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第22話

採寸を終え、三笠先輩とデザインの方向性で少しだけ話をして。イメージを掴む為にと美鳥が持参したCDを渡して解説という名の布教活動という若干の長話をして。 後は任せといてと言う先輩に頭を下げ、俺達は被服室を後にした。 昼休みは残り半分。予め購買で購入していたパンと飲料片手にどこかでのんびり昼食をということになったのだが、 「昇降口とは盲点だったな。」 静かな所がいいなと言うの俺のリクエストに美鳥が案内してくれたのは、校門から桜並木を抜けた先。美鳥と初めて会った、あの昇降口前の開けた場所だった。 食堂や購買のある棟は教室のある棟より奥まった場所にある為、逆にこちら側に来る人間はほとんど居ないらしい。昇降口脇に広がる花壇の前のベンチは、美鳥のお気に入りの場所の一つなんだそうだ。 時折そよぐ風が木々を揺らす。遠くのグランドから、はしゃぐ生徒の声が僅かに聞こえる。入ってくる音なんてそれくらいだ。 俺達以外に人の姿はなく、たしかにここは穏やかな時間が流れていた。 ベンチに腰掛けて、何を話すでもなく目の前の花をぼんやり見ながらサンドイッチを齧る。 無意識に漏れた欠伸を口を塞いで噛み殺せば、隣からふぁ、と同じように欠伸が漏れ聞こえてきて、俺達は顔を見合わせて笑った。 転校してきてからというもの何かと騒がしかったから、こういう時間は本当に久しぶりだ。 今なら、ゆっくり話が出来るだろうか。 「……なぁ、一つ聞いてもいいか?」 昼食をあらかた食べ終えたタイミングで、俺はそう切り出していた。 「なに?」 ふわりと笑んだ顔が小首を傾げる。 畔倉アイスアリーナで美鳥の演技を見せてもらってから、ずっと引っかかっていたことがあった。慌ただしかったし、何となく気恥ずかしくて聞けなかった事。 けど、今なら。 「……お前はさ、Midoriをどう解釈したんだ?」 疑問形にはしたものの、俺はほぼ確信していた。 Midoriはアルバムを出してすぐに花博のイメージソングに起用されたせいで、世間一般では荒野に咲く一輪の花だとか、大自然の情景を描いたものだとか、そんな解釈がなされる事が多い。 けれど、美鳥の演技は明らかにそれらとは違っていた。 案の定、美鳥は少しだけ言いにくそうに視線を反らせてから、その口元に苦笑いを浮かべる。 「……誰かを想って作った曲なんだろうなって思った。」 予想通りの言葉に、俺の方が苦笑するしかない。 「少し気まぐれなところもあって振り回されたりもするけど、優しくて、芯の強い人。隣にいるのに掴めない、それが不安で、でもそんな何物にも縛られないところに惹かれて、」 柔らかな声がするりと胸の奥に入り込んで、しまい込んでいたはずのものを暴いていく。 脳裏に浮かぶあいつの、顔。 「……素敵な人なんだろうね、緑さん。」 するすると降りてきた言葉がストンと胸の中に収まった。 ああ、そうか。 俺はそんな風にあいつの事が好きのか。 わかっていたはずの事を、俺はどうやら今更ながらに理解したらしい。 「違った、かな?」 不安そうに首を傾げる美鳥に俺は小さく笑った。 無言は肯定。美鳥も小さく笑う。 「聴くたびに、胸が苦しくなるんだ。優しさや苛立ちや、不安や愛しさ。とにかく色んな感情が押し寄せてきて、胸がいっぱいになる曲だよ。」 胸の前でぎゅっと手を握るその姿は、まるで大切な物を抱きしめるかのようだった。 不思議な奴だ。 氷上ではあんなにも凛としているのに、一度スケート靴を脱いでしまえばまるで印象がかわる。 周りの毒気を抜いてしまう柔らかな笑みを見ていると、何故だか心臓がざわついた。 ざぁ、と吹き抜けた風が美鳥の髪を揺らす。 「美鳥、」 手を伸ばし、なびく亜麻色に梳くように触れれば、ぴくりと一瞬身を竦ませた美鳥は真っ直ぐに俺を見つめた。 そのままするりと頬を撫でれば、ゆっくりと瞳が閉じられる。 それは互いの吐息を感じるほどに近づいても開かれることはなくて。 昼休みの終わりを告げるチャイムの音を遠くに聴きながら、俺達は互いに引き寄せられるように唇を重ねていた。

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