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第32話

「……美鳥さんは、次の大会で選手を引退されるおつもりなんですね?」 残念そうな彗さんの言葉に、美鳥は躊躇うことなく頷く。 「その後はどうされるおつもりですか?」 「……アイスショーのオーディションを受けていこうと思っています。狭き門ですけど。」 自由な表現が出来る場所というのは、フィギュアスケーターには限られてくる。 キーボードやヴァイオリンを持って路上ライブするのとはわけが違う。スケートリンクという限定的な場所で演技をしようと思うなら、オーディションを勝ち抜いてアイスショーに出るしかないというのは以前美鳥に少しだけ聞いたことがある。選手を引退したスケーターのほとんどがプロとしてショーに出る事を希望するとも。 「アイスショーに出るにはそれこそオリンピックや世界選手権で成績を残すような技術と……知名度が必要になりますよね。」 「っ、その通り、です……」 「でしたら、避けるのではなくマスコミは利用しなくては。でなければスケート連盟の後ろ盾もなく、ジュニアでの戦績しかない美鳥さんはオーディションすら受けられないのでは?」 彗さんの言葉に、誰も何も反論できなかった。まるで時が止まったかのように室内が静まり返る。 何で思い至らなかったんだろう。 最後の試合に専念させてやりたくて、何とかしてやりたいと思っていたけど、本当に考えないといけないのはその先だ。 最後の試合を、最後の演技にさせない為に。 誰からともなく互いに視線を巡らせ、俺達は小さく頷いた。 「……とりあえず、取材を受ける場所と時間帯を決めろ。申請しといてやるから。今日一件断ったけど、そこは連絡取り直す。」 「おっけ。きちんとルール決めて全校生徒と教員に周知しなくちゃね。学校のホームページから受付出来るようにしようか。」 「彗さん、マニュアルまとめ直して貰ってもいいか?あと、彗さんが今まで対応した中で信用出来る出版社とそうでないところも教えといてほしい。」 「勿論です。まとめてきますね。」 「あ、あの、そこまで迷惑をかけるわけには!」 思わず立ち上がり静止をかける美鳥に、俺達は顔を見合せ笑うしかない。 「美鳥君、だから今更なんだってば。」 「……でも、できないよ。これ以上皆に迷惑をかけるわけには、」 今にも泣きそうな顔をして首を横に振る美鳥は、本気で一人で何とかしようと考えているのだろう。 自分のやりたい事をやるのに他人を巻き込むなんて出来ない。誰にも迷惑はかけたくない、そんな事をしてもらうわけにはいかない。 美鳥の気持ちは痛いほどよくわかる。 でも同時に、美鳥はわかっていないんだ。 「一人でなんて、できるわけがない。」 「さ、くらい君……」 はっきりとそう告げれば、美鳥は目を見開き口を噤んだ。 「いつだって誰かに支えられてんだよ。手を貸してくれる人達がいなきゃ、氷上に立てるわけがない。お前がやってるのはそういう事だろ。」 ぴくりと美鳥の肩が震える。それは悔しさからなのだろうか。 一人ではどうにも出来ない。そんな事、きっと俺に言われるまでもなくこいつはわかっているはずだから。 誰かの心に響かせたい。そう思った時点で、一人の力で出来る事ではなくなるんだ。 「巻き込みたくないなんて罪悪感が勝るようなら、この先プロとしてやっていけるわけがない。」 ぐ、と美鳥の口が引き結ばれる。 悔しさ、罪悪感、重圧。美鳥の気持ちは痛いほどよくわかる。 けれど俺は、今はこちら側の気持ちもよくわかるから。 「皆、お前を支えたくてやってんだよ。謝罪なんて求めてない、何か返したいって言うなら自分に出来る最高の演技で返せ。」 「櫻井君、」 結局それしか出来ないんだ。 だって皆、その為に力を貸してくれているんだから。 支えてやりたい。その為に出来ることはしてやりたい。美鳥の演技を見てそう思ったんだ。 それはきっと皆も同じ。そしてそれは、きっと俺の周りの人達も。 「……まぁ俺も、最近痛感したばかりだけどな。」 苦笑いを噛み殺しながらチラリと彗さんを見れば、驚きに見開かれた瞳が嬉しそうに細められた。 「そうですよ。支える事は迷惑でも苦痛でもないんです。一緒に夢を追いかけているつもりなんですよ?」 「一緒に……」 美鳥の拳がぎゅっと強く握られる。 それは他人を巻き込む悔しさなのか、自分を貫くと決めた決意の現れなのか。俺にはわからなかったけど、美鳥は自分を見つめる俺達の顔を一人一人確認してからその場で深々と頭を下げた。 「あのっ……どうか、力を貸してください。よろしくお願いしますっ。」 必死なその声に、俺達はまた顔を見合せ笑った。 言われるまでもなく、答えなんて決まっている。 「もー、美鳥君っ!」 「へ、っわ、」 俺たちの前で頭を下げる美鳥に、晃が飛びかかるように抱きついた。 勢い余って後ろに倒れ込みそうになる美鳥の腕を咄嗟に掴んでやれば、そうやって身を乗り出した俺の身体ごと晃はがっしりとホールドしてくる。 三人で共倒れになりそうなところを、なんとか踏みとどまった。 「っぶねぇだろ!」 「いや、だってさぁ。もう抱きしめるしかないじゃん?応援するしかないじゃん?美鳥君の事も、色の事もさ。」 「藍原君…」 ようやく俺達を解放した晃はぱちりと片目を瞬かせながら、す、と拳を突き出してくる。 「やりたいようにやればいいよ。サポートは任せなさい!」 美鳥だけではなく俺にも視線を巡らせて、晃は白い歯を覗かせて笑った。 その視線をまともに受けるのは妙にに気恥ずかしくて、返事の代わりに俺も拳を軽く突き出す。 「……俺も、晃ほどじゃないにしても手伝うつもりだからな。その、どっちの事も。」 俺と晃の視線を受けて、美鳥は弾かれたように瞳を瞬かせた。 「あ、あの、ありがとう。僕も、二人の為に出来ることはさせてください!」 よろしくお願いしますと頭を下げながらおずおずと拳が差し出される。 俺達は三人で顔を見合せて照れ笑いしながら、こつんと互いのそれを合わせた。

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