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会って欲しい人

翌月の週末15時半、大木と円は会社近くの洋食店に向かっていた。 これから恋人の母親に会うというだけあってか、大木の態度ははどこかぎこちない。 店に入ると、カランカランとドアベルが鳴り、「いらっしゃいませ」と女性店員に声をかけられた。 「2名様でしょうか……あー、店長お呼びしましょうか?」 若い女性店員が円を見るなり、何かを察したような顔をした。 「はい、お願いします」 「こちらにどうぞ」 女性店員が、店の隅にあるテーブル席に案内してくれた。 「久しぶりだね、円」 席についてしばらく経つと、穏やかで品の良い声が聞こえてきた。 大木が声のした方へ顔を向けると、長身痩躯で育ちの良さそうな男が、こちらにゆっくり近づいてくるのが見えた。 「うん、久しぶり。知成くん、こちら高貴(こうき)兄さんだよ。ボクの兄さん。ここで店長さんしてるんだ」 円は自分の兄を大木に紹介した。 この人物が、円の言う「会って欲しい人」らしかった。 「あ、はじめまして…」 大木はテーブルに両手をつけ、頭を下げ、円の兄だというその人に挨拶した。 「はじめまして。この人が番のトモナリくん?」 高貴が向かいの席に座った。 「そうだよ」 円が誇らしげに大木を見つめた。 兄に恋人を紹介できることが嬉しいらしい。 そんな円を見て、大木も心が踊った。 「そうかい、いい男だね」 高貴が並びの良い歯をのぞかせて、ニッと笑ってみせた。 真正面から見ると、なかなかの美形だ。 歳の頃は30代半ば過ぎくらいで、しっかりセットされた真ん中分けの黒髪は清潔感があり、白いシャツと黒いスラックスの上に、ベージュのエプロンをしている。 目尻は垂れていて、黒目が大きいのに対して目が細いから、まるで筆で線を書いたみたいだ。 面長で鼻梁は細長く、唇は薄い。 大きな瞳とふっくらした唇を持つ円とはまるで正反対で、大木から見ると、この兄と弟はあまり似ていない気がした。 「俺、円さんとお付き合いさせてもらってます、大木知成です」 「円の腹違いの兄の高貴です」 大木が名乗ると、高貴が余計な情報までつけて名乗った。 「兄さん、腹違いとか言わなくていいから!」 円があわてて兄をたしなめる。 「言ってなかったの?」 「言う必要ないでしょ!」 ──ああ、なるほど、だからあまり似てないのか…… 兄と弟のやりとりを横で聞いていた大木の、ちょっとした疑問はすぐに解けた。 「拓美さんも来るんだよね?」 「うん、ただ、母さんはちょっと遅れて来るらしくて……」 円はスマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開いた。 画面には、「ごめん、遅れるよ」という母からのメッセージが表示されていた。 「じゃあ、それまで何か食べておく?今日はステーキが安いよ」 高貴がメニューを渡してきた。 「うん。多分あの人、相当遅れて来ると思うから、先に何か食べちゃおう。大木くんどれにする?」 「ステーキセットにします」 大木は、高貴に勧められるままにメニューを決めた。 「……ボクは、オニオンスープとバゲットにするよ」 「相変わらず食が細いねえ、ちゃんと食べてるのかい?」 高貴がやれやれといった様子で、円に尋ねた。 「別にいいだろ」 「まあね、用意してくるから、待ってて」 円が不満気に答えると、高貴は椅子から立ち上がった。 「ああ、そうだ。お冷やを2つ出して」 高貴が思い出したように、そばにいた従業員に指示を出す。 若い男性従業員が、指示通りに水が入ったグラスを2つ、テーブルに置いた。 「あれ、軽井沢さん?何でここに?」 その従業員が、元同僚の軽井沢であることに、大木は気がついた。 「富永さんの紹介で、ここに就職することになったんです」 「なんでまた?」 