29 / 34
妹の頼み事
「わたしは、きみが何者でも、きみの親御さんがどんな人であっても、関係の無いことだと思ってる」
円の話を聞き終えた大木の父親が、答えを出した。
「……そうですか」
「そうだ。オメガだろうが、ひとり親家庭だろうが、昔に起きた殺人事件の関係者だろうが、知成が決めた相手だ。自分の子どもの色恋沙汰に、とやかく言うつもりはない」
「私も同意見よ。マスコミとか下世話な人が来るかもしれないって言うけどね、そういう人はすぐに別の話題に飛びついちゃうものよ。「人の噂も七五日」って言うじゃない。大したことないわ」
大木の母親は、まるで飛んできた虫を払いのけるかのように、ほっそりした手を目の前にかざした。
「言えてる!それにさ、結婚はしてないけど、もう番になってるんだったら、たいぶ今さらじゃない?何なら、もう「関係者」みたいなもんじゃない」
咲子も両親に追従するように言い放ち、皿の上のマカロンをひとつ、つまみ上げてかじった。
「それも、そうか……」
咲子の言うことも一理あるな、と円は納得した。
「ありがとうございます。専務、人事部長」
今日、言おうと思っていたことを全て吐露し終わった円は、深々と頭を下げた。
「おいおい、会社の外でまで「専務」はよしてくれ!」
大木の父親は鳩が豆鉄炮を食らったような顔をした。
「ボクが本社に異動が決まったの、専務と部長がいろいろ根回ししてくれたおかげだって聞きました。今回お邪魔したのは、そのお礼を言いたいから、というのもあるんです」
これも本音だった。
本社の専務たる大木の父親には、本当に感謝している。
しかし、その感謝の意を伝えようにも、専務と直接話せる機会など、なかなか見つからない。
感謝の意を述べるなら、このときしかないと考えて、今日に至ったのだ。
「あれは、向こうの人事や上層部に問題があると思ったから、介入させてもらったまでのことだ。知成じゃなくても、あれほどの問題を誰かに通告されたら、同じようなことをしたよ」
「そうよ。確かにね、知成から話を聞いて、いくらか根回しをしたわ。でも、それはあなたの実力と努力あってのものよ?ちゃんとした仕事をしている人が、きちんと評価されないのはおかしいと思ったから、向こうの人事に呼びかけたの」
大木の父親に続くように、大木の母親が答える。
「ありがとうございます」
円はまた、深々と頭を下げた。
「うん。本社でも、頑張ってくれ。きみの能力次第では、昇進も夢じゃないからな。ただまあ、今の私は「専務」じゃあないんだ。仕事の話は会社でしよう。もう、きみ自身の話は済んだんだろう?」
「そうですね。伝えたいことは全て話しました」
円は下げていた頭をゆっくり上げた。
「今はきみがお客さんなんだから、かしこまらずに、ゆっくりしてくれ」
そうは言われたものの、「専務」「部長」以外になんと呼べばいいのだろう。
結婚していないのだから「お義父さん」「お義母さん」も変な気がするし、「丈成さん」「啓子さん」と呼ぶのは馴れ馴れしい気がする。
その日は、話したいことをすべて話して、すぐ帰ることにした。
長居する理由もないし、大木の家族だって、他人にいつまでも家に居られるのは居心地悪いだろう、と考えてのことだ。
「あまり長居する必要もないので、もうそろそろ失礼しますね」
円はそう言って、おもむろに立ち上がった。
「そうですか……父さん、母さん、咲子。俺は円さんを送っていくよ」
大木も、円に続いて立ち上がった。
帰り際、大木一家は円を玄関先まで見送ってくれた。
「円さん、機会あったら、また来てね!」
咲子が元気よく、手を振る。
「うん、ありがとう。みなさん、お邪魔しました」
円も、それに応えるようにして手を振った。
「ああ。来てくれて、ありがとう」
「お気をつけて」
大木の両親も、にこやかに手を振ってみせてくれた。
「さ、行きましょう、円さん」
大木が円の肩に手を置いた。
「うん」
大木に促されて、円は歩ほを進めた。
「ねえ、ごはんはまだ食べてないんですよね?」
大木が大柄な体をかがめて、円の顔を覗き込む。
「うん。どっかで食べようかな」
「そうですね、どっか安いとこ探しましょう」
大木がポケットの中を探り、スマートフォンを取り出した。
「ううん、今日はね、高いところでもいいんだ。今は気分がいいから、ちょっと散財したい気分なの」
「え?ああ、そうですか。じゃあ、近くの店でいいですか?家族でよく行ってるところなんですけど…」
「うん、ぜひ連れて行って」
円は大木の節くれだった大きな手に自分の手を持っていき、指を絡めた。
「りょーかいです!」
大木がそれに応えるように、にっこり笑うと、ギュッと円の手を握った。
