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犬 6
犬が唸る。
もうそろそろ帰ろうぜ、と言っている。
オレはお前と一緒だったらどこでだって構わないけど、お前はどこでもいいわけじゃないだろ。ニンゲンの子供だからな。ニンゲンの子供は夜までに家に帰らないとまた怒られるぞ。
お前、部活辞めたばかりじゃねぇか。
それをひと声の唸りで表せるのが犬のすごいところだ。
俺は中学生。
入学して数ヶ月の中学で、入ってたサッカー部をやめたばかり。
1つか2つ上だというだけで、あんなに威張りちららす連中の意味がわからなかったのだ。
同じガキじゃないか。
理不尽な先輩と殴りあいになり、やめた。
サッカーの練習も、これが良いとは思えなかった。
そもそも、なんで楽しくサッカーをしてはいけないのかもわからなかった。
同じような制服を着て、同じようにあれと強いる学校がどうも。
好きじゃなかった。
自分達がハードにグレていた両親は部活をやめたくらいでは俺に何も言わなかった。
まあ、何か言ったらじいちゃんばあちゃんがキレるだろう。
特に暴れ回っていた母親の方のじいちゃんばあちゃんが。
俺の母親の名前を出せば、ある年代の人達が恐怖を浮かべるのを俺は知ってた。
でも部活をやめて。
特に何かをしたかったわけではないのだ。
だから友達が部活が終わる時間までを犬とすごしていた。
犬にしてみれば、
学校なんてモノに行くのは別に構わないがオレを置いていくなんてゆるせない。
しかもさらに部活などでオレをさらに放っておくなど有り得ない、
と思っていたようなので、俺が学校が終わるとすぐに帰ってくるのは嬉しかったらしい。
帰ってきたら、俺の役目である台所にのこった洗い物を片づけて。
洗濯物をとりこんで、畳んだりして。
自分でオヤツを作ったりして。
やさいを沢山入れたお好み焼きを焼いて食べたりして。
ホットケーキを作ったりもする。
休日なら妹のためにケーキも焼く。
それから犬と出かける。
友だちは部活だし。
そうじゃない友達は部活じゃないのに、自分らで内輪の妙なルールを作る連中とつるみ初めて、変にカッコつけていて面白くなくなってた。
だから、俺が帰ってくるのを待ってた犬といる方が良かった。
部活が終わる頃には友達も帰ってくるから、俺の店で学堂保育から帰ってきた妹もいれて、子供達で店の片隅で飯食って、宿題をしあって、友だち達は帰り、俺は妹を店の裏にある家につれて帰るのだ。
風呂を沸かして妹を風呂にいれて。
俺も入って、寝るのだ。
親が帰って来る前に起きてたら殺される。
夕食を一緒に食べる友達連中はこの街で働く親の子達だ。
人数やメンバーは変動する。
ずっと来てるやつもいるけど。
夜働いている親達なのだ。
俺の家の食堂も午前11時から午後10時までやってる。
晩飯は子供達が集まって、食堂で食べるのは小学校の頃からずっとなのだ。
俺と妹も含めて、俺の両親はそんな子供達に淋しい食事をさせたくなかったのだ。
俺達はだから寂しい食事なんかしたことなかった。
主なお客さんである、現場ではたらく人達、配達のドライバー、肉体労働をしている人達は子供達が店で騒ぐのを気にするような人達じゃなかったし、大体俺の住むこの街自体が猥雑そのものだったのだ。
善悪も混雑し、だからこそどんな人間にでも居場所があるこの街が俺の街だった。
怪物と聖者、獲物と餌。傍観者、無関心と欲望は隣り合わせに。
嫉妬と犠牲はまざりあって捧げられ、それでも、生きていく生命力と、滅亡へ突き進む虚無が入り交じる。
俺はその街の子供だった。
ただ、俺には守護がついていた。
闇をくぐり抜け生き残り、俺達を生み出した両親と、この世界となんとか折り合いをつけたサバイバー達である店の常連さん達、そして、俺には常に全存在をかけてオレを守ろうとする犬がいた。
俺の守護者。
俺を選んで俺だけを守るもの。
燃える火のような目をした生き物。
悪い、泣いてもいいか。
それを思い出すだけで俺は泣ける。
