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トラップ 7

「ユキいイイぃぃぃぃ!!!」 怪物が屋上に上がってくる。 その声にナツがへたり込む。 身体から力がぬけて、無表情になり、移ろな目をして待っていた。 父親の暴力がはじまるのを。 ナツは何度も何度も思い知らさせれいるのだとわかる。 あのナツが抵抗を諦めて大人しく殺されようとするほどに。 ナツに出来たのは家から逃げて街に逃げることだけだったのだ。 父親を目の前にしてしまうとナツはもう逆らえない。 そうされてきたからだ。 俺は。 怒りが込み上げてきた。 ナツ。 俺の少女。 俺が初めて恋した少女。 怒りが俺の中の恐怖を押さえ込んだ。 俺は。 ナツが殺されるのが許せなかった。 ナツの強い目を。 誰にも従わない傲岸不遜さを。 ナツに返してやりたかった。 ナツを。 コイツから取り戻してやらないと。 俺は犬を見つめた。 犬が吠えた。 「お前がそう望むんなら、俺はお前を助けるだけだ」 犬はそう言っていた。 犬は。 俺の味方だ。 悪いな、そう思う。 俺に付き合わせて。 お互い様だ。 お前もオレを見捨てないだろ。 この雌なんざどうでもいいんだけどな、オレは。 犬の目はそう語る。 「俺達で。ナツを助ける」 俺は犬に言った。 犬がいるなら。 恐くない。 俺は一人じゃない。 俺は怪物が上がってくるのを待った。 怪物は、その太った身体で走り続けたせいで、流石にゆっくしか上がってこない。 でもわかる。 息をのぼりながら調えている。 「くこぅぅぅ」 音を立てて息を吐くあの息遣いは、乱れた息を整えるのは武術の呼吸法だ。 怪物は呼吸をととのえ、止まらず動くことができるようになってここに来る。 怪物に俺と犬が勝るのは、それこそ、どれだけ呼吸が続くからだったかなんだが、そこを呼吸法でねじ伏せに来た。 でも大丈夫。 「喧嘩ってのはな、相手の力をどれだけ削げるかってことなんだよ」 街で個人的な「金貸し」をしている常連さんが俺に教えてくれた。 佐藤さんは、「金貸し」だ。 「ここをしのげば返せる当てはあるのに、銀行があえてお金を貸さない自営業者」をターゲットにお金を貸している。 「お金を貸して事業を続けられるよりも、潰して毟り撮る方が儲かる」ことが銀行にはあるらしい。 そんな時に金を貸すのが佐藤さん。 かなり高い金利だけど、佐藤のお陰でなんとか商売を持ち直すことができた自営業者達は、喜んでそれを払ってくれる、が、たまに払らえるのに払わない人間もいるらしい。 特に暴力などに自信がある場合。 「非合法」の「金貸し」ならば「金を返さなくてもいい」と思うことがあるらしい。 だから佐藤さんは「喧嘩」がとても強い。 「貸した金」に利子つけて返して貰わないと、「商売」にならないからだ。 相手がたとえ元プロレスラー等であっても、絶対に「払ってもらう」のだ。 佐藤さんは俺を可愛がってくれる常連さんの一人で、この街で生きる俺のために、喧嘩について、レクチャーしてくれた。 1つ。 「相手の力を削げ」 相手が自分より遥かに強かったならば、相手を弱くすることをかんがえろ。 怪物が階段を上がってきた。 怪物は。 身長こそ平均的な大人だったが、脂肪の下にまだ生まれながらに恵まれた筋肉量を誇っていた。 強い身体は脳ほどアルコールに壊されちゃいない。 曾ては美しく強い立姿で、それこそナツのように立っていただろうに、今ではせなかがすっかり丸くなり、まるで獣のように長い腕は地面につくかのように垂れていた。 だが。 速く動くだろう。 涎で汚れた口元。 濁り切った目。 良くみればナツに似ているのに、もう、人間ではなくなっていたその怪物は、俺の後ろにいるナツだけを見つけた。 「ユキいぃぃぃぃいィイイイ!!」 吠えた。 ナツが。 ビクンビクンと身体を震わせて、見開かれた目から涙を流したのを俺は見た。 こうして。 ナツは何度も何度も殺されてきたのだ。 抵抗できなくなるまで。 俺は許せなかった 「犬!!」 俺が叫べば、犬は怪物に向かってとびかかる。 「キシヤァァァ!!!」 怪物は吠えて犬を返り討ちにしようと犬に向かう。 そこへ向かってオレは屋上で見つけた、内装工事の業者が置いていただろう、工事用の石灰の袋をぶちまけた。 こちらは風上。 犬はこちらに背を向けている。 まともに顔に石灰を浴びるのは、怪物の方だ!! 石灰が目に入るとまともに目なんかあけていられない。 てか、すぐに洗いながさないと、とても危険なんだよ!! 「目をねらえ。人間どんなに強くても、目に異物が入ったならな、本能的に動けなくなる」 佐藤さんが俺におしえてくれたことだった。 犬はとびかかる寸前で、よこに飛び退く。 そこへ俺が思い切りよく振り回してとばした石灰の粉が怪物の顔面を襲う。 怪物は犬に気を取られすぎた。 「ぐぉおおおおおお!!!」 怪物は目を抑えて喚く。 やった!! 怪物の目をうばったぞ!!! 俺はガッツポーズをとったのだった。

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