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第18話 更なる試練 (2/2)

「近隣諸国にそなたの縁談を打診したところ、ティエラ王家の血を引くオメガは、どこも大歓迎だった。とりわけ、ルシアス国の皇太子がご執心でな。彼は(きさき)を亡くして長い。お前を後妻に迎えた暁には、損害を受けたティエラの銃器工場再建に向けた支援を約束してくれた。......彼の独り寝の寂しさを、慰めてやってはくれまいか」  最後の一言を口にしたエンリケは、さも嬉しそうに、くっくっと下卑(げび)た笑みを浮かべている。 (......これが、血の繋がった弟の婚儀を決めた王の表情か? ルシアス国の皇太子と言えば、四十歳を超えているはず。しかも、妃こそ亡くしているが、数多(あまた)の愛人を侍らせている色好みと有名だ)  慄然(りつぜん)とリオが立ちつくしていると、騎士団にいる子息がリオを強く慕っている貴族が、憤然と立ち上がった。 「恐れながら、国王陛下。今や多くの騎士が、王太子様が団長だからこそ忠誠を尽くすと申しております。このたびの縁談、工場再建のカタに王太子様を他国に嫁がせるようなものではございませんか! 英雄への仕打ちとして、あまりに(むご)い!」 「......では、お前たちは、オメガを団長として(いただ)くことに不満はないのか? ヒートが来たら、騎士を誘惑するような団長だぞ? それに、銃器生産が元に戻れば、そもそも騎士団は解散だ」  つまらなそうな表情を浮かべ、兄はオメガに対する揶揄と侮蔑を隠しもしない。 「その身一つで、ティエラ最大の産業を復興できる。素晴らしい貢献だ、我が弟リオよ」  手中にした獲物をすぐには殺さず、(なぶ)って楽しむ猫のように目を細めたエンリケからは、舌なめずりの音すら聞こえてきそうだ。 (これが兄上の本性なのか! 何と下劣な。こんな男が血を分けた兄で、国王とは......)  親同然の年齢で色好みの男に、後妻として実の弟を送り込むという()()な縁談を思いつき、(えつ)()っているエンリケの品性のいやらしさに吐き気を覚えた。  騎士団の活躍で、リオに対する貴族たちの敬愛の念は高まっていた。その彼が生きて戻って来た歓喜を打ち砕くかのようなエンリケ王の仕打ちには、多くの者が眉をひそめた。他方、度重なるアルゴン攻め、銃器工場の崩壊等、ティエラの経済基盤が疲弊している。ルシアス国からの支援が渡りに船なのも事実だ。重苦しい雰囲気が議会を覆った。 「お前も王家の一員なら、縁談を()(ごの)みできる立場ではないことは理解しておろう。私自身、隣国の姫と婚約しているが、ティエラに有益かどうかで臣下が決めた相手だ」  年齢も釣り合い見目(みめ)(うるわ)しい初婚の姫君と、親子ほど年が違う男やもめでは、相手が随分違うじゃないかと内心思ったが、『国のための縁談』と言われると表立って反論しづらい。 「それとも、心に決めた相手でもいるのか?」  さも意外だと大げさに丸く見開いた目には、肉親の人生を案じる家長としての心配はない。噂話に興じるのが最大の娯楽になり下がった貴族たち同様、死んだ魚のように濁り、(もてあそ)ぶ新たな玩具を得たかのような薄暗い愉楽が浮かんでいる。 (兄上には、アーロンのことを知られるわけにはいかない! 実の弟を、こんな縁談に当て込むくらいだ。もし彼が僕の想い人だと知られたら、アーロンがどんな目に遭わされるか、分かったものじゃない......!) 「......いいえ。そのような方はございません。ティエラのために嫁げとの命に、従うまで」  愛するアーロンと母国を守るために、リオは拳に爪が食い込むほど強く握りしめ、自分の心と身体の痛みを飲み込んだ。  