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第29話 覚悟

「ふっ、くく……」 「っ、はははっ、」 昼休みの数学準備室。 購買で買った昼食片手にいつものメンバーで集まれば、当然話題は今朝の全校集会で行われた選挙戦の立会演説になるわけで。 本人の手前悪いなと思いつつ、どうしても数時間前の光景が脳裏をよぎって俺は今朝から笑いをかみ殺すのに必死だった。晃も同じように、というかこちらはかみ殺すこともせず先程から腹を抱えて爆笑している。 「いやぁ、あれはインパクト大だったよね。」 「まさかあんな漫画みたいな事を本気でやる奴がいるとはな。」 ぷっ、と部屋の隅から遂には木崎の笑い声まで漏れれば、当の本人である美鳥は両手で顔を押え、泣きそうな声で唸る。 その額がまだ赤く腫れているように見えるのは気のせいだろうか。 「うう、恥ずかしい。」 「あははっ、いいじゃん!あれだけごちーんと派手にマイクに頭ぶつければさ、みんな絶対覚えてくれただろうし。」 「あー、お前今日大人気だったもんな。」 「うぅっ、」 いつもは影からこっそりスケートの人、と後ろ指を指されていた美鳥が今日はひたすらにスピーチの人、と笑い声と共に後ろ指を指されまくり、その度に顔を真っ赤にしていた。 それでも藍原くんをよろしくお願いしますとご丁寧に頭を下げていたのだから、馬鹿のつくお人好しさんは今日一日でまた知名度を上げたんじゃないだろうか。 「おかげさまで、当選はほぼ確実っしょ。」 「いや、おかげもなにも……」 ご機嫌でメロンパンを頬張る晃に、思わずため息が漏れた。 美鳥が推薦者スピーチの最後に盛大にマイクに頭をぶつけ笑いをとった後、笑い声が収まらない中で晃もある意味盛大にやってくれたのだ。 「……たかだか学生の生徒会選挙でマニフェストなんて掲げたやつ初めて見たぞ。」 「ふっふっふっ。僕は勝算のない勝負はしない主義なんで。やるからには徹底的にやるよ。」 そう、晃の演説は徹底的な下調べと準備の元、完璧に行われた。 額を強打しうずくまる美鳥の隣でいきなり文化祭の二日間開催にマラソン大会の廃止なんて公約を打ち出したのだから、笑いに包まれていた講堂は一気にざわついた。 しかも晃は実現に必要な予算とその為の資金のやりくり方法、更には体育祭の競技に長距離を入れる事でマラソン大会を兼ね、空いた一日を文化祭に充てるなどという具体的な案まで提示してみせたのだ。それも適当な言動ではなく、学生規則に学習指導要領まで確認した上での発言となれば、ざわついた講堂は次第にしんと静まり返っていた。 そうして晃のスピーチが終わった瞬間に割れんばかりの拍手が巻き起こったわけだ。一週間の選挙期間なんて待たずとも結果は明らかだろう。 「……会長のクラスの担任が生徒会指導の担当になる決まりなんだよ。」 部屋の隅でぽつりと漏らされた声はまともに聞くにはあまりに重い響きだった。 ずずっ、とカップラーメンを啜る音がなんとも哀愁を誘うが、聞かなかったことにして心の中で同情してやる。 「徹底的に無駄を洗い出して、部費と講習会費と遠征費がっつり頂いちゃうからね。」 何故だろう。やってる事に間違いはないし、生徒の大多数が晃を支持しているというのに。何故にこんなにも罪悪感を感じるのか。 ドヤ顔でニヤリと口角をつり上げるこいつを、本当に生徒会長なんかにしてしまっていいのだろうか。 いや、いいはずなんだけれども。 「藍原君は本当に凄いなぁ。」 瞳を輝かせ純粋に尊敬の眼差しを送る美鳥に何か違うんじゃないかと思いつつ、俺は突っ込む言葉を探しあぐねて無言でカツサンドを齧った。 うん。考えても無駄だ。毎度の事ながら晃を手伝う以外の選択肢なんて既に残されていないんだから。 煮え切らない気持ちは緑茶と共に流し込んで飲み込んだ。 