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第19話 訣別
『ぜひ、早くこちらの国に来て、新たな環境に慣れて欲しい』と花婿から申し出を受け、婚儀前にもかかわらず、早急にルシアス国に出立するようリオは命ぜられた。
自分に仕えてくれた者たちの身の振り方を決める時間すら与えられなかった。幸い、大司教が快く彼らの世話を引き受けてくれ、次の奉公先を差配してもらえることになったことが、唯一の心の救いだった。
出国の日には、エンリケ自らリオの私邸まで見送りに来ると連絡があった。
「弟 君 であるリオ様が戦地に赴く時ですら、お見送りにいらっしゃらなかったのに」
さすがのトマスも、ブツブツ嫌味を言う。リオに至っては、もはや悲しさと悔しさを通り過ぎ、言葉すら出ない。
当日は、やむなく兄から贈られた衣装を身に着けた。金糸銀糸の刺繍が施され、宝石までちりばめられた、煌 びやかな服だ。シックな装いを好むリオの趣味には全く合っていない。
エンリケは供の者を連れ、上機嫌で現れた。
「馬子 にも衣装だ。いつものような、しみったれた格好で嫁入りさせたとあっては、ティエラの恥だからな。母親が貧乏貴族で、これまでお前も苦労しただろう。花婿殿は若い花嫁がお好きらしい。可愛がってもらえるよう、せいぜい、その貧相な身体の線を保っておくんだな」
ニヤニヤとリオを眺めるエンリケの無礼な発言は、リオの臣下たちの神経を逆撫でしたが、リオは毅然と頭 を上げ、兄の目を見つめ返した。
「王族にとって大切なのは、その身を飾る衣装がいかに美しいかではなく、衣装も王冠も全て失って天に召されるまでの間に、民の為に何を成したかだと、父上から教わりました」
父の名を出すと、途端にエンリケの顔が醜く歪む。こめかみに筋が浮かび、ピクピクと動いている。
「......父上に無視され続けた悲しみが、お前に分かるか? 議会や公式の場で父上の隣に立つのは私たちだった。だが、公の場を一歩離れたら、彼は私たちに目をくれたことすらなかった。すぐにお前たちと離宮に籠ってしまい、お目通りすら叶わない。幼い私は父上が恋しくて泣いたが、『私たちが離宮に行くことはできない』と母上に止められた。今思えば、側妃のところにいる夫に会いに行くなど、正妃のプライドに掛けて、できるわけがなかろう。
それに、物心つかぬ前から『どちらがより次期国王にふさわしいか』と常にお前と比較され、面白おかしく論評の種にされた。第一王子は俺なのに、臣下たちにまで馬鹿にされ、ないがしろにされる悔しさが、お前に分かるか!?」
臣下には聞かせたくなかったのか、彼は声を抑えていた。だが、握りしめた拳がぶるぶると震え、その青い瞳に怒りと憎しみが浮かぶのを、その場に居た全ての者が見て取った。
「私が知る限り、父上は、私たちだけでなく、兄上と王太后様のことも、とても大切に思っておられました。......ただ、王太后様のご実家の方々については、宰相とは言え、王族のことに踏み込み過ぎと憂慮しておられたようです」
血の繋がった兄エンリケへの説得は、これが最後のチャンスかもしれない。過去の遺恨をいったん忘れて真摯に語り掛けた。しかし、長い間凍 てつき続けた兄の心に、弟として愛情を訴えるリオの言葉は届かない。エンリケは、あざ笑うように鼻を鳴らし、唇の片側を持ち上げている。
「兄上。......私は、あなたを敬愛申し上げておりました。どうか、ご健康にお気を付け下さい。王として、臣下の者たちを大切にし、良き政 を行ってください」
「俺は、お前が大嫌いだ。
代々続くティエラ王家の血に対する畏敬 と憧れの眼差しで、皆がその美しい緑髪・緑眼を見つめるのを、指を咥えて横で見ているしかなかった。昔、俺は母上に尋ねたものだ。
『どうして父上もお祖父 様も曾祖父 様も緑の髪で緑の目なのに、僕は違うの? 弟のリオは父上たちと同じなのに』
母上は、泣いておられた。
『あなたもティエラの王子なのに、緑の髪に産んであげられなくてごめんなさい。お母様が悪いの』と仰っていた。
でも、この屈辱も今日で終わる。これでお別れだ、リオ。その顔を二度と俺に見せるな。せいぜい好色男に抱かれて子作りに励め」
捨て台詞を残し、エンリケは王宮へと帰っていった。
「ルシアス国からの援助目当ての縁談ゆえ、婚儀は成立させたいはずですが、道中、何もないとは言い切れません。念のため、従者を影武者としてお使いください」
トマスの言葉に従い、王都を発つや否や、リオは共に乗り込んでいる従者の一人と衣装を交換した。用意された衣装箱を開けると、緑髪と褐色の二つのかつらまで入っていた。
「念入りな変装だなあ」
半ば呆れながらも、リオは臣下の助言に従った。従者も恐縮しながら、リオの服を着、緑髪のかつらをかぶった。
ルシアス国の皇太子とは、数年前、エンリケの即位式と晩さん会で顔を合わせたことがある。腹が醜く膨れ、顔付きの下品な中年男だ。若く美しい娘を見て舌なめずりする様子に不快感を覚えた。
(あんな気持ち悪い男に抱かれるなんて、考えただけでゾッとする。初めての相手じゃないことだけが、せめてもの救いだ。一度きりでも大好きなアーロンと抱き合えて、初めてを捧げることができて、本当に良かった......)
無意識のうちにリオは自分の胸に手を当て、アーロンのネックレスに服の上から触れていた。ルシアス国へ嫁ぐのは、リオが全く望んでいないことだと、従者の誰もが知っている。頬杖をつき、ぼんやり外の景色を眺めるリオの無表情な横顔は哀れを誘った。
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