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トラップ 2

ナツは駆ける。 ナツは速い。 あっという間に裏通りにその3人を追い込んだ。 そしてナツは自分が強いのを知っていた。 それがどれほど残酷なことなのかも。 ナツは瞬く間にその若い男達をぶちのめした。 美しいしなやかな蹴りはありえない角度でしなり、連続して2人の人間の側頭を蹴り上げ、残り1人の鳩尾を貫いた。 美しい蹴りだった。 でも、ナツはもっと美しく強い蹴りを知っている。 誇り高い戦士が、恐ろしい敵に向かってそれを使っていたからだ。 こんな場末の路上で自分が使う蹴りなど、粗末な飛び道具でしかない。 頭を蹴られた2人は意識を失い、鳩尾をくつの中で固めた親指で突かれた1人は胃液を吐き出していた。 話を聞くのなら、一人でいい。 それにコイツがあたしを撃った。 ナツは戦士の娘らしく執念深い。 自分に攻撃した者の顔もその攻撃方法も忘れるはずがないし、やり返さないわけがない。 ナツは父親に似ていた。 ナツが今でも愛する父親に。 「聞いてねぇ、聞いてねぇよ、こんなつよいなんて聞いてねぇよ!!」 男は吐きながら泣いた。 前も銃を使っても殺せなかったのだ。 そうだろう。 ナツは暴力を仕事にはしてない。 ナツは逃がすのが仕事だ。 暴力を仕事にするのだけは、一線を引いてきたのだ。 使わなかったわけではないが、少なくとも、それを仕事にはしなかった。 だから、ナツが「使える」ことを知らないヤツも多い。 知っていたとしてもどこまでだか。 他人に使えることを教えるつもりもナツにはない。 ナツの暴力は父からの遺産で、宝物なのだ。 たとえ一畳しかない場所に閉じ込められたとしても、ナツはそこで父親に教わった形を毎日繰返し練習するだろう。 毎日毎日。 父親が娘に与えたものだから。 「今日は銃を持ってないのか?ダメだね、1度誰かを銃で殺そうとしたなら、ずっともってなきゃ。殺したんだ、殺し返されるのは当たり前だろ?」 ナツは淡々と言う。 「追われてんのはお前だろ!!」 男は言い返す。 そう。 その通り。 ナツは追われている。 隠れている。 だが、これは別。 だから自分を追ってきた連中を自分で追ったのだ。 逆に。 ユウタの方は、守りが硬くて手が出せないからこそ。 ユウタの近くには常にハングレ連中が何気にいて守ってて、ユウタの周りの子供達は盾でもあるのだ。 難しい。 「お前があたしの相棒を殺したの?」 ナツは聞いた。 男の顔色が変わる。 ああ、やはりそう。 銃を喜んで持つタイプだ。 笑って突き落としただろう。 他の2人も同罪だろうけど、突き落としたのはコイツだ。 間違いない。 「あたしの恋人を殺したんだね?」 ナツは念押しした。 返事は表情で充分だった。 優しい男を殺したのだ。 何をやってこんな所に堕ちてきたのか分からないし、何をしでかしたのかも分からない。 でも、優しい男だった。 そして、ナツから逃げない男だった。 怪物であるナツを愛してくれた。 一緒に生きて行こうとしてくれた。 怪物と共に。 少し、彼に似てた。 初恋の彼に。 彼ならこんなところに堕ちてこないだろうけど。 「安心しな、殺さない。約束だからね」 ナツは自分の恋人を突き落とした男に微笑んだ。 そして、自分の恋人の飛び散った脳漿を集める感覚を知っている指で、男の顔に触れた。 ピンクの散らばった脳をあつめて元に戻そうとした手で頬を撫でた。 その温度も感覚も。 忘れることはない。 だけど、約束だった。 殺さない。 人差し指で左目を抉っただけだ。 飛び出たそれを掴みだし、引きちぎった。 悲鳴があがったが、どうせだれも来やしない。 そろそろ仲間が気がついて、コイツをなんとかしてやるだろう。 