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第42話
そろそろ日付が変わろうという真夜中。仮眠をとっていた俺は念の為仕掛けていたスマホのアラームが発動する前に目を覚まし、表示されていた時間を確認して機能をオフにした。
ベッドの上に身を起こして軽く伸びをする。深い眠りにつかないよう寝巻きではなく私服を着た上であえて部屋の電気は付けっぱなしにしていたので、意識は直ぐに覚醒した。
ベッドの上に置いていた五線譜のメモ帳とペンをズボンのポケットに入れてベッドを抜け出す。
スマホのライト機能を付けてから部屋の電気を消し、そっと音を立てないようにドアノブに手をかけた。
美鳥はさすがにもう眠っているはずだ。それでも細心の注意を払って足音を立てないようスニーカーを履き、ゆっくりと玄関を開ける。なんとか上手く部屋を脱出し、俺はほっと息を吐いた。
最近は美鳥に合わせて早朝に作業する事が多かったけど、どうしてもこればかりは夜でなければ駄目だ。
月明かりがわずかに差し込む薄暗い廊下を、俺はスマホの小さな光を頼りに屋上へと向かう。エレベーターは消灯と同時に使用できなくなっているので、六階建ての寮の屋上まで自力で上らないといけない。
日頃の運動不足が祟り思うように動かない脚を何とか引きずり、最上段まで登りきった俺は屋上へと続く扉に手をかける。防災上鍵はかけていないと話に聞いていた通り、鉄製の重い扉はギィっと小さな音を立てあっさりと開いた。
ふわりと夜風が頬を撫ぜる。
季節はもう夏だというのに夜はまだ少し肌寒い。上着を取りに戻るかと一瞬だけ考えたが、ここに来るまでの長い長い道のりを思い出し、暖はすっぱり諦めた。
べつに強制じゃないんだし、少しだけ眺めて何も収穫がなさそうならすぐに帰るかと、俺は屋上のフェンスに足を向けたのだけど、
「だ、駄目っ!」
突然背後から叫び声が聞こえたかと思えば、ドンッと背後からの激しいタックル。
「っ、な!?」
手にしていたスマホが手を離れ遠くへ転がったがそれどころじゃない。俺は倒れそうになる身体を何とか手すりに掴まって支え、反射的に背後を振り返った。
「美鳥!?」
「っ、駄目!絶対駄目だよ!」
ぎゅっと俺の腰にしがみついた美鳥は、いやいやと首を横に振り嫌だ駄目だと叫び声を上げる。
「ちょ、お前何やって…」
離せと頭を押してもビクともしない。
俺の腰にぎゅっとしがみついたまま縋るように見上げてきたその顔には涙が滲んでいた。
「死んじゃ駄目だよ!そんなの、絶対、絶対駄目だよ!」
ついにはぼろぼろと瞳からこぼれ落ち、それでも必死に泣き叫ぶ美鳥に俺の身体も思考もフリーズする。
「………………は?」
「…………え?」
時が止まったかのように、俺達は顔を見合せ現状が理解出来ずにしばらく固まっていた。
「っ、あっはははは、んじゃ何か、お前、俺が自殺するかもって後つけて…っ、ははははっ!」
「ううっ、お恥ずかしい……」
ここまで腹抱えて笑ったのは何時ぶりだろう。
さっきから両手で顔を押えて俯いているし暗いから確認はできないが、きっと美鳥の顔は羞恥で真っ赤になっているに違いない。でも俺はどうしても笑いがおさまらず、申し訳ないが本人を目の前にひたすらに笑い倒した。
「だ、だって、最近の櫻井君どこか元気がなさそうだったから、」
「っ、くく、わるい、……いや、でも…くくっ、」
「うううっ、恥ずかしいっ、」
ついにはその場にしゃがみこんでしまった美鳥に、俺は何とか笑いを押し殺してその頭を撫ぜてやった。
美鳥は本気で心配してくれていたんだ。俺のたてたわずかな物音に気づいてパジャマのまま髪を振り乱し、靴の踵を履き潰すなんて普段は絶対しない事までして、大急ぎで後を追って来てくれたんだから、その気持ち自体は笑うべきじゃないんだろう。
「悪かったって。心配、してくれたんだよな?」
いまだ痙攣する横隔膜を何とか息を吐いて落ち着けてから、俺はしゃがみこむ美鳥の目の前に手を差し出す。そろりと触れてきた手を掴み、軽く引いてやれば美鳥は恥ずかしそうにしながらもその場に立ち上がる。
「こんな事ならちゃんと伝えとけばよかったな。」
「あの、飛び降りるつもりじゃなかったなら、櫻井君はどうしてここに?」
首を傾げる美鳥に、俺は小さく笑って人差し指をぴ、と立てた。
「これ。」
真上を示した指先に導かれゆっくりと見上げた亜麻色の瞳は、すぐに大きく見開かれる。
「うわ……」
感嘆の声につられて俺も真上を見上げれば、俺達の頭上には溢れんばかりに煌めく星空が広がっていた。
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