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第24話 四分三秒

何度も言うが、朝は苦手だ。 休日に早起きなんて仕事でもない限り絶対にしない。……そう、仕事がない限り。 スマホのアラーム機能を使ってもどうにも起きる自信が無かったので、今日も美鳥に目覚ましを頼んで何とか寝坊だけは避けられた。 テキパキと身支度を整えて寮を出た美鳥をぼんやりとした頭で送り出し、俺自身も眠い目をこすりながら適当にシャツとジャケットを引っ張り出し、半分夢の中の状態で袖を通す。パジャマはぐしゃぐしゃのままのベッドに放置して、本当に必要最低限の身支度を整えて寮を出たのだけれど…… 門の前に見知った人影を見つけて、俺は立ち止まり重力に負けそうになっていた瞼を擦った。 先に寮を出たはずの美鳥がスーツを着た小柄な男と何やら話し込んでいる。それは、俺のよく知る人物だった。 スーツを着ていなければうちの学生だと言われても信じるかもしれない。小さな顔に合っていない大きな黒縁の眼鏡が童顔にさらに拍車をかけている気がするのだが、本人は少しでも落ち着いた大人に見えるようにと愛用しているらしい。 ちょっと抜けているところもあるけど、ああ見えて事務とマネージャー業務を一人でこなす凄い人だ。 「あの、私はその、櫻井色さんのま…えっと、し、親戚の者でしてっ、」 「そうなんですね。あ、でも櫻井君は今日しご…えっと、予定があるとか言っていたので、その、あの…」 ……何をやってるんだ? 見覚えのありすぎる二人が、互いの顔色を伺うように何ともぎこちない会話を交わしている。 そもそもあの二人、面識なんてあったか?とぼんやりとした頭でたっぷり数分考えて、俺の意識はやっと覚醒した。 そうか、面識がないんだ。 俺はようやく思い至って慌てて二人の元に駆け寄る。 「二人共、」 「櫻井君「色さん!」」 俺の存在に気づいた二人がほとんど同時に縋るような視線を向けてきて、俺は思わず笑ってしまった。 「大丈夫だ。二人共俺の事情は知ってる。」 一言そう告げてやれば、二人はほとんど同時にえ、と声を上げ、胸を撫で下ろす。 「美鳥、こっちは俺のマネージャー。彗さん、こっちは俺のルームメイト。」 端的に説明すれば、二人は互いに向き直りへこへこと頭を下げあった。 「た、大変失礼いたしました。私sikiのマネージャーをしております、小比類巻彗(こひるいまきすい)と申します。」 彗さんがスーツの内ポケットから名刺を取りだし美鳥に差し出す。 「あ、ご、ご丁寧にどうも。こひ……こひっ…」 両手で名刺を受け取った美鳥は笑顔のまま思いっきり固まった。名刺に記されている名前を凝視してこひ、こひ、と口元が鯉みたいにパクパク動いている。 あー、この反応久しぶりに見た。 俺も彗さんと初めてあった時は全く同じように固まったのを覚えている。 すみませんとあわてる美鳥に彗さんも慣れた様子で笑った。 「小比類巻(こひるいまき)です。見ての通り長い苗字で覚えにくいので、会社でも色さんにも名前で呼んでいただいてます。どうぞ(すい)とお呼びください。」 「あ、はい。(すい)さん、ですね。僕は櫻井君のルームメイトで、美鳥飛鳥と申します。」 よろしくお願いしますと二人は互いにこれでもかと頭を下げあう。 そうか。美鳥に既視感を覚える事が何度かあったが、この二人似てるのか。 ワンテンポずれてる所とか、自分より周りの事を気にするお人好しなところとか。多分、このまま放置していたらずっと頭の下げあいだな。 俺は手元の時計を確認してから二人の間に割って入った。 「二人共、そろそろ時間。」 声をかければ二人同時にあ、っと深々と下げていた頭を上げ、互いに長々とすみませんと頭を下げる。 なんだかなぁ。 晃辺りが見れば面白がっていそうな場面ではあるのだが、今日に限ってはそんな余裕はない。 「ほら、二人共。」 再度声をかけて二人の頭を上げさせてから、俺は美鳥の背中をぽん、と軽く叩いてやる。 「ほら、練習時間減っても知らねぇぞ。」 「あ、うん。それじゃあ僕はこれで。」 最後にやっぱり深々と一礼してから、美鳥は俺達に背を向け手を振りながら走ってこの場を後にする。 その姿が小さくなるまで見送って、そろそろ俺達も……と声をかけようとした瞬間、突然彗さんが両手で顔を押えその場にしゃがみ込んだ。 「す、彗さん?」 「……びっくりしました。」 「は?」 「ど、どこかでお見かけしたことがある気はしていましたが、み、みみ美鳥さんてもしかしなくてもフィギュアスケーターのあ、あの美鳥飛鳥さんですよね!?」 いきなり身を起こした彗さんに何故か詰め寄られる。 その勢いに俺は思わず半歩下がった。 「そう、だけど。あいつ、やっぱり有名なんだな。」 「教えといて下さいよ!びっくりしすぎて心臓止まりましたよ!色さんが中々出てこないから、美鳥さんに普通に声かけちゃったじゃないですかぁ。」 よほど驚いたのか泣きそうな顔で詰め寄られる。 その取り乱し方にやっぱり既視感を覚えてしまって、俺は涙目の彗さんを前に盛大に笑ってしまった。

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