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第33話

月に一度、午前中だけ授業などというなんとも気だるい土曜日の午後。 まだ話があるからと数学準備室に彗さんと木崎を残して、俺達三人は美鳥の着替えに学習棟のロッカーに立ち寄ってから校門前のバス停目指してぞろぞろと歩いていた。 本来なら放課後や休日は基本バラバラに過ごしているが、体制が整うまで美鳥はなるべく一人で行動しない方がいいという晃の提案の元、さっそく畔倉アイスアリーナまでの送り迎えを当の晃が買ってでたのだ。源さんとも今後の対応について話しをしておきたいと言われれば、美鳥も大人しく晃と共にバスで向かう事に了承した。 俺はといえば、そんな二人を寮に戻るついでにバス停くらいまではと見送りの為に付き添っている。 「悪いな、俺も行くべきなんだろうけど。」 「とんでもない。ご実家でゆっくりしてきてね。」 今日は前々から実家に帰るつもりで外泊届けも提出していた日だった。 親父が海外公演から戻るこのタイミングで一度帰ると実家にも既に連絡していたし、それを聞いた彗さんが送ってくれる事になって後から落ち合う約束もしたし、こればかりはどうしようもない。 「でも珍しいよね。おばさんはともかく、おじさんとはなんか微妙な感じじゃん?顔見に帰るなんてどういう心境の変化?」 晃の言葉に、思わずため息が漏れる。 そりゃぁ俺だってこんな時に無理して帰りたくない。 音楽をやる上で必ず前に立ちはだかる存在は、物心ついた時から尊敬しつつも驚異であり、煩わしくもあり…… 普段公演で各地を飛び回っているためほとんど顔を合わせることがない事もまた、親子にしては微妙に開いた距離感の一因になっている気がする。 俺にとって父親、櫻井誠一(さくらいせいいち)はそういう人間だ。 「今度の仕事の関係でどうしてもな。……オーケストラを使いたくて、まぁツテを頼ろうかと。」 『オーケストラ!?』 さらりと漏らした俺のボヤキに、二人はその場に立ちどまり全力で反応した。 揃って食い気味に詰め寄られ、思わず手で制する。 「え、ちょっと待って。初めてじゃない?うっそ、遂に世に顔出しちゃう感じ?」 「し、sikiの曲が、お、オーケストラで聴けるの!?い、いいいいつ!?」 あー、すげぇ既視感。 確かにオーケストラなんて初めての試みだけど、なんでこう俺よりも周りのテンションが高いんだろうか。そこまで大それた事を言っているつもりはないというのに。 「落ち着け。今回は音の響きを考えてその方がいいと思っただけで顔出すつもりは無いし、公開はまだだいぶ先の話だ。」 俺の言葉を聞いているのかいないのか、晃は目の前でスマホを取り出すと俺の言葉に適当に相槌を打ちつつ、なにやら検索をかけ始めた。美鳥も気になるのかじ、と背後から晃のスマホを覗き込んでいる。 「今の話から察するに……あった。多分これだよ。」 「あ、これって!」 美鳥と二人でスマホの画面を食い入るように見つめ、その視線が俺へと向けられる。 ずいっ、と差し出されたスマホには見覚えのあるイラストとニュース記事が表示されていた。 『五年の時を経て遂に続編公開決定!』 そう見出しがつけられたニュース記事は来年の夏に公開が決まったアニメ映画についての詳細が記されていた。 「これってsikiが全曲作曲してるあの、」 「そうだよ。sikiの初仕事にして、制作スタジオもsikiもその名を一躍有名にしちゃった伝説のアニメ映画。続編が決まったってニュースで見て気にはなってたけど……」 じ、と向けられる二人分の視線に耐えきれず、俺は視線を泳がせる。 「まぁ、否定はしない。」 これが現状俺が言うことが出来る精一杯の肯定だ。いや、本当ならこれもアウトな気がするが、ある程度情報が解禁されている以上どの道二人に知られてしまうのは時間の問題だろう。 「そんなわけで仕事の話と、ヴァイオリン取りに仕方なく、な。」 「っ、ヴァイオリン!」 突如として美鳥の瞳が輝きを増し、ずいっ、と更に距離を詰めてきた。 思わず半歩下がったが、美鳥は何か言いたげに大きく見開いた亜麻色をキラキラと輝かせ、無言の圧を送り続ける。 「あー、帰ったらな。弾く、ちゃんと弾くから。」 純粋な瞳の圧を手で制しながら俺は逃げるように二人に背を向けた。 腕の時計を見る限り時間にはまだ余裕がありそうだが、そこは田舎のバス。予定時刻よりズレることはもはや当たり前の状態だ。一本逃せば次は二時間後などという状況で、のんびり立ち話をしている余裕なんてない。 早く行かないと知らないぞと歩みを再開すれば、二人ともちょっと不満げな顔をしつつも隣りに追いついてきた。 彩華の人間以外利用者のほぼ居ないバス停は、門柱のすぐ側に設置されている。学習棟から昇降口前の広場を抜け、すっかり緑を濃くした桜並木を抜ければ校門はすぐそこだ。 「それじゃ、気をつけてな。何かあったら連絡しろよ。」 「おっけ。あとはまっかせなさーい。」 二人より半歩先を進む俺は校門前で片手を上げる。さてとどこまで荷物をまとめるべきかとぼんやり考えつつひらひらと手を振りながら後ろを振り返れば、そこには同じく小さく手を振る晃と、 「……美鳥?」 何故かその場に立ち尽くし、顔を強ばらせた美鳥の姿があった。

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