私邸に戻ったリオを出迎えたトマスは、二度と生きて戻らないかもしれないと覚悟していた主人の顔を見て目を潤め、感激に頬を紅潮させた。しかし、再会を喜び合うのも束の間。議会での出来事をリオが話すと、トマスは表情を険しくした。 「国王陛下は、いつ、リオ様のバース性をお知りになったのでしょう」 「ヒート明けの昼食会だろう。隣の席に並んだ時、僕も兄上のアルファフェロモンを感じたんだ。同じように、彼が僕のオメガフェロモンに気付いてもおかしくない」 「匂いだけで動くには、リスクが大きすぎませんか?」 「僕、その日、割ったお皿で指を怪我したんだ。お皿にも血が付いていただろうし、血を拭いた布も小姓に渡した。今思うと、兄上が仕組んで僕の血を手に入れて、医者に調べさせたんだろう。  ......いずれにせよ、僕がオメガなのは事実だから、否定はできない」  エンリケの準備は周到だった。大司教やトマスが妨害作戦を講ずるよりも早く、婚儀の日取りを決めてしまった。通例では考えられない急ぎの婚儀となり、嫁入り道具や衣装を作る職人の工場は不夜城と化した。全て国王からの贈り物だとして持たされた。  リオの衣装をこれまで手掛けてきた使用人たちは、煌びやかさだけが取り柄の嫁入り衣装を見て、悔しさに唇を噛んだ。 「私たちは、歴代国王と同じ王太子殿下の御髪(おぐし)と瞳を引き立てる、品格あるお召し物をと心を砕いて参りましたのに......。これでは、ただの成金のお坊ちゃまの衣装ですわ」  憤る臣下たちを横目に、リオ自身は何も言わず、表情すら動かさない。自分の身体は、愛する人と祖国のため、人身(ひとみ)御供(ごくう)として差し出すと覚悟を決めた。その身を飾る衣装が悪趣味だろうと、もはやリオにはどうでも良いことだった。  父親のような年齢にも拘らず、若い愛妾を囲うような男に身を任せ、子を成すなんて、屈辱で死にたいくらいだ。  しかし、愛する人が、卑劣な兄の手に陥ち、酷い目に遭わされるくらいなら。  自分の身を犠牲にした方が、まだマシだ。 (でも、差し出すのは身体だけだ。僕の心は、アーロン、君だけのもの。どうか、この気持ちだけは伝わりますように......)  アーロンのネックレスを、服の上からそっと(てのひら)で自分の素肌に押し当てる。初めて掛けてもらってからというもの、一度も肌から離したことがない。言わば、アーロンの分身だ。愛しい人と過ごした短い逢瀬を思い出す。熱情に浮かされた彼の眼差し、切なげに掠れた囁き、熱い肌。逸る気持ちを押し止め、もどかしげに触れてくる優しい唇。  物思いにふけるリオの切ない横顔を見るに見かねた臣下数名が、トマスの執務室に押し掛けた。 「トマス様。王太子殿下のお心には、どなたかいらっしゃるのではありませんか? あんなに物思いに沈まれて......。お輿入れ先の皇太子様は、年齢も随分離れておられますし、後妻だなんて! お若い殿下がお気の毒です」 「そういう方がいると、殿下が仰ったのか?」 「何も仰いません。でも、毎晩、枕をぐっしょりと涙で濡らしておいでです」 「殿下のお好きな献立を拵えても、ちっともお召し上がりになりません」  トマスは眼鏡を外しペンを置いて、周りの者の顔を一人ずつ順に見つめた。 「……殿下のお気持ちを(おもんばか)ろう。ご自身の胸に秘めたまま、国王陛下の命令に殉ずると決意されたのだ。どれほどお辛いことか。周りが騒いで、せっかくの覚悟に水を差してはならない」  アーロンに危害が及ぶことを恐れ、彼を守るために、恋心を胸に秘めたまま他の男に嫁ごうとしているリオの本心を、トマスは理解していた。

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