。
番と自分の子どもたちをコレクション程度にしか考えない父親と、自分の子どもをダシにして、そんな父親を利用していた母親。
円には、どちらも等しく尊敬できない存在だった。
もっとも、父が持ちかけた「子どもを3人産むこと」という誓約は、果たされることはなかった。
母は円を産んでしばらく経った後に専門学校に通いはじめた。
卒業後は、父に住まわせてもらっていたタワーマンション近くの大学病院に就職。
仕事に慣れた頃合いに、あと2人産むつもりでいたところ、あの事件が起きた。
結果、「自分の子どもが100人欲しい」という父のバカげた願望も、果たされることはなかった。
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