20 / 26

引っ越し

「よし、と…」 パンパンッと両手の埃を払い漢三が部屋を見渡す。 (長いこと世話になった部屋だが…うん、綺麗になったな) ぐぐ、と伸びをした。 篠崎邸。昼の二時を過ぎようかという頃。 「漢三ーっこれなにーっ!?」 「着物ーッ」 二階と一階では遠くて普通に喋ったんじゃ声が届かない。物に阻まれて上がれないから声を張り上げた。 「これはーっ!?」 「それは…っ…あー…後でいい!」 「あーっ!エッチな本や!!!」 「馬鹿野郎!!!デカい声で叫ぶな!!!」 「男同士の本やん…」 篠崎が口元を覆ってビビっていると、漢三が半獣になって上がってきて、バッと本を取り上げた。 「見たな…?」 「み、見てへん見てへん!お、男同士の本やないか!ウチはええで!漢三が男色趣味の男やったとしても全然!」 「バッチリ見てんじゃねえか!!!俺は男色が趣味なんじゃない!」 「エッじゃあなんでウチと寝るん」 「…お前の事が好きだからだよ」 「でも男色じゃないんやろ…?」 「あーそうだよ!俺は普通に女が好きだ!だがなぁ!そんな事よりお前が好きで!お前は男なんだよ!お前と繋がれるなら男でも女でもどっちでもいいんだ!分かったか!」 「漢三…女が好きやったんや…」 「気にするのはそこなのかよ…」 「これからは女でヤる…?」 「…どっちでもいいよ…俺はお前と繋がれるならそれでいい」 「物好きやなぁ」 呆れた、と篠崎がため息を吐く。 「ほら、もういいだろ。早く片付けようぜ」 「はーい」 二人で手分けして漢三の荷物を部屋に入れた。 「こんなもんかーっ!」 やったー!と篠崎が伸びをした。粗方片付いて道が通れる。疲れた〜と篠崎は座り込んで煙草を吸い出した。 「…それ、一本くれよ」 漢三が隣にしゃがみ込んで言う。 「ん?でも漢三吸わへんやん」 「今は吸いたいの」 「ふーん?」 はい、と煙草とマッチをくれた。 「火、つけて」 「は?マッチあるやん」 「お前の煙草から欲しい」 「ワガママやな〜」 ほれ、と篠崎が口元を差し出す。 「ん」 煙草の端と端を繋げて息を吸い込んだ。ジジ、と漢三の煙草に火が移る。 「げっほ!」 「あー!ほれ見ぃ言わんこっちゃない!」 咳き込む漢三の背中をさすってやった。 「げほっ…」 「要らんならウチがもらうけ。ほれ」 「要る」 「なんちゅう強情なやつや」 漢三は目に涙を溜めながら煙草を吸った。 (篠崎のお気に入りの煙草…こんな味なんだな) ぷかぁ、と煙をくゆらせて篠崎は言う。 「漢三。ウチなぁ…尻尾増えたんよ」 「えっ」 「ふふ、見る?」 「ああ、見たい」 モフッと尻尾が生えた。 「…多くね?」 「んはは!ウチも思ったわ。いきなり四本も生えるもんかね?」 「いや…分かんねえけど…。わ、わ、くすぐったい…」 もふもふ、と尻尾に包まれる。 「間違っても煙草くっつけんといてよ?燃えてまう」 「あ、おう」 「っていうかしまっとこ」 すん、と尻尾が引っ込んだ。 「今夜は赤飯だな」 煙草を咥えた漢三が微笑んだ。 「んふ、塩かけてええ?」 「いいぞ。そうだ、鯛でも買いに行くか?」 「いいねぇ、漢三の奢りな?」 「任せろ?」 ははは!と二人で笑った。 くぴ、くぴ、と酒を煽る。 「っぷはー!かんぞぉ〜!んまぁい!」 「飲み過ぎだぞ篠崎…」 「いいやんかぁ、今日はお祝いなんやろ?」 「そうだけど…ああほら…ほっぺについてる」 「ん〜?どこ?」 「ここ、ここ」 「ん〜???」 「ああもう」 立ち上がり腕を伸ばして取ってやる。 「ほら」 「ん…♡」 その手を掴まれて擦り寄られる。ちゅ、ちゅ、と掌にキスをされて、指をしゃぶられた。 「…ん…は、…ん…♡」 「…ッ」 ぐ、と舌を噛む。そんな顔されたら興奮してしまう。 