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第4話

 俺達はそのまま校舎に入ると、教室へと向かった。おはよう、と声を掛けられれば、同じように返し、視線だけを教室の中に巡らせる。  いた。  男の姿が目に留まると、安堵感と共に湧き上がるのは同じくらいの罪悪感と、ほんの少しの恐怖だった。それが思いの外、脅迫するかのように心を締め付けてくるので、俺は意識的に彼――志村明人から視線を逸らした。  教室の一番窓側、前から三番目にその大きな身体を丸めてぼんやりと外を眺めている姿は、そこだけが静寂で、喧騒も風の流れもなく、時間が止まっているように見えたのは、俺の罪悪感が見せる、陽炎のようなものだろうか。 「礼、お前、昨日電話無視しただろ」  現実に引き戻されるように、はっとして瞬きをすると、いつの間にか目の前にまで迫って来ていたクラスメイトの東雄大が不機嫌に眉を顰めて、俺を見つめていた。俺は曖昧に頷きながら「風呂だったんだよ」と適当に言い退けてから、自分の席へと歩き出す。 「折り返せよ」 「留守電もない一回きりだったから、そんな重要に思えなかった」  そう言いながら机に鞄を置くと、東は「俺に冷たくね?」と、俺よりも十センチは高いその長身を屈ませ、俺の背中に伸し掛かってくる。その体の重みや、重なった場所が温く熱を持つ感覚にぞわりと、ワイシャツの下で肌が粟立つ。 「重い、鬱陶しい」  そう言い退けると、東は楽しそうに笑って、綺麗に染め上げた美しい栗毛を揺らした。そして、顔の横からその形の良い眼差しを覗かせると、 「じゃあ次からメンヘラみたいにやろっと」  そう言いながら、微かに眼差しに炎を灯す。グレイだ。俺はそう直感的に感じると、「鬱陶しい」と一言突っ返して、その身体からするりと抜け出した。 「連れねえなー」  東がそう漏らすと、担任教師が教室へと入って来て着席を促した。俺はそれにほっとしながら、離れて行く東の背中を睨みつける。  三年に進級してから同じクラスになった彼は、何かと俺に突っ掛かってくる。ああしてじゃれてくる事も、何もしてない俺に対してグレイをちらつかせて威嚇してくる事も、偶にではない。ほぼ毎日だ。頭もよく、国立大学現役確定という噂がある程頭脳明晰で、顔立ちも華やかで目立っている。しかも彼はダイナミクスの性を持つドムだ。それが何故――一般的には珍しいと言われるダイナミクスではあるが――グレイの薄い、ドムのなり損ないみたいな俺に関わってくるのか分からない。  しかし、スイッチと言う体質がバレている可能性は低い。俺が外に出ている間、サブの面を表に出したことは過去に一度だけだ。  そこまで考えて、俺は頭を横に振った。心の奥底に沈めたはずのものが、心の隙をついては、すぐに頭を擡げ始める。俺は制服のポケットに手を突っ込むと、その中で強く拳を握る。  考えるな、考えるな。俺が生きているのは、過去じゃない。  そう言い聞かせながら、深緑色の黒板を強く睨みつける。浮上しかけた記憶は、頑なな俺の拒絶を感じたのか、またゆっくりとずぶずぶ、泥沼の奥へと引きずり込まれていく。  すると、不意にポケットに入れていたスマホが俺の手の甲の上で振動した。そっと取り出して中身を確認すると、東からだった。 『今日の放課後も楽しい事しよーね』  ――最悪のお誘いだ。  俺は舌打ちを心の中で押し留めて机の上に突っ伏した。

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