立華はただじ、と美鳥を見つめ言葉を探しているようだった。 美鳥の表現を意味がないとあいつは言った。実際に目にした今も本気でそう思っているのだろうか。 「……めちゃくちゃだ。」 やがてポツリと漏らされたのは否定とも肯定ともとれない言葉だった。 「レイバックからのビールマン、女子でもあそこまで綺麗に回れる選手は少ないのに、あれでは回転数不足だ。四回転ループを跳べる君が三回転アクセル止まり、その上規定に違反して三度も飛んだ。さらには一度でいいはずのステップを何度入れた？」 「コーチ？」 ぎゅっと拳を握りしめ、声は次第に震えていって。そこにある感情が掴めず、美鳥は不安そうな顔で首を傾げる。 「得点にならない演技ばかり。……でも、それら全ては曲を魅せるために計算されたものだ。いかにして曲を引き立てるか、それだけを考えて作られた構成だ。」 ああ、そうか。 震える声のその内にある感情がなんなのか、俺にはわかった。 「……こんな演技を見せられて、どうしろって言うんだ。俺に、君の未来を潰せっていうのか！」 立華はわざと目を背けていたのか。 一度目にしてしまえば、キッパリと否定できなくなるとわかっていたから。 この演技が評価されない。 だからこそ俺達はそれでも滑ろうとする美鳥を支えてやりたいと思い、立華は評価される演技をするべきだと言い。 どちらもただ悔しいと、美鳥飛鳥(みどりあすか)はもっと評価されるべきだと。根底に抱えるものは同じなんだ。 「素晴らしい演技なんだ！多くの人の目にとまるべきなんだ！でもその為には選手で居続けなきゃ駄目なんだよ！それなのに……こんな、こんな演技…」 立華圭介(たちばなけいすけ)は指導者(コーチ)なんだ。指導者として美鳥の未来を案じ、指導者として美鳥を導いていかなければならない。 「…………素晴らしかったと、言うわけにはいかないんだよ。」 ふつふつと腹の底から湧き上がっていたものは、いつの間にか消えていた。 やり方は気に入らない。けど、立華の想いはわかってしまったから。 ぎゅっと拳を握りしめて俯き、唇を噛んで必死に吐露しそうになるのを耐えている立華圭介個人としての言葉は、俺達の何ら変わらないんだと。 俺にだって伝わったんだ。それはきっと美鳥にも。 ゆっくりと立華の前に進み出た美鳥は深々と頭を下げた。 「コーチ、ありがとうございます。……ごめんなさい。本当にごめんなさい。」 震える声で、それでもはっきりと謝罪の言葉を口にした美鳥は、後ろを振り返り俺達の一人一人の顔を見回した。 「……誰にも理解されないと思ってました。でも、みんな、僕を助けてくれて……背中を押してくれて…」 美鳥の視線がぶつかる。 俺はただ黙って頷いた。 ゆっくりでいい、ちゃんと伝わってるから、頑張れ。そんな思いを込めて。 美鳥は泣きそうになりながら、それでも立華に向き直り必死に言葉を紡ぐ。 「馬鹿な事をしていると自分でも思います。でも、僕は自分の表現を貫いていきたいんです。……それを、支えてくれる人達のためにも。」 「……美鳥君。」 「僕は、この人達に今の僕に出来る最高の演技を返していきたいんです。」 ごめんなさいと美鳥がもう一度深々と頭を下げれば、立華の口から長い長い溜め息が漏れた。 「ああ、くそっ」 声をあげ、髪をくしゃくしゃに掻き乱したその顔は、どこか吹っ切れたような清々しさすら感じられる。 立華は少しだけ身をかがめ、じ、と美鳥を覗き込んだ。 「……エッジの使い方がまだまだなってない。」 「……へ？」 「もっとバックワードで勢いをつけられればスピンは回転不足にならずにすんだ。あいかわらずアクセル前の踏み込みも甘いし、ブラケットは重心の移動が遅れて一瞬ブレただろう？」 「こー…ち？」 いきなりのダメ出しに美鳥はきょとんと首を傾げる。 「改善すべき点はまだまだある。僕に言わせれば最高の演技にはまだまだ程遠いよ。」 「え、あの…」 「……それでも、もうコーチはいらないって言うのかな？」 優しく微笑んだ立華に、亜麻色の瞳が大きく見開かれた。 「だって、そんな、この先僕の指導をしたってコーチには…」 「選手を辞めるという以上確かにコーチとして君を指導することは出来ない。……でも、元教え子の様子を見に来る権利くらいあるだろう？」 切れ長の瞳を細めてそう言われれば、美鳥は驚きのあまりはくはくと口を動かすばかりで言葉にならないようだった。 あー、結局立華も俺達と同じって事か。 俺は隣にいた晃と顔を見合せ、仕方ないなと肩を竦めた。 「スケート部、正式名称『スケートを滑る美鳥飛鳥を支える部』は校内外、いつでも部員募集中でーす。」 「へ？藍原君、」 「じゃあ、俺も参加ということで。」 「え、こ、コーチ！」 展開についていけず思いっきり取り乱す美鳥に、俺達は誰からともなく顔を見合せ笑った。 「おう、じゃあ俺も参加だな。」 「私も入部届書かなきゃかな？」 「わ、私も是非！」 冗談とも本気ともつかない皆の言葉に、美鳥は言葉を失いただただ目を丸くする。 源さんがリンクを貸してくれて、三笠先輩が衣装を提供してくれて。彗さんは熱狂的にサポートしてくれるし、部長の晃にこき使われながら、なんだかんだで顧問として木崎も立ち回ってくれて。俺だって微力だけど力になりたいと思ってる。 いつの間にか、美鳥の周りにはこれだけの人間が集まってたんだな。 俺も美鳥に関わる大勢の中の一人なんだ。 不意にそう自覚したら、何故だか胸の奥がざわついてほんの少し息苦しさを感じた。 「美鳥君、俺の事まだコーチって呼んでくれる？」 「っ、もちろんです！」 皆に囲まれ、亜麻色の瞳を涙で滲ませながら美鳥は立華とハグをする。 誰もが笑みを浮かべているその中で、俺はそれをどこか遠くの事のように感じていた。