大木は首をかしげた。 「あそこは正社員登用なんて無いし、出世も見込めないから、別のところでやり直そうかと思って……」 「そうなんですね!新しいところでも、頑張ってください!!」 「……うん」 大木が屈託なく笑って、軽井沢に激励の言葉をかけると、軽井沢は小さくうなずき、厨房へ引っ込んでいった。 運ばれてきた料理を食べながら、大木は店内の様子を伺った。 店長の高貴は「拓美さんが来たら呼んでね」と言って、厨房に引っ込んでいった。 軽井沢はレジを担当していて、他の客が会計を済ませるたびに、「ありがとうございました」と見送りの言葉をかけた。 「コレ、美味いですね」 ボリューム満点のステーキを刻みながら、大木は料理の感想を述べた。 「うん!今の時間帯はあまりお客さんいないけど、高貴兄さんのお店、美味しいしリーズナブルだから、人気もあるんだよ」 円は嬉しそうな顔をして、バゲットをかじった。 その様子を見ると、兄の高貴を慕っているのが嫌でもわかる。 「そうでしょうね……」 大木は円と高貴の仲に対して疑問に感じることがあったが、そのあたりを詮索するのは躊躇いがあった。 「遅れてすまなかったね」 出された料理を食べ終わった頃合いに、円の母──拓美がやってきた。  「いえいえ、さほど待ってないですよ」 大木がかぶりを振った。 「拓美さん、久しぶりだね。ほら、ここ座って」 拓美が来たことに気づいた高貴が、円たちの向かいに置いてある椅子を引いた。 「ありがとう、高貴くん。あ、コーヒー頼んでいいかな?」 拓美は高貴が引いてくれた椅子に腰を下ろすと、さっそくコーヒーを注文した。 「うん、淹れてくるね」 拓美の注文を聞き入れた高貴が、厨房に向かっていく。 「久しぶりだね、円、知成くん。」 拓美が、大木と円に向かって改めて挨拶した。 「ええ、お久しぶりです」 大木は高貴のときと同じように、しっかり頭を下げて挨拶を返した。 「番になった報告なんて、わざわさしなくてもよかったのに」 拓美は足元に置いてあるカゴに荷物を入れ、額を手の甲で拭うと、フーッとため息をついた。 よく見ると、拓美の顔の至るところに小粒の汗が滲み出ている。 遅れた理由は、患者の容態が急変したからだと聞いていたので、それで一悶着あったから、こんなに汗をかいたのかもしれない。 「そういうわけにもいかないですよ。番じゃないけど付き合ってるのと、番になった上で付き合うのとでは、大きく違いますから」 「真面目だね」 大木の返答を聞いた拓美が、クスッと笑った。 「いや、「俺が挨拶したい」っていう、単なるワガママみたいなもんですよ」 「そうかい」 拓美が感心したように相槌を打つ。 「そうです。それにしても、円さんにお兄さんがいるなんて、初耳でした」 「姉もいるよ。妹も弟もいるし。まあ、大半の人は顔も名前も知らないんだけどね」 ケロリと言ってのけた円に、大木は狼狽えたと同時にあることを思い出した。 ネットでM区IT企業CEO刺殺事件を調べてみたところ、被害者となった円の父には20人近い愛人と、30人近い庶子がいたことを。 いろんなサイトを漁っていくうち、事件の後、現場となったマンションは引き払われ、大半の愛人と庶子は消息不明になっていると書いていた記事を見つけた。 その愛人のうちの1人と、庶子のうちの2人が目の前にいる。 その事実を目の前にして大木は、「世間は案外狭いものだな」と感慨深い心持ちに至った。 同時に、この3人が普通の家族のように仲良く話し込んでいることに、違和感を覚えた。 そのときだった。 「ねえ、愛人の子ども同士と、愛人と別の愛人の子どもが仲良くしてるの、すっごくヘンに思うでしょ?」 拓美が大木に向かって、意味深にほほ笑んでみせた。

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