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悪魔 2
怪物は街で獲物を捜していた。
獲物は中学生の自分の娘。
学校にすら行っていない。
なんてことだ。
あれ程愛したのに、自分の期待を裏切って、街であそび回っているなんて。
怪物の身体はかっての美しさはなく、脂肪で膨れ上がっていた。
歯さえ抜け落ち、萎んだ口許。
穴のような目に今はギラついた光が宿っていた。
娘を躾けなけばならない。
教えこまないと。
ちゃんとした大人になれないぞ、と。
怪物は娘が自分から逃げて家にいないことがわからない。
娘にむかって怒鳴ったり、拳をふりあげたときのことはアルコールの壁の向こうにある。
妻を殴って怪我をさせて家を出たことさえ忘れている。
だが、酒への渇望で狂いそうなのに、それでも娘を探すのは娘への狂おしい愛だった。
学校へ行って、マトモに。
その願いも誰よりも愛するがゆえだった。
だが、もう。
酒によって壊れた脳には。
愛は厄介なガソリンでしかなく、凶暴な怒りと、止められない破壊衝動は愛を燃料にガンガンと燃え上がっていた。
娘を罰しなければ。
娘を見つけなければ。
遠に壊れていた。
彼の妻、娘の、ナツの母親もまた愛のためにそれを認められなかった。
愛が見えるからこそ。
昔の愛した勇敢な男を残骸になってしまったそこに見てしまったのだ。
もういないのに。
もっと早く見捨てるべきだったのだ。
もっと早く。
化け物になってしまう前に。
そうしたなら、アルコールを止めて、娘と妻の元へ帰ろうと足掻くことが出来たかもしれない。
そうでないかぎり。
1度溺れたその場所からは立ち直ることなどできないのだ。
でも。
もう遅かった。
そこにいるのは。
怪物だった。
怪物は唸りながら街を歩いた。
裏道にまで入り、娘の名を叫ぶ。
見つからない。
人々は怪物に近寄らない。
ボサボサの髪、ギラつく目。
酒と体臭の臭気。
酒に枯れた怒声。
でもその腕はまだ太く、はち切れそうで。
狂気がアルコールと共に血管を駆け巡っていた。
愛とはすごい。
俺がいつでもナツをみつけられたように、怪物もナツを見つけた。
怪物は命より大切なアルコールの自販機へ向かう衝動すら抑えてまで、ナツを捜していたのだから当然か。
「ユキぃ!!!!」
怪物は叫んだ。
見つけた娘にむかって。
そう、ナツの名前は、ナツ ユキエだ。
俺には心の中でさえ下の名前で呼ぶことなんかできなかったのだ。
多分、また、世話になってるのだろうどこかの店のお使いに行っていたナツの身体が、一瞬で強ばる。
ナツらしくもなく身体が、震え、恐怖にすくむ。
たった一声で。
ナツが買ってきたミネラルウォーターのペットポトルがナツの腕から転がる。
怪物をその目に認めて、絶望に眼を見開き、震える脚で身体を支える。
ナツは怯えた子供でしかなかった。
その長い手足で、不良や酔っ払った大人達を薙ぎ倒していたナツはそこにいなかった。
ガクガクと震えて動けなくなる、哀れな子供。
「ユキィ!!!」
その声だけで怪物はナツを屈服させた。
そうしてきたように。
「お仕置だぁ!!!」
唸り声。
荒い息。
血を欲しがる魂は今も昔も変わらない。
ただ、昔はその求める血は倒すべき敵のものであった。
どんなに強大な敵でもその男は敵の血を求めたのだ。
だが、 今、アルコールに壊された脳は。
愛する娘の血を欲しがれと怪物に命令していた。
怪物は暮れ始めた街角で。
集まり、でも恐ろしさに固まった沢山の人達の前で愛する娘を壊れるまで殴りつけようとしていた。
動かなくなるまで殴り続けろ。
それは。
強い敵に立ち向かう時の命令と同じ。
壊れた脳にはその意味がとどかない。
太い腕がふりあげられた。
これはデモンストレーション。
あえて殴ることを教えるのが、獣が戦士であった時には好きだった。
さあ、避けてみせろよ。
そう笑ってみせて。
ここから始まる攻撃を誰にも止めさせたりなどしない
ぶち壊す。
すべてを。
踏み込んで思い切り殴りつける。
おそらく、ナツの頭蓋骨は骨折するはず、だったんだ。
怪物がそれができなかったのは、背後から思い切り背中を硬いもので殴られたからだ。
怪物はナツを殴るのを忘れた。
攻撃されたからだ。
長く攻撃などされてなかった。
暴れることはあっても。
獲物ではなく、敵を感知したのは久びさだった。
怪物は歓喜した。
壊れた世界に色がさす。
獲物を捕らえる以上に素晴らしいこと。
それは敵と戦うことだ。
うがァァァあ
唸りながらふりかえった。
そこに立っていたのは。
くつ下に乾電池をつめたものを振りまわしている、中学生の俺と、歯を剥き出している犬だった。
「ナツに近寄るな!!」
俺は怪物にむかって怒鳴ったのだった。
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