脚が長く、円とは比べものにならないくらいに歩幅が広い大木と手を繋いだまま歩くと、大型犬に引っ張られているみたいだ。
以前はこれを面倒くさいと感じていたし、お金にもならないから、さっさと帰りたいと思っていた。
だが今は、大木と過ごす時間が何よりも愛おしい。
日の当たる道を大木に引っ張られながら、円は朗らかな気持ちで歩いていった。
「機会あったら、また来てね」という咲子との約束は、案外近いうちに果たされることになった。
本社に異動が決まってからというもの、円は身だしなみに気を配るようになり、服も近所のスーパーの衣料品売り場ではなく、きちんとしたブランドショップで買うようになっていた。
そんなところに頻繁に出入りするようになれば、咲子と出くわすのは当然の流れと言えた。
「円さん、久しぶり!今日はひとりなのね?」
円を見つけるなり、咲子は嬉しそうに駆け寄ってきた。
その様子が、初めて会ったときの大木とかぶる。
この妹は本当に、あの大柄な兄とそっくりだ。
今日は三つ編みにした髪をリボンで結っていて、フリルで裾が飾られた赤いワンピースを着ている。
「うん。あー……さ、咲子ちゃんもひとり?」
本当に今さらなのだけれど、恋人の妹を気安く「ちゃん」付けなどして呼んでもいいものだろうか、と円は気を揉みはじめた。
とはいえ、こんなタイミングで「咲子さん」と呼び直すのもおかしい気がするから、変わらず「咲子ちゃん」と読んでいる、という塩梅だった。
「うん!バイト代が出たし、好きなブランドの新作が出たから買いに来たの。ねえ、円さん、この後は時間ある?」
「ある……けど…」
歯切れの悪い返事をした円は、どうしてそんなことを聞くのだろうと不思議に思った。
「うちに来てくれない?ちょっと付き合って欲しいことがあるの!」
咲子は白魚のような両手で、円の手を握った。
「お邪魔します……」
咲子に言われるまま、円は大木の実家に上がりこんだ。
──ていうか、恋人の家族とはいえ、女の子と2人っきりになるのってどうなんだろ?
咲子の押しの強さに負けて、ついついお邪魔してしまったが、これはマズいのではないか。
しかし、今さらもう遅い。
キリの良いところで何とか理由をつけて帰ることにしよう。
そうして考えを巡らせながら、円は大木家の敷居をまたいだ。
「あ、今日はリビングじゃなくて、こっちに来て!」
咲子が円の手を引いて、玄関に入ってすぐ左側にある階段を昇っていく。
飼い犬にリードを引っ張られながら散歩してるみたいだ。
こんなところまで兄に似ている。
「見て!ここがあたしの部屋!!」
咲子が階段を昇って、すぐ目の前にある部屋のドアを開けた。
「かわいいね」
咲子の部屋は、いかにも「女の子の部屋」と呼ぶにふさわしい空気に包まれていた。
フリルのカーテンや薔薇模様のカーペットなんかのインテリアは全体的に白とピンクで統一されていて、リボンやレースがあしらわれている。
アンティークフレームのベッドにはユニコーンやうさぎがプリントされたピンクの布団が敷かれ、ベッドをかわいらしく彩っている。
ベッド周りはぬいぐるみやハート型のクッションが置かれていて、天井から吊り下げられた円形の天蓋カーテンも、ロマンチックで可愛らしい。
部屋の隅に置かれた白い勉強机と椅子は、子どもの頃から使っているのだろうか、なかなか年季が入っている。
ところどころ塗装が剥がれた椅子には、白雪姫のモチーフがプリントされたクッションが置かれ、勉強机には少しばかり傷んだブルーのビニールマットが敷かれている。
ビニールマットには洋風のお城に円形の馬車、12時をさす時計、ガラスの靴、そして、豪華なドレスに身を包んだお姫様がプリントされている。
やはり咲子も、ああいったおとぎ話に憧れを抱いているのだろうか。
「かわいい部屋だね」
「うん!布団カバーとか、この天井から吊り下げるタイプの天蓋とか、自分のバイト代で頑張って買ったんだあ」
咲子は勢いよく飛び込むようにベッドに座ると、布団をぽすぽす叩いた。
「そう…あの、試したいことって何?」
「あ、そうそう!円さん、コレ着てみてくれない?」
咲子はベッドから立ち上がると、クローゼットの扉を開け、中から何か取り出した。
「コレ?」
咲子が取り出したのは、咲子が普段着ているような、少女趣味の服だった。
フリル付きの丸襟と、パフスリーブが可愛らしいサックスブルーのワンピースで、裾にはトランプや「Drink me」と書いてある瓶、「Eat me」と書かれたクッキーなんかがプリントされている。
おそらく、不思議の国のアリスをイメージして作られたデザインなのだろう。
「コレ、大学の課題で作ったの!」