喪ったものは帰ってこないからだ。
それは、時に俺を泣かせてしまう。
でも、俺は思う。
どんなに俺は恵まれていたのかと。
彼女には。
守護などなかった。
彼女はこの街だけでなくても、この世界にすくなからずいた守護なき子供の1人で。
たった1人で世界と戦っていた戦士だったんだと俺が知るのはまだ先だ。
とにかく、その日、俺と犬は街にいて。
犬は俺に注意をうながしたのだ。
「分かってるよ。帰んないと、母さんが探しに来る、だろ」
俺がそろそろ飯をたべに来る時間なのに来なかったら、母親がやってくる。
怒り狂って。
どれだけおそろしいか。
犬でさえ、母親には一目置いているのだ。
俺の母親の伝説はまだまだこの街に残っている。
大好きだが、とても恐れてもいる。
ひたすら優しい父親とは違う感情を母親には持っている。
俺の友達連中もだ。
一緒に飯を食ってる友だちの1人は、小学校時代、弱いモノ虐めをしている現場を見つかって(この辺の子じゃない子を捕まえて乱暴していた)、引きずられ、母親に足クビ掴んで橋の手すりから街の端にある川に向かって吊るされた。
「お前がしてんのはこれと同じことなんだよ!!」
俺の母親に怒鳴られた。
友達の話じゃ、片手でブンブンそのまま回されたって言うけど、ウチの母親でもそこまではしないと、思う。
多分。
でも泣いて、小便まで漏らし赦しを乞う友達を母親はひきあげて、抱きしめて、俺の家で風呂に入れて着替えさせ、その日は俺や妹と寝かせた。
友達の母親はどうせ家にいないからだ。
友達の母親は。
子供を愛していないわけじゃない。
酒がモヤをかけて、子供が見えなくなってしまうのだ。
時々。
友達は大人になった今でも俺の母親を愛してる。
もう1人の母親のように。
そして、とても恐れてる。
そんな風に俺にも母親は恐怖と愛と尊敬の対象だった。
だから、 帰らねばらない。
犬も母親が俺を怒るのは容認しているからだ。
犬は賢すぎた。
危害ではなく、俺に必要なことだと認識しているのだ。
助けてはくれない。
そう、夕飯の時間に帰らないのは、最大の罪なのだ。
でも。
でも。
もうちょっとだけ。
まだ帰りたくなかった。
犬は目だけで呆れたことを示す。
あのメスかよ。
まあ、お前も発情がわかるようになったからな
くだらねーがな。
「お前には分かんねーよ」
俺は犬に言う。
犬にはこういうのだけは分かってもらえない。
俺が最近街をウロウロしてる理由を犬はよく分かっていた。
ここは、子供には何も楽しいところじゃない。
飲み屋も、風俗街も。
ゲームセンターは禁止されてるし、されてなかったところで金はない。
そう金のないヤツには何ひとつ楽しいところではないのだこの街は。
でも、俺が街をウロウロしている理由は一つだった。
そして、とうとう俺の目は人混みを透かして、向こうに微かに小さく見える彼女を見つけた。
恋ってすごい。
ものすごいサーチ力だ。
俺より背の高い少女。
長い手足。
短い髪は乱雑で、暗く鋭く刺し貫くような目をしてて。
不機嫌な唇に、子供のくせにタバコを咥えて。
世界の全てに反抗するように歩いている。
俺の生まれて初めての恋の相手。
見ただけで身体の力がぬけて、目が逸らせなくなる。
だらしなく口さえ開いて、ただ見つめる。
彼女はこちらへ向かってきて、その強い目に俺を確かに映す。
俺は立ち止まっているだけで。
彼女は速度を落とすことなく歩き続けているだけで。
彼女がタバコの匂いを残して俺の横を通り過ぎる。
俺は振り返り、決してこちらを振り返ることのない彼女の背中を見つめ続ける。
彼女が見えなくなるまで。
そして、ため息をつく。
これが。
俺の初恋。
当時、俺は一目彼女をみるためだけに街をウロウロしていたのだ。
犬が吠えた。
おまえ、楽しいか?これ?
それはそういう意味で。
そこに返す言葉などなかったのだ。
犬はいつでも正しかった。
俺が臆病なだけだった。
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