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第31話

『……誰!?』 ガラッと扉が開いて数学準備室に入ってきた存在に、俺と晃の声が綺麗にハモった。美鳥も声にこそ出さなかったがその顔が如実に語っていて、俺たち三人の視線を受けた木崎はこめかみを押えため息をつく。 「お前らなぁ、」 「え、ちょっと木崎ちゃんどうしちゃったの!?」 いつもは第二ボタンまで開けられているシャツはキッチリと首元まで閉じられていて、ネクタイも歪みなく締められている。ボサボサだったくせっ毛はワックスで整えられ、無精髭なんて当然見当たらない。 いや、本当に誰だよとその顔を凝視すれば、逆に睨み返された。 「うるっせぇ。って言うか、お前ら何勝手に集まってんだよ。」 「明後日から期末前で入れなくなるから、コーヒー飲み納めに。」 「ここは喫茶店じゃねぇんだよ。」 月に一度、午前中だけ授業などというなんとも気だるい土曜日の今日は、寮の食堂では昼食が出ない為、ほとんどの生徒が放課後も校内に残っている。 俺達も例に漏れることなくいつものように購買でパンを買い、コーヒーを飲みたいという晃の提案でいつものように数学準備室に集まっていた。 毎度の事ながら勝手知ったるで、部屋の主がいないにもかかわらずくつろいでいたわけだが…… 「お前ら邪魔だ。お客様が入れねぇだろうが。」 しっしっ、と手で払われ場所を開けるよう言われて初めて俺達は木崎の後ろに人がいる事に気づいた。慌てて場所を開けようと席を立ったのだが、木崎の背後にいた小柄なスーツ姿の存在が目に入った瞬間、退室しようとしていた足はその場に踏みとどまった。 「失礼します。」 恐縮そうに頭を下げながら入ってきたその人は、そのせいでずり落ちた黒縁の眼鏡を両手で押し上げる。 その姿には見覚えしかなくて。 『(すい)さん!』 今度は三人の声が綺麗にハモった。 彗さんも木崎の背中越しに俺たちの姿を確認し、目を丸くする。 「色さん!?藍原さんに美鳥さんまで、」 「うわー、彗さんお久しぶりー!」 真っ先に声をかけた晃は、彗さんに空いた椅子をすすめ机の上を片付け始めた。 「昨日の今日で来てもらえるとは思わなかった。あ、コーヒーブラックで良かったよね?」 「へ?あ、は、はい。あの、お構いなく。」 戸惑いつつも俺と美鳥に頭を下げてから促されるままに席に着く彗さんに俺達も適当に座りなおした。 本来なら客人に場所を譲って退室するべきなのだろうが、彗さんなら話は別だ。 晃は既に彗さんと木崎の分のコーヒーを入れ始めているし、木崎は俺達を咎める事無く彗さんと話を続けている。 「あとはこの書類に記入して貰えれば。許可証は後日郵送するか櫻井に持たせます。」 「はい。何から何まで本当にありがとうございます。」 書類にペンを走らせる彗さんの傍らに、晃がそっとコーヒーを置く。 書類を全て記入してから彗さんはご丁寧にいただきますと晃に頭を下げ、コーヒーカップを手に取った。 「ほんっと久しぶり。彗さん全然変わってないよね。」 「藍原さんは大きくなりましたね。ご連絡頂いてなかったら誰だかわからなかったですよ。」 「成長したかぁ?」 「色、うるさい。」 俺達のやり取りを彗さんは懐かしいですとくすくす笑う。 「先生とのお話が終わったらご連絡しようと思っていたのですが、ちょうどよかったです。頼まれていたものをまとめてきたのですが……」 そう言って彗さんは手持ちのカバンから書類の束を取り出すと、隣に腰を下ろした晃にそれを手渡した。 「わ、助かる。」 晃はパラパラと書類捲り、無言で目を通し始めてしまった。木崎も彗さんにありがとうございますと頭を下げ、晃の後ろから中を覗き見ている。 俺と美鳥は状況が掴めず顔を見合せその様子を眺める事しか出来なかった。そんな俺達を見て彗さんもよく分かっていないのか首を傾げる。 「マネージャーとしての取材対応のマニュアルがあれば欲しいと藍原さんからご連絡いただきまして。社外秘にあたらない物は全てお持ちしたんですけど……」 「あ。」 「……そうか、彗さんに聞いときゃよかったのか。」 身近にプロがいるという事実になぜ今まで気づけなかったのか。俺は思いっきり頭を抱え息を吐いた。 どう考えてもいちばん身近な俺が気づかなきゃいけない事だったのに。情けないやら悔しいやらで溜息をつきつつ晃を見れば、ニヤリと自慢げな笑みが返ってきた。 「あ、あの。もしかして学校に色さんの事でマスコミが…」 「あー、違うんだ。俺じゃなくてこっち。」 勘違いで顔色を変えた彗さんに、俺は美鳥を指さす。 すみませんと美鳥が頭を下げるが、彗さんにとっては意味不明な状況だろう。首を傾げる彗さんにどうしたものかと美鳥に視線を送れば、美鳥はこくりと頷いた。 「ここまでしていただいたんだから、きちんとお話すべきだと思う。」 美鳥にとっては辛い話でしかないはずなのだけれど、それでも全部お話しますとうっすら笑みすらうかべて美鳥は彗さんに向き直る。 ゆっくりと言葉を探しながら、時々つまれば俺がフォローを入れて。美鳥はここに至るまでの経緯と思いを不器用ながらに伝えていった。 「……なるほど。状況はわかりました。」 俺たちの話を聞き終え、彗さんは顎に手を当て何やら考え込む。 「でしたら、お渡ししたマニュアルはほとんど役に立たないかもしれないですね。まとめ直してきます。」 「ん、なんで?電話応対とか、しつこいアポイントの対処の仕方とかすんごい参考になるよ、これ。」 晃の言葉に彗さんは首を横に振る。 「ですがお渡ししたそれは、いかに余計な取材を避けつつ、所属アーティストを守るかというマニュアルなので。」 それの何がいけないというのだろうか。意味がわからず彗さんに四人分の視線が集中するが、彗さんは真っ直ぐに美鳥を見つめた。 黒縁眼鏡のレンズの向こうから、普段滅多に目にしない真剣な眼差しが射抜くように美鳥に向けられる。 「ご自分がどれだけ無謀なことをしようとしているか、自覚はおありですね?」 「はい。」 「でしたら、逃げるのではなく美鳥さんは覚悟を決めるべきだと思います。」 いつもの温和な彗さんからは想像できないような低く重い声に、美鳥だけでなく俺までごくりと息を飲んだ。

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