言いながら咲子が、ワンピースの背中部分についているファスナーを下ろした。
「へえ、そうなんだ……あの、なんでボク?咲子ちゃんが着たら?」
「わたしね、将来自分のブランドを持つのが夢で、「みんなが着れるかわいい」がコンセプトなのよ。男の人も着れるようなかわいい服を売り出すの!!」
「ああ……」
「だからね、その予行練習みたいなカンジ?円さんにちょっとモデルをやって欲しいの!お父さんもお兄ちゃんも「趣味じゃない」とか「無理だ」とか言ってぜんぜん協力してくれないし、コレ、円さんなら似合うと思うし!!」
咲子が、持っているワンピースを円の眼前まで差し出してくる。
「そう、まあ、いいけど……」
上手い断り文句が見つからなくて、円は咲子の頼みを引き受けることにした。
「かわいい!円さん、すごーく似合ってるよ!!」
ワンピースを着た円を見て、咲子は嬉しそうに感想を述べた。
「そうかな……」
「かわいい」と言われても、どう反応すればいいのかわからなくて、円は苦笑いするばかりだ。
足元がスースーと涼しくて、なんだか落ち着かない。
生まれてこのかた、スカートなんて履いたことはないし、ましてや、こんなに飾りっ気の強い服を着たのは初めてのことだ。
「次はメイクね!」
この上でさらに化粧もするのか。
もっとも、服は豪華でかわいらしいのに、顔と髪型が野暮ったいとバランスが悪いし、当然と言えば当然の流れかもしれない。
テレビなどで見かける女装した男性たちは皆、しっかりメイクしている。
おそらく、彼らの中には「女装するときにはしっかりメイクをする」というコンセンサスがあるのだろう。
そうでなくても、乗り気になっている咲子を止められる気がしないし、ここはしたいようにさせよう、と円は考えた。
「円さん、ここに座って!」
咲子は勉強机の引き出しからバニティポーチを取り出し、部屋の中央を指差した。
言われたとおりに、部屋の中央にぺたんと座ると、咲子が向かい合うようにして座った。
「円さん、ホントにキレイな顔してるね。お肌もすべすべだし、女の子みたいでかわいい」
咲子がほほ笑みながら円の頬を撫でさすってきて、円はドキリと身を震わせた。
この妹のスキンシップの激しさには、未だに慣れない。
──そういえば、咲子ちゃんってアルファなのかな?
だとしたら、番がいるのに他のアルファと一緒にいるのはマズいんじゃあ……
「これだけ肌がキレイなら、ベースメイク無しでも映えるかも。円さん、メイクするから目を閉じて」
円のささやかな不安をよそに、咲子は円の顔をうっとりと見つめながら、メイク道具を取り出した。
目を閉じると、まぶたや目尻に何かが当たったり、頬にハケが当たったり、唇にも何か塗られた感触がした。
「……円さん、もう目を開けても大丈夫だよ」
目を閉じてから15分くらい経っただろうか。
目を開けてみると、まぶたや唇に何かがひっついているような違和感を覚えた。
「ね、鏡見て!」
咲子が卓上ミラーを円の目の前まで持っていき、顔を映させた。
「すごいもんだな……」
円は自分のあまりの変わりように嘆息した。
普段はボサボサで不揃いの眉が、今はキレイなアーチを描き、大きな瞳はアイシャドウとアイラインが引かれたおかげか、見るものを惹きつけるような目力が宿っていた。
まつ毛はマスカラでしっかりカールさせて伸ばされ、頬はバラ色に色づいていて、幾分か血色が良く見える。
「円さん、元がキレイだから、メイクするのすごく楽しかったよ」
「そう……ボクはちょっと落ち着かないかな。唇ベタベタするし……」
よく見ると、唇にはピンクのラメ入りリップが塗られている。
──女の子って、毎日毎日こんなのを口につけて出歩くのか……
うっとおしくないのかな?
「次はヘアセットしましょ!」
円の疑問もどこ吹く風で、咲子はウサギのキャラクターがプリントされたヘアブラシを取り出して、円の背後に回ると、髪をとかしはじめた。
──髪、伸びたな
そろそろ切ったほうがいいかも
咲子に好きなようにさせている間、円は鏡を見つめながら、頭の中で床屋に行く予定を立てた。
ろくに手入れをせず、野放図に伸ばした髪は、もう少しで円の肩に届きそうだった。
「できたよ!いいカンジ!!」
メイクは15分程度なのに対して、ヘアセットはその倍くらい時間がかかった気がした。
後頭部に違和感を感じる。
多分、アクセサリーか何かつけられているのだろう。
「オシャレだね」
「うん!この髪型、美容師やってる友達が考えたんだよね!!後ろの編み込みのところが大変なんだあ」
咲子が円に施したヘアセットについて説明を始めたところ、玄関ドアが開く音がした。
ともだちにシェアしよう!