「毎年、身体のどこかを少しずつ奪ってやる。毎年毎年現れて、お前を少しずつこわしてやる」 ナツは淡々と言って、眼球をそのへんに投げ捨てた。 犬かネズミが喰うだろう。 「殺さない。そして逃がさない」 ナツはそれだけを言うと立ち上がった。 男は眼球を失った場所からも血と一緒に涙をながしていて、それがなんだかおかしかった。 また来年。 生きていて欲しいと思う。 もっと沢山のバーツを奪わないといけないのだから。 ナツは立ち上がった。 はやく帰らないと、「怒られる」。 ちょっと焦っていた。 ナツも、初恋の相手には弱かった。 終わって過ぎた恋だとしても。 彼は特別だから。 裏通りを出て、慌てて隠れ家に帰ろうとする。 ナツは隠れていないといけないのだから。 「嘘つくのか?」 そう低いバリトンで話しかけられて立ち止まる。 ナツに気配を感じさせないヤツなんて、そうそういない。 半分燃やされてるみたいなタトゥーを身体に刻んだ 巨大な男がとなりに立っていた。 当たり前のように。 いつからいたのか。 多分初めからだ。 ナツの初恋の彼を、組み敷いて、後ろの穴でイかせまくっているらしいこの男が、ナツはいろんな意味で気に入らなかった。 まず、カップリング的に許せない。 絶対彼なら「攻め」なのに。 どうせなら、あのお友達だという内藤くんという地味系美人と付き合っていて欲しかった。 それならいい。 パピエン確定だし、ツンデレ受け、スバダリ攻めだし。 素直じゃなくて難しそうなあのお友達を優しい彼が包み込んでいく恋物語なら、死ぬほど応援できるのに!!! なんでこんなゴツイ人外が「攻め」なんだ。 人外BLは認めてない。 地雷だ。 大体彼が「受け」なのもナツは認めてない。 めちゃくちゃ地雷だ。 BLとは平凡な日常をキュンキュンさせてくれるものであってこそBLなのだ。 有り得ん設定絶対許せない。 死んでもそんなのは読まない。 ナツはこの辺は徹底しているのだ。 が、コイツは。 ナツより強い。 それだけは確かだった。 「嘘はつかない。言わないだけ」 ナツは冷たく答えた。 「それに。殺さない。絶対」 ナツは彼との約束を破るつもりはなかった。 今でも。 ずっと。 ナツには彼は特別なのだ。 ナツが誰を愛そうと。 彼が誰を愛そうと。 「約束だけは、破るなよ」 男はそれだけ言った。 「彼が悲しむから?」 ナツは聞いた。 「そうだ」 男はみじかく答えた。 ナツの隣りを歩く。 一緒に帰るつもりらしい。 「あたしを守ってるのか?」 ナツは聞く。 「そうだ」 男は歩きながらタバコをくわえた。 巨大な半身焔に包まれた男のおかげで、だれもナツに目をやらない。 こんな風にナツを隠すことができるのかと感心してしまった。 「彼が泣くから?」 ナツは低い声で言った。 この男はナツがキライなはずだ。 この男は彼を独占したいのだ。 大事なものは閉じ込めてかくしてしまうタイプの男なはずだ。 犬が宝物を埋めるように。 だがそうしない。 「アイツが泣くからだ」 男は事も無げに言った。 それが最優先なのだ。 ナツを殺したいくらいなくせに。 彼を閉じ込めて、隠して、誰にも見せたくないくせに。 「あたしも。彼を泣かせたくない」 そこはナツも正直に言った。 「オレは何度もイカせて、泣かせまくってるけどな。オレのモンじゃねぇとアイツはもう満足できねぇぞ。あの辺まで届かせられるのはオレのじゃねぇと無理だ」 男にマウントを取られた。 「そんなこと言ったらまた彼に怒られるよ」 ナツは呆れた。 だが。 この男は。 ナツよりはずっと彼に相応しいのかもしれない。 「彼のためになら。止められるんだね」 ナツは呟く。 それは。 ナツにはできなかったことだったから。

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