「かんぞ…♡」 とろ…と涎が途切れた。 「〜〜〜ッ」 ガタリと椅子を蹴倒して篠崎に近寄り抱きしめてキスをした。 「…っは…♡」 「くそ…ちくしょ…」 我慢ならなくて、その場で篠崎を愛撫した。 「漢三…ベッド行こうや…」 ずるり、と椅子からずり落ちながら篠崎が言う。 「は…そうだな…」 既に半獣になっている漢三が軽々と篠崎を抱き抱えて寝室へと向かう。 「…あったかい…」 すぅ、と篠崎は漢三の毛に埋もれた。 「篠崎」 「ん…」 「ついたぞ」 「うん…」 篠崎は抱きついたまま離れない。ちょんちょん、と頬をつついてみるとぷぅ、と頬が膨らんだ。 「つつかんといて」 「かっっっっわい」 上目遣いで見上げられて思わず声に出た。 「漢三、人型なってや。キスできひん」 「あ…おう」 どろん、と化けると篠崎が首に手を回して唇を合わせてきた。 ちゅ、ちゅ、と軽く合わされたあと唇を指で開かれて、そのまま指と舌が入ってくる。くちゅ、ぐちゅ。篠崎の指を噛むわけにもいかず涎を垂らしながらキスをした。 「は…っ♡」 「…ぁ…ん…」 「…漢三?気ィ抜きすぎとちゃう?」 「え?」 「耳も尻尾も出とるよ」 「え…」 おかしいな、さっき全部しまったはずなのに。 「まあええけど…誰もおらへんし」 ふわふわと耳をさすられてびくついてしまう。 「ぅ、ん…ッ」 「ふふ、ホント漢三は耳が弱いなぁ」 「は…っ」 「ほら、可愛い可愛い」 ぺろ、ぺろ、と毛繕いされると否が応でも下が反応してしまう。 「う、ぐ…っ」 「堪え性がないのぉ…」 「しょ…がねぇ、だろ…っ」 「ふふ、顔とろっとろやで?」 「言うな…馬鹿…」 はぁ、はぁと息が荒い。ふー…と一息ついて篠崎を押し倒した。 「おわ」 「形勢逆転、ってやつ」 はは、と笑って篠崎の首筋を舐める。 「ん」 ちゅ、ちゅ、と首筋にキスをした。 「あ、ねぇ…漢三…」 「ん?」 「痕…つけて…?」 篠崎が髪を退け、首を曝け出して呟いた。 「へ…?」 「だめ…?」 「あ…いや……だめ…じゃない、けど…いいのか?」 「ん…うん…」 ちょっと恥ずかしそうに顔を隠す篠崎がいた。恥じらう篠崎なんて久しぶりに…いや、初めて…じゃないか?こんな状況で余裕のない篠崎なんて見た事なかった。心拍数が上がる。ゴクリと生唾を飲んだ。 「つ、つけるぞ…」 「うん…」 ちゅ…と強く強く吸い付いて赤い痕を残した。そっと顔を上げると、心から幸せそうな顔をした篠崎と目があってしまった。 「えっ…」 「…っ見んといて」 耳まで真っ赤にした篠崎が枕で顔を隠す。わ、わ、意識…されてる…。途端にこっちも意識してしまって真っ赤になった。 「篠崎…?」 「…」 「篠崎」 「…なに」 「…好きだよ」 「…っ」 「好きだよ。篠崎」 「…馬鹿」 ぐず、と鼻を啜る音が聞こえる。泣いてるんだろうか。 「篠崎、好きだよ」 「…そうかい」 「篠崎…」 そっと枕をどかすと真っ赤な顔で篠崎が泣いていた。 「好きだよ」 「…っ応えられんって…言ったやろ」 「…それでも…好きだ」 「馬鹿……漢三の馬鹿…!」 わっと篠崎は泣き出してしまった。どうしようもなく嬉しくて、ただ抱きしめて頭を撫でた。 すぅ、と泣き疲れて寝てしまった篠崎を撫でる。 ああ、生きてて良かったなぁ、とこれほど思えたことはない。幸せだな、と篠崎の寝顔を見つめていた。 …いつのまにか、狼に戻ってしまっていた。あれ…そういえばさっきの耳と尻尾も…おかしいな…。 頭を捻りながら篠崎の隣で眠った。 どこかで聞いた事がある。妖は妖力が無くなると死ぬんだと。妖力が無くなると、化けることも話すことも出来なくなるんだと。ただの獣になって、そして、死ぬんだと。 (あ、俺…死ぬのかな) 最近どうもおかしいと思っていた。化けられる時間が短くなっている。