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第3話 リオの秘密
「夜明けまでには家に戻らなきゃ。まだ暗いけど僕は帰るよ。雨も小降りになったし」
短い微睡 みの後、リオがそう告げると、アーロンはあからさまに残念そうな声をあげた。
「そうか……。せっかく仲良くなれたのに、リオがどんな顔なのかも見れないんだな」
後ろ髪を引かれる気持ちは、リオも同じだ。しかし、明るくなれば臣下たちがリオを探しに来るだろう。アーロンに、あらぬ疑いが掛かるかもしれない。それに、彼に自分の姿を見られるのは、まだ少し抵抗があった。自分が何者か知ったら、彼は、こんな風に親しげに口を利いてはくれないだろう。リオは唇を噛み締めながら、ほぼ乾いた自分の服を着た。ちくちくと胸が痛むのは、穀物袋の繊維が下着にでも刺さったのだ。そう自分に言い聞かせた。
「なぁ。また今度、ここで会わないか?」
遠慮がちに切り出されたアーロンの言葉に、リオの胸は跳ねた。
「うん。良いよ」
さっき考えていたこととは裏腹に、リオの口から出た返事はイエスだった。
「次の晴れた満月の夜にしようぜ。それなら道に迷わない。お互いの顔も見られる」
「もし次の満月が雨なら、次の次の満月?」
「だな」
「わかった。じゃあ、次の晴れた満月の夜に。この小屋の前で会おう。またね、アーロン」
「じゃあな、リオ」
姿は見えないが、アーロンが暗闇の中で微笑んでいる気配を感じた。リオも、相手には見えないと分かってはいるが、微笑み返して、小屋を出、軽やかな足取りで駆け出した。
(瞳は隠せないけど、髪は帽子をすっぽりかぶれば隠せる。アーロンって、どんな顔してるのかな。会うのが楽しみだ)
リオが戻った場所。それは王宮だった。
彼は、ティエラの王子だったのだ。
「王 太子 殿下」
臣下トマスの苦々しげな声に、リオは首を竦めて視線を逸らした。普段は「リオ様」と名前で呼ぶ彼が、敢えて堅苦しく肩書きで呼ぶのは、十中八九、苦言を呈 する時だ。
「お兄様のエンリケ国王陛下が独身であらせられる今、陛下の御身 に何かあった場合、次に王冠を戴 くのは王太子殿下でございます。その殿下に、万が一にも何かあれば、ご両親である前王様や前王側 妃 ヴィオレッタ様に、このトマス、死んでお詫び申し上げるしかございません」
トマスは、リオにとっては育ての親同然だ。下級貴族の出身だった生母ヴィオレッタを早々に亡くし、生母の実家からのバックアップもないリオが、父亡き後も王太子としてやって来られたのは、忠義心の篤 い臣下トマスらのお蔭と、日ごろ口に出すことはないが内心リオは深く感謝している。
「すまない。狩りの途中で、気付いたら他の方たちとはぐれてしまった。しかも、あの嵐だ。山小屋で雨宿りをしていた」
余計な心配を掛けないよう端的に説明した。
「……今日は礼拝がございます。すぐにお支度くださいませ」
それ以上お説教することなく引き下がったトマスを意外に感じつつ、リオは着替えに向かった。彼がその場を立ち去った後、トマスが腹心の部下と深刻そうな表情でひそひそ話し込んでいたことは、リオの知る所ではなかった。
大聖堂の入口をくぐり、ホールへの回廊を歩く。壁面には寄進者の名を刻んだプレートが掛けられ、その隣には最大寄進者である歴代ティエラ王の肖像画が並ぶ。
全員が、リオと同じ緑髪・緑眼だ。
ホールで、玉座以外で二番目の上座にリオがつくや否や、高らかに宣言された。
「国王陛下、王 太 后 陛下のお成りでございます」
リオの兄で現在の国王、エンリケが姿を見せた。頭 は、まばゆく輝く黄金の王冠に覆われている。リオより四歳年上だが、上背があり恰幅が良いため、もっと年嵩に見える。彼の一歩後ろからきたのは、エンリケの生母であり前王の正妃だった、王太后カメリア。太くしっかりした顎が若干しゃくれ気味なのと、立派な鷲鼻 のせいで、やや尊大に見えるきらいはあるものの、王者の風格を醸し出す美女と美丈夫。カメリアとエンリケは、瓜二つの母子だった。
――美しいブロンドの髪、そしてサファイヤのような青い瞳という点でも。
正妃カメリアが産んだエンリケと、
側妃ヴィオレッタが産んだリオ。
二人は、ともに前王を父に持つ、母親が異なる兄弟だった。
カメリアが嫁いでからエンリケを身ごもるのに五年も掛かったこと、エンリケが王族固有の外見と全く異なることを憂慮した臣下が、前王に側妃を娶 るよう進言した。側妃として白羽の矢が立てられたのが、子だくさんの家系で知られた下級貴族の娘、ヴィオレッタだった。
姉さん女房で気位が高いカメリアより、素朴で内気なヴィオレッタを、前王は好んで侍 らせた。かくしてヴィオレッタは嫁いだ翌年にリオを産む。寵姫 が産んだ自分にそっくりの緑髪・緑眼の王子。前王が母子を溺愛したのは言うまでもない。
――王の寵愛を側妃と第二王子に奪われた、正妃と第一王子が深い恨みを心に秘めたのも。
エンリケが王位に就いた理由は、生まれた順序に加えてバース性だ。エンリケはアルファだが、リオは未だにバース性が判然としない。彼の縁談が決まらないのは、それが原因だった。
「検査では明確な結果が出ないが、フェロモンを出したり、あてられたりしないので、ベータと考えて良いのではないか」
医師からは、そう言われている。
エンリケとカメリアは、金糸銀糸の豪奢 な刺繍が施されたダマスク織りの服の上に天鵞絨 のケープを羽織り、宝石で身を飾り、富と栄華を誇る。
かたや王の一存で決められる扶持 以外にさしたる収入源がないリオは、それほど衣装に予算を掛けられないが、他の貴族と並んで見劣りしないようにとメイドたちが工夫してくれている。華美ではないが上品な装いは、亡き母に似た細面とほっそりした身体つきを引き立てている。そのお蔭で、美しい王太子と他国でも評判だと、トマスたちは鼻高々だ。
二人は、道端の虫でも見たかのような、嫌悪感と冷ややかさを剥き出しにした視線でリオを一瞥すると、顔を背けた。
彼らの注意や興味が自分から逸れ、リオは、ようやく大きく息をつく。エンリケとリオは、他人同士よりも疎遠で、よそよそしい関係だった。公の場で同席する以外で、私的に親しく語り合ったり、食事を共にしたり、一緒に趣味に興じたりすることはない。そもそも、二人は趣味も正反対だ。エンリケは読書や音楽を好むが、リオは活動的で、乗馬や狩猟、武術を好む。
騎士道文化が今も根強いこの国では、馬をうまく操り武術に優れていることは、男らしいと高く評価される。加えて、亡き父と同じリオの髪や瞳を臣下や諸外国の王族・貴族が褒めそやすことに、兄は憎しみを覚えているようにすら感じた。
(たった一人の、血を分けた兄なのに……)
彼我 の心の距離は、このホールの最後部から最前列よりも遠いに違いない。アーロンとの心通う会話の後で、リオは余計に寂しく感じたが、礼拝の始まりを告げる歌と侍者の行列に、血を分けた兄との不仲について思い悩むのをやめた。
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