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第7話 オメガ性の目覚め (3/3)

 扉を小さくトントンと何度かノックする音、続いて、周りをはばかる小声がした。 「リオ、俺だ。アーロンだ。開けてくれ」  周りの穀物袋や柱にもたれながら、よろよろと出入口に向かい、鍵とかんぬきを外した。扉を開けると、アーロンが苦笑する。 「わ、わざとじゃないよ! 出ているかどうかも自分じゃ分からないのに、コントロールなんて、できないよ」  頬を染めてプイとそっぽを向くと、機嫌を取るように、彼は水筒を差し出してきた。 「飲めよ。喉、渇いただろ?」  そう言われて喉の渇きを一度自覚すると、もはや差し出された水を断ることなどできなかった。水筒を口に当て、貪るように飲んだ。 「果物も取って来た。そっちからも水分は摂れるよ」 「……ん。ありがとう。色々と」  気恥ずかしかったが、一度、ここまで親身に面倒を見てくれたことへの感謝は伝えたい。素直にお礼を言い、目が合うと、アーロンははにかんだように笑みを返してきた。 (あ。こういう表情(かお)すると、やっぱり同い年だなって感じがする)  彼に親しみを覚えた次の瞬間には、再び身を()くような衝動が、腹の奥から沸き上がった。リオがびくりと身体を震わせると、アーロンも顔をしかめ、苦しげな表情を浮かべながら、リオを抱き寄せた。 「……フェロモンが強くなった。第二波かな」 「いつまで続くのかな? オメガのヒートって、三日から七日ぐらいだっけ? もう、こんな身体いやだ……」  また飢えた動物のようにアーロンに愛撫をねだるのか。暗澹(あんたん)とした気分で小さく呟くと、アーロンが神妙にリオを覗き込む。 「激しいヒートが起こらなくなる方法、あるよ。一つだけ」  ハッと顔をあげると、彼は目を逸らさずに言葉を重ねた。 「俺と(つがい)になるか? 抱き合って、最中に俺がお前の(うなじ)を噛めば、番になれる。ヒートは軽くなるし、お前のフェロモンは俺にしか効かなくなる。今より遥かに安全だ」  驚いて、まじまじとアーロンを見つめたが、彼は真剣だった。 「番って……。ある意味、結婚より重い絆じゃないか。お互い立場があるのに、二人だけで決められるものじゃないだろ?」  しどろもどろに正論を返すと、アーロンは微妙に傷付いた表情を浮かべ、口を不満げに尖らせた。 「分かってるよ、そんなこと……。ところで、お前の結婚って誰が決めるんだ? ティエラ王家の血を引くオメガともなれば、近隣諸国から縁談が殺到しそうだな。ぜひ花嫁として迎えたいって」  悪気のない彼の言葉に、リオは息を呑んだ。 「他国に嫁ぐ……。これまで考えたことなかったよ。今は、第一位王位継承者だから存在意義があるけど、来年、兄が結婚するんだ。子どもが生まれたら、その子が次の王だ。兄の身に万一何かあった場合の『備え』としての僕は必要なくなる。……むしろ、外交を優位に進めるためにも、ティエラにとって都合の良い国に僕を嫁がせたくなるだろうね、兄たちは」  客観的に最も起こりそうなことを述べたつもりだったが、声が震え、顔がこわばった。思わずアーロンの手を強く握りしめる。 「お前の兄貴は、お前の幸せを考えて、結婚相手を決めてくれそうなのか?」  アーロンの表情も硬い。同じくらい強くリオの手を握り返している。リオは力弱くかぶりを振った。 「血を分けた兄弟だけど、僕らは子どもの頃から、必要に迫られた時以外は、(ろく)に話したことすらないんだよ」  自分が立っていたのは、揺るがない大地(ティエラ)だと思っていたら、実はひび割れだらけの(もろ)い板で、その下は荒れ狂う大海原だった。そんな心許なさで、リオの呼吸は乱れる。 「リオ」  気遣うように、アーロンは、片手はリオと繋ぎながら、もう一方の手で背中を優しくトントンと叩いた。 「返事は今じゃなくて良い。でも、頭の片隅に覚えておいてくれ。そして、考えてみて欲しい。……お前さえ良ければ、俺はお前と番になりたい」  アーロンのストレートな求愛に、リオの胸は大きく跳ねた。互いの顔も立場も知らずに語り合った嵐の夜に心惹かれたのも、初めてのヒートを共に過ごす相手として十分以上の魅力を感じたのも事実だ。しかし、お互い一国の王子なのに、こんなに早く直接プロポーズされるとは想定していなかった。息を呑むリオに、アーロンは拗ねたように問い掛ける。 「リオは、俺と番になるのは嫌か?」 「……嫌、じゃない」  緊張でリオは噛んだ。その純朴な返事に破顔したアーロンが何かを言いかけたので、慌ててリオは言葉を重ねる。 「でも、アルゴン王子の君と、敵国ティエラ王子の僕が番になるなんて、誰も認めてくれないんじゃないかな」  弱気なリオの言葉に、少し怒ったような表情を浮かべ、アーロンは静かに言い切った。 「俺はお前が好きだ。お前も俺を好きだと言ってくれた。もし俺の臣下が『アルゴンに辛酸を舐めさせたティエラの王子と結婚なんて』と反対しても。俺は、運命を諦めない」  人食いザメが血の匂いを求め、うようよと泳ぎ回っている海に突き落とされそうになっている自分に差し出された一本の手。  今のアーロンの申し出は、それくらい頼もしく思える。これは、ヒートで彼のフェロモンに酔っているからなのか、それとも運命の激変で冷静な思考を失っているからなのか。今のリオには分からない。

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