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3.ケイとアンリ (1)
連絡先を交換してから、アンリから朝と夜の挨拶と、他愛もないメッセージが届くようになった。
返事はスタンプで良いとは言われたものの、時々はがんばってテキストで返すようにした。
そうして日が過ぎていくうちに、ケイはアンリからの連絡を楽しみに待つようになっていた。
仕事を休んでいるあいだ、やることのなかったケイは暇を持て余し、このところベランダで自家菜園をしたり、レシピ本を買って自炊に凝ってみたりするようになった。
文字の多い本は読めないが、写真がたくさん載っていて、説明文が簡単なレシピブックであれば理解できるようだった。
ときどき、モトイがケイの様子を見に来て、新しく覚えた料理の味見をしてくれたり、スマートフォンでインターネット検索の使い方などを教えてくれたりしていた。
その日も、胡蝶蘭の店舗を閉めた後、夜中の二時頃にモトイが訪ねてきた。
ケイは鍋に作ってあった鶏肉と大根の煮付けに、ポテトサラダと味噌汁を添えてローテーブルの上に並べた。
ケイの部屋にはソファーがないので、ラグマットを敷いた上にローテーブルを置いてある。
住み始めたときに、さすがにテーブルも何もないと不便だろうということで、安い折りたたみのローテーブルを購入したのだった。
モトイはラグマットの上にあぐらをかいて座り、
「ほんと、日増しにレベル上がってくなー」
と言って、箸を取り、出されたものを食べ始めた。
「最近、体の調子どうだ?」
ケイはお茶を出し忘れたと思ってキッチンに立っていたが、モトイに聞かれて手を止めた。
「調子、」
「背中のやけどは?」
ケイは首をかしげながら、自分の背中に手をまわした。そういえば最近は、以前のように急に痛むことがないような気がする。
「なおった かも、」
ケイは答えてから、コップに麦茶を注いでモトイのところへ持っていった。
もうほとんど食べ終えていたモトイは、お茶を飲んでから、
「仕事、そろそろ再開してみる?」
ケイに、拒否権はない。
モトイは必ずケイの意志を確認するし、もしケイが嫌だと言えば、無理強いをしてまで客を取らせないだろう。
しかし実際は、ケイにはイエスと答えること以外に、選択肢が存在しない。
「それか、ビデオの仕事に変えてみるっていう案もあるけど、」
「ビデオ……?」
「カメラの前でセックスして、録画したのを色んな人に見てもらう」
ケイは青ざめた。
「あ、……え? なん で、」
混乱して言葉が続かなくなったケイに、モトイは困ったように笑った。
「それだと、知らない人とセックスする回数は今よりは少ないし、どうかなと思ったんだけど、」
何かとても恐ろしいことを言われているような気がして、ケイは泣き出しそうになるのを堪えた。
モトイはケイの震えている肩に気づくと、
「ごめん、怖がらせたな」
と言って、立ちっぱなしだったケイを、隣に座るよう促した。
「ケイがもし今の仕事に戻りたくなかったら、他の仕事探してみるのもどうかなって思ったんだけど。
したいこととか、どういうふうになりたいとか、考えてみたことある?」
モトイの温かい掌が、ケイの背中をゆっくりと撫ぜた。
ケイはモトイの問いかけを頭の中で理解しようとしてみる。
しかしうまくいかない。
なぜだか、ふと、アンリの顔が脳裏に浮かんだ。
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