生産性のない話をしても仕方がない。そもそも俺達はこんな話をするためにここにいるわけじゃないんだ。 確かに今朝の反省会をしようという話をしてはいたが、本題はそこじゃない。 俺はドヤ顔の晃から、無駄に瞳を輝かせている美鳥へと視線を移した。 「なぁ美鳥、お前なんか話があったんじゃないのか?」 そう、今回俺達を集めたのは珍しい事に晃ではなく美鳥だった。話があるから時間が欲しいと言われ、それならばと放課後の練習に差し支えないよう昼休みにこうして集まったわけだ。 「あ、うん。伝えておかないといけない事があって。」 元々姿勢正しく座っていた背筋を更にぴんとのばして、美鳥は居住まいを正した。 先程まで部屋の隅で傍観していた木崎も俺達の傍にある手近な椅子を引き座り直す。 三人分の視線が注がれる中、美鳥は膝の上にのせられた拳をぎゅっと握りしめ、ほんの少しだけ俯いた。 「……今日が締切なので、大会のエントリーをしなくちゃいけなくて。」 「あー、ついに。だね。」 美鳥の言葉に、木崎も晃もそれぞれ眉間に皺を寄せ、二人で顔を見合わせる。 その言葉の真意がわからず首を傾げたのは俺だけだった。 「えっと、ね。大会出場者はスケート連盟のホームページに名前と所属が掲載されるんだ。今まで家族には僕がどこでスケートをしているかは伏せてもらっていたんだけど、畔倉アイスアリーナの名前が出れば……」 「そうか、マスコミ。」 ようやく思い至った俺の言葉に、美鳥はこくりと頷く。 世界大会に出場してからテレビの取材も頻繁にきていたと話は聞いていたが、この先こいつはまた同じ思いをすることになるのか。 畔倉アイスアリーナの名前から彩華高校にいる事がバレるのは時間の問題だろう。 「学校にも、ご迷惑をかける事になるかもしれません。」 俯く美鳥になんと声をかけたものか。 ……言葉を失ったのは、またしても俺だけだった。 「そんなの今更ですよ。ねぇ。」 「あー、そうな。今更迷惑もくそもないよな。」 ニヤリ。げんなり。 晃と木崎は互いに顔を見合せ互いに対称的な表情を浮かべる。 ぽかんと首を傾げる美鳥の肩を晃はぽんぽんと叩いた。 「何のためのスケート部だと思ってんのさ。」 ニヤリと笑う晃に俺もようやく気づく。 「そうか。部活動なのか。」 まさかここまで計算した上での計画だったとは。 いまだに理解出来ずに首を傾げる美鳥に晃はわざとらしくこほん、と咳払いをしてみせた。 「つまりね、美鳥君が朝も放課後も練習してるのは全て部活動……課外活動の一環なわけよ。その最中に生徒の取材をしたいっていうなら当然学校を通してもらわないと。」 「ぁ、」 「そして部活動なんだから、当然顧問と部長が真っ先に対応にあたらないとね。」 ぱちりと晃がウインクをきめれば、大きく見開かれた亜麻色はじわりと潤む。 「そんな、こと……。僕一人で、何とかしなきゃって…、ずっと、…」 震える肩を、俺もぽんと叩いてやった。 「諦めろ。毎度の事ながら晃の提案を断るなんて選択肢はないんだよ。一人で何とかしようなんて、この先絶対許してもらえないぞ。」 「そ。部活はもう作っちゃったし、僕達はもう友達なわけですよ。美鳥君は諦めて練習に集中しちゃいなさい。」 俺と美鳥の間に入った晃は、俺達の肩をぎゅっと抱き寄せる。 身を寄せあった耳元で、ありがとうと震える声が聞こえた。 必死に涙を堪える美鳥の背中を二人でさすってやりながらチラリと視線を晃へ移せば、どーだと言わんばかりのにんまり顔がそこにはあって。 世界が滅んでも敵に回したくない友人様に俺は苦笑いを返したのだった。 ただこれ、ひょっとしなくとも一番大変なのは…… はぁ。と聞こえた重すぎるため息は、聞かなかったことにした。

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