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第37話 最高の演技

翌朝、目覚まし時計とスマホを駆使してなんとか早朝に目を覚ました俺は畔倉アイスアリーナへと向かっていた。……(すい)さんの運転する車に乗って。 彗さんの私服を見るのは実は初めてかもしれない。今回は仕事ではないので、いつものスーツではなくスキニーパンツにカジュアルなジャケットを羽織っていてちょっと新鮮な感じだ。 「仕事でもないのに朝早くからごめん。」 「とんでもない、その状態でバスや電車は極力避けたいですもんね。これも仕事の内ですからお気になさらず。」 彗さんの視線が、チラリと俺の抱えるヴァイオリンケースに向けられる。 今回の帰省の目的の一つがこのヴァイオリンの回収だった。オーケストラの曲を作るにあたってどうしてもピアノだけでは曲の感覚が掴みにくい。自らの作った曲の全体のイメージを把握するためにもこいつが必要だった。 本当なら転校時に持っていきたかったのだけど、親父から譲り受けたこいつは、まぁ他のヴァイオリンに漏れず高額なもので、人混み、ましてや教室になど持って行ける代物じゃなく、あの時は諦めるしかなかった。 今回もどうやって持ち帰ろうかと思案していたところに察した彗さんから車が必要なら出すと連絡がきたのが昨日の夜の話だ。早朝に申し訳ないが渡りに船、即頼みたいと返信した。 「ですが、その、わ、私もお邪魔してしまっていいのでしょうか?」 「確認したけど、是非にってさ。」 大したものは見せられないと思うけど、それでもいいなら。 昨日美鳥にメッセージアプリで連絡をとれば、すぐさまそう返事がきた。成り行きで彗さんを巻き込んでしまった事を美鳥なりに気にかけていたようで、こんなことで喜んでもらえるなら逆に是非とも来てほしいとご丁寧な文面が送られてきていた。 「げ、現役選手の練習風景を間近で観られるなんて、一生にあるかないかの貴重な経験ですよ!」 「あー、うん。」 まだ目が覚めきらない俺とは対称的に、彗さんは早朝からこのテンションだ。車内では終始フィギュアスケートの話で盛り上が……まぁ、彗さんのほぼ一方的な話に相槌をうちながら、早朝の為空いてる道をひた走り予定より早く畔倉(あぜくら)アイスアリーナに到着した。 オープン前の自動ドアを手動で開け、清掃中だったスタッフさんと源さんに声をかけてから、きっちり二人分の入場料を払って中に入る。手荷物はロッカーに押し込んだが、ヴァイオリンは悩んだ末そのまま持って入ることにした。 ロッカールームを抜けリンクへ続く重い扉を開けば、入り込んできた冷気がぞわりと身を包む。 「お、しぃーきー!彗さーん!おっはよー!」 リンクに入った瞬間俺達を目ざとく見つけた晃がリンクを挟んだ向かいからぶんぶんと手を振ってきた。 あいつも朝からテンションが高いことで。 ざっと見渡す限り美鳥の姿が見当たらない。俺は適当に手を振り返しながら、興奮気味に周りをキョロキョロと見回す彗さんと共にリンク周りを半周して晃達に合流する。とりあえずはしゃぐ晃は無視して、俺は隣にいた三笠(みかさ)先輩に軽く頭を下げた。 「おはようございます。」 「うん、おはよう。美鳥君なら今着替えてもらってるところだよ。まずはショートプログラムの衣装からだね。」 もしかしたら手製だろうか。アシンメトリーなデザインのシャツに、脇に大きくプリーツの入った黒のスカート。その下にはハーフパンツを身にまとった三笠先輩の手首にはその場で衣装の手直しをできるようにと針山がつけられていた。 先輩はチラリと俺の手にしているヴァイオリンケースに視線を落とした後、背後にいた彗さんにもおはようございますと頭を下げる。 色々と疑問はあるだろうに、あえて聞かないでいてくれるのはありがたい。 彗さんと三笠先輩が頭を下げ合うのを見ながら、俺は奥のベンチへ視線を移す。 晃と三笠先輩が来るという話は聞いていたが、リンクに入ってきた時から視界の隅にもう一人ピクリともせずに、そこに佇む存在があった。あそこで死んだような目をして項垂れているのはもしかしなくても。 晃に視線を移せば、にんまりと人の悪い笑みが返ってくる。 