気がつくと術が解けている。仕事を辞めたから篠崎の家にいる事が多くて外ではバレていないけど、薄々勘づいていた。 「漢三?また狼になっとんの?」 「ああ、楽だし」 「ちょっと外出かけるで留守頼むよ?」 「おう」 篠崎が妖として成長するにつれ、己の妖力が減っているのも気づいていた。置いていかれるどころか、後退している。考えないようにしていたが、思ってしまう。…持っていかれてるんじゃないだろうか。 まあ、弱い者は淘汰されていくものだし、強い者が生き残るのは自然の流れだ。篠崎は九尾の両親から産まれたんだ。元々妖力が強かったのだろう。 「篠崎の為に死ねるなら本望だな…」 ポツリと呟いて眠った。 ーーーこの世の妖でこの事を知っているのは上位の者の中でも少数だけだが、妖力というものは想いに乗って移動する。もちろん下位である漢三や篠崎はこの事を知る由もない。 想いに乗った妖力はまた想いに乗って循環し、妖や人の身体を巡り渡り歩く事で均衡が保たれている。 想いが深く大きければ、それだけの妖力が移動する。密接に関わるほどそれは移りやすく、特に肌を重ねまぐわう夜伽の中では、互いの妖力がよく混ざり合う。 …ただし、混ざり合うのはお互いがお互いを想いあっている場合の話。片方が想いを与え続けているのにもう片方が返さなければ混ざるものがない。受け取る側の妖力が増えるだけである。篠崎宗旦と朝食漢三は、まさにその関係だった。全力で愛を注ぐ漢三は、毎度ありったけの想いと、気づかぬうちにありったけの妖力を篠崎に捧げていた。しかし篠崎宗旦は、愛を返すことが出来ず、それを知らぬうちに身体に貯めていた。 「漢三、漢三?」 「ん…?」 「起きてや、どうしたんや、電話も出んと」 「あ…ごめん」 ぶるるっと首を回して毛並みを整える。 「大丈夫かや…?」 「…ん…うん」 「体調悪いなら鼬瓏達んとこ行くか?」 「絶対嫌だ」 「…そんなに嫌わんでもええのに」 「お前は知らないんだよ。あいつらが何を背負ってんのか」 「…どうせ分かりませんよーだ」 ふい、と顔を背けられた。 「…飯にしようぜ」 ドロン、と化けて踏み出した。そのまま体重を支えられなくてドッ!と倒れる。 「漢三!」 「…痛ッてぇ…」 左足が痺れて動かない。這いつくばった状態から起き上がれなくなった。 「くそッ」 ダン!と床を拳で叩くも何もできない。 「漢三…!鼬瓏呼んでくるから待っとり!」 「おい!待て!篠崎!篠崎ッ!」 駆け出した篠崎を止めることも出来ずに漢三は突っ伏した。 (今は…ダメなんだよ…篠崎…!) 「鼬瓏!漢三が、漢三が…っ」 慌てて飛び込んできた篠崎を見かねて鼬瓏とマーガレットが漢三のもとへ向かう。 「漢三ッ!!」 バタン!と篠崎が扉を開けると、狼耳と尻尾が隠しきれていない漢三が床に倒れていた。 「ヒィッ!」 鼬瓏が怯えてしゃがみ込む。マーガレットはサッと鼬瓏の肩を支えていた。 「篠崎…呼ぶなって…言ったろ…!」 「だ、だって…!」 「ウ、ァ、…犬、犬…ッ」 鼬瓏が頭を抱えて震える。 「鼬瓏…大丈夫、大丈夫よ…」 マーガレットが抱きしめて鼬瓏を優しくなだめた。 「あ、ぅ…っ」 篠崎は狼狽えるだけで何も出来ない。 「とっとと連れてけ!篠崎!!」 漢三の怒声を聞いてマーガレットと鼬瓏を外に連れ出した。 「…ウ、ゥ…犬…」 未だガタガタと震える鼬瓏の背中をマーガレットが優しく撫でる。 「ごめんなさいね、鼬瓏、犬科の動物が苦手なの」 「…」 篠崎は何も言えなかった。 「…漢三さんの事知ってるなら私の話を聞いても驚かないわよね。私が何故あそこで冷静でいられたか分かる?」 「…」 静かに首を横に振った。 「…イギリスに残してきた彼…カインはね、狼男なの」 「…」 「満月の時にだけ狼になってしまうの。