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肉体装置 10

とぼとぼ自転車を押して帰る。 バイト先の駐輪場に自転車は置かせて貰ってた。 泣けて仕方なかった。 分かっていたはずだった。 あれもあの子達の一面だ。 おじいさんを自分達への捧げ物として痛ぶる。 おじいさんの苦痛が。 屈辱が。 絶望が。 どれくらいの時間そうされていたのだろう。 笑われ殴られる拳の感触をどれだけ耐えたのだろう。 自転車で疾走する気になれなかった。 本当だったら蹲って泣いてしまいたかった。 涙だけが止まらない。 あれは。 身体を売ることなんかより。 咳止め薬でハイになるより。 酒飲んでゲロ吐いて、他人に迷惑かけるより。 いけないことなんだよ。 なんでそれが。 それが。 それが。 分からない。 なんでそんな醜いモノになってしまうんだ。 自分が殴ってる時の顔を見てみるといい、シン。 どうせ動画撮ってるんだろ。 どれほど自分が醜いのか。 それは這いつくばり蠢く人間を闇へと引きずり込む生き物の姿だ。 ユウタと同じこの世界の呪いの姿だ。 呪いになんかなるな。 人間でいろ。 そう伝えたいのに。 どうすればいい? どうすれば。 スマホのバイブが鳴った。 内藤がLINEを送ってきてた。 「見ろ」 とだけ。 そしてSNSに流れる動画が送られていた。 シンが笑いながらおじいさんを殴る姿がそこにあった。 それをSNSに流したのはそこにいた子供達の一人で。 それを面白いと思っていたのだ。 「戦うシン」そうとだけ書いてあった。 はしゃいだ子供達のコメントが続く。 でも、俺が飛び出す前で動画は切られていた。 面白くならないからだろう。 俺はもう座り込んだ。 そしてLINEのメッセージを書く。 「俺もいた。止めた。おじいさんは病院に連れていってる」 そして心配しているだろう内藤にそれを送る。 「どうする?」 内藤は一言だけ送ってきた。 どうする? ああ、どうしよう。 なんだか俺は無力感に囚われていた。 どうしたらいいんだ。 俺は子供達を助けたい。 でも、その子供達はあんな風に誰かをおそい、そしてそれを楽しいことだとわらうのだ。 どうすれば。 無力感。 殴られたおじいさん。 絶望した目。 俺はもう。 疲れてしまった。 「どうした」 いつの間にか男が俺の隣にいた。 肩を抱かれていた。 俺は裏通りの路地にへたりこんでいたのになんで分かったんだ。 大体いつの間にここに。 またGPS・・・いやそれはしないと約束した。 だが、何らかの方法で、俺にはしないと約束した方法以外て俺の位置を確認している可能性は大いにあるが、今はそれを追求する気力はなかった。 大体、「臭いを辿った」と言われても納得してしまう。 この男に関しては。 「おじいさんは?」 俺は涙を拭きながら言った。 流石に泣いてるところはちょっと。 まあ、ヨダレも涙も出るものすべてみられてるのに何を今更恥ずかしがるかってことなんだけどね。 「大丈夫だ。とりあえず明後日までは入院だ。本人は帰る帰ると言ってたが、ちゃんと【説得】したら大人しく入院すると納得したぜ」 男は言った。 こんな男に説得されたなら怖かっただろうに。 でも、一安心だ。 涙を拭った顔を舐められた。 目の周り、くちびる。 「塩辛いな」 男はふっと笑った。 見たことのないような切ない笑顔だった。 「するんだろ」 男は囁いて俺の頭を撫でた。 小さな子供にするみたいに。 「しろよ。クソガキ共を助けろよ。お前はそういうやつだろ。俺みたいなヤツでも助けただろうが」 でもその言葉に苦さがある。 俺は不思議に思って男を見上げた。 炎のようなオレンジの瞳が今は複雑な感情を湛えて揺らめいていた。 「お前は助けるんだよ。そして、お前に助けられたヤツらはお前を好きになる。オレだけだったならいいのに。お前を好きなのがオレだけなら・・・でも、それがお前なんだよな」 男は苦い微笑みと、ため息をついた。 そのやり切れない感じに俺は笑ってしまった。 そして、嬉しかった。 男の嫉妬が。 そして。 俺を認めてくれることが。 いいんだ。 これで、俺は、それでも。 やるんだ。 子供達を本当の呪いにはさせない。 ユウタという呪いを、あそこに閉じ込められ人間では無くなる呪いを解く。 「お前はそうするんだろ、じゃあ、オレはお前についていくだけだ」 男の口ぶりは憮然としていて、仕方なさげな感じだったけど、それが男の本音だともわかった。 「やるよ」 俺は男の目を見て言った。 犬。 お前の代わりじゃない。 でも、俺には今、新しい大事な相棒がいるよ。 そして、お前と同じ位、この相棒を愛してる。 「やるよ」 俺はLINEの向こうで待つ内藤にもそう送った。 子供達が何であれ、俺はやる。 やらなきゃ。 呪いにはさせない。 男は俺をみて肩をすくめた。 やれやれといったふうに。 俺はそれが可笑しくてわらった。 そして、俺は男のピアスの輪がある唇に、そっと口付けた。 愛しかったから。 男は唸って、俺の唇を舌でこじ開けて、俺をむさぼってきた。 食わせてやりたい。 そう思った。 「食いてぇ・・・全部食いてぇ・・・」 男が唸ったので、笑った。 「いいよ」 そう言ってしまったから。 また俺は。 パーカーのフードから顔をむき出しにした、燃えた顔を持つ男が自転車と男を担いで街中を走る都市伝説をまた、作ってしまったのだった。

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