「ほら、スケート部の活動の一環だから。顧問に引率してもらっちゃった。」 バスの始発も出ていない時間にどうやって集まるつもりなのかとは思っていたが……そろそろ本気で木崎に同情してきた。とりあえず、今はそっとしておいてやろう。 生きた死人は見なかった振りをして、俺は晃達と談笑しながら時間を潰すことにした。 「あの、お待たせしました。」 程なくして俺達が入ってきた出入口とは真逆の扉が開き、おずおずと隙間から美鳥が顔をのぞかせる。 俺達全員が揃っているのを確認して、少し恥ずかしそうにゆっくりと扉の向こうから姿を現した。 白を基調としたしたモノトーンな衣装。透け感のある柔らかい生地には銀糸で刺繍が施されているようだった。ふわりとなびく裾や袖はドレスシャツというより、デザイン的には女子の衣装に近いのかもしれない。それが美鳥の中性的な印象をより引き立たせている。 美鳥はスケート靴を履いた状態で器用にこちらに小走りでやってくると、三笠先輩の前でどうでしょう?とふわりと回って見せた。いつものように普段より高い位置で纏められた亜麻色の髪がサラリと揺れる。 「サイズはピッタリみたいだね。動きやすさはどう?なるべく軽く作ったつもりだけど。」 「とっても軽いです!専門のお店で作ってもらったものと遜色ないですよ。」 「それはよかった。ショートプログラムは一昨年と変わらない曲でやるつもりだって聞いてたから……亜麻色の髪の乙女だっけ、女性的なシルエットを感じられるように作ってる。君の髪色が映えるように衣装はシンプルに白でまとめて、飾りは落としたら減点らしいから極力使わず、その分刺繍で華やかさは出したつもり。」 どうかな?と先輩が突然こちらを振り返り話を振ってきたので、俺は一瞬言葉に詰まった。 改めて美鳥を見れば、その、なんだ。センスなどというものは持ち合わせていないので、気の利いた感想は言えないが、これは、 「とても綺麗です!」 「うんうん、美鳥君に似合ってるよ。」 彗さんと晃に言葉を取られ、俺はただ二人の感想に同意するだけに留まった。 興奮気味なその言葉に美鳥は恥ずかしそうに微笑む。 「曲と衣装に負けない最高の演技をしなきゃだね。」 三笠先輩の手前、美鳥は具体的には口にせずチラリと俺に視線を合わせた。 何返したいなら最高の演技で返せ。昨日の俺の言葉を美鳥は覚えているんだろう。 「その、あれだ。曲が一緒ってことは、演技も一昨年のままでいくのか?」 その視線を真正面から受けるのは妙に照れくさくて、俺は話も視線も逸らして誤魔化した。隣で何かを察したらしい晃がニヤリと口元を歪めるが、そこは見なかったふりをする。 「それは……正直悩んでるんだ。コーチが振りつけてくれた思い入れのある演技ではあるんだけど、僕なりにやってみたいって思う表現もあって。」 美鳥は自らが纏っている衣装を改めて見回し、ふわりと裾をなびかせる。 「でもこの衣装なら、それが出来るかもしれない。」 嬉しそうに声を弾ませる美鳥はまるで小さな子供みたいだ。こちらまで毒気を抜かれてついつい口角が上がってしまう。 けれど、そんな和やかな空気は長くは続かなかった。 「ねぇ美鳥君、それってどんな…」 晃の言葉は最後まで紡げなかった。 バンッ 突然扉の開く大きな音に俺達は反射的に視線を移す。 「美鳥君!」 扉を突き破らんばかりに乱雑に開いたのは、オーナーである(げん)さんだった。 「あ、取り込み中すまねぇ。その、」 ここまで走ってきたのか、少し息を乱した源さんは俺達の顔を見るなり言いよどみ、声のトーンを落とす。 何やら背後を気にしているようだった。 「こんな時になんなんだが、その、美鳥君に会いたいって人が来ててだな。」 「僕に、ですか?」 源さんが振り返り背後に視線を移せば、扉の向こうから長身の男が姿を表した。 「あいつ……」 咄嗟に俺と晃は美鳥を隠すように身構える。 立華圭介(たちばなけいすけ)。美鳥の元コーチで……俺にとっては敵だ。 まさか、昨日の今日でまた来るとは。俺と晃の敵意丸出しの視線に、立華は苦笑いを浮かべつつ一応頭を下げてから俺たちの元に歩み寄ってきた。

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