彼が初めて狼になった時も鼬瓏はとても驚いていたわ」 そっと鼬瓏の頭を撫でながらマーガレットは言った。 「でも大丈夫、きっとカインのように、漢三さんの事も、落ち着いて見られるようになるわ。今は突然だったから驚いただけ」 「…」 「ね、鼬瓏」 「…ハイ…すみませン、取り乱しテ…」 篠崎は首を横に振った。 「……あんな…ごめんな…鼬瓏、マーガレットちゃん…ウチ…ウチもな…狐なんよ…」 「うん、そうだと思ったわ」 「…だかラ…ずっと獣の臭いがしていたんですネ…」 「…ごめん」 「ううん、謝らなくていいわ。今話してくれたんですもの」 「…でも」 「……っ…今は漢三サンの方が大事ですヨ…あのまま放っておくわけにもいかないデショ…」 「…っ…うん…」 グズ、と泣き出した篠崎をマーガレットが抱きしめた。 「くそ…くそッ」 指先しか動かない。拳を更に握りしめた。 「グルル…」 喉から狼の声が出る。ふかふかの毛並みが体を覆った。人の形を保ったままの狼になってしまった。 (なんで…っ…ちくしょう…っ) トントン、と階段を登る音がする。ああ、篠崎が戻ってきたか。ん?…篠崎以外も居る…? ス、としゃがみ込んだのは鼬瓏だった。 「漢三サン…?」 「グル…」 「ウ…ッ…漢三サン…動けますカ?」 微かに横に首を振る。 「…診察しますかラ…動かないでくださいネ…」 いつものように針で調べる。トントン、といくつか刺して鼬瓏はなるほど、という顔をした。 「…動けるようにはなりまス。デモ…きっと人の体とは違う所に原因がありますネ」 「そか…」 篠崎がしゃがんで漢三の頭を撫でてくれた。ホッとして目を閉じ力を抜く。 「漢三さん、本当に篠崎さんの事が好きなのね」 チラ、と片目を開けてマーガレットを確認し、フン、と鼻息で返事をした。 「篠崎サン、そうやって撫でていてくださいネ」 「ん?うん…」 「漢三サン、荒治療しますヨ」 「グルル…」 一呼吸置いて、鼬瓏はストトト!と針を刺した。 「キャウン!」 「漢三!」 ビクリと波打った漢三の頭を篠崎が抱きしめて落ち着ける。 ふ、ふー、と鼻息の荒い漢三を強く抱きしめ、マズルから伸びる鼻筋を撫でてやる。 「クゥン…」 「よしよし…良い子…」 「気功の流れを変えましたかラ、しばらくはこのままでいてくださいネ…」 「ありがとう…鼬瓏…」 「グルル…」 「どういたしましテ」 篠崎が漢三の背中を撫でてやっていると、鼬瓏が意を決したように言った。 「…床じゃ冷たいですシ、ベッドに寝かせてあげましょうカ…?」 「あ…そうやね」 んしょ、と篠崎が漢三に肩を貸そうとすると、鼬瓏がヒョイと漢三を持ち上げた。 「?????」 漢三は訳がわからないという顔で抱き上げられている。 「篠崎サン、ベッドはどこですカ?」 「えっえっ?…漢三?鼬瓏?…あ…えっと…こっち…」 細身の鼬瓏が彼の二倍くらいある漢三を持ち上げている事が理解出来ないまま寝室に案内した。 「それじゃ、漢三サンの針は半日経ったら抜きにきますかラ、それまでは動かないように言っておいてくださいネ」 「…うん…ありがとう……本当に…ありがとうな…鼬瓏…マーガレットちゃん…」 「いいのよ、私は何もしてないし」 「行きますヨ、マーガレット」 「またね」 帰っていく二人を見えなくなるまで見送った。 「漢三…?」 「…あ…篠崎…」 篠崎が寝室に戻ると漢三が人型に戻っていた。 「よかった…」 「…ごめんな…ありがとう」 「ううん…漢三、何かウチ、力になれるかや?」 「…ここにいてくれるだけで良いよ」 「…でも」 「いいから。一緒にいてくれ。それだけでいい」 「…うん」 そっと隣に寝転んで頭を撫でてやりながら、二人は眠りについた。

ともだちにシェアしよう!