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第47話
結論から言えば……まぁ、見事に避けられた。
朝はどこにいたのか始業ギリギリに登校してきて、昼休みは気がつけばどこかに姿を消していて。とにかく今日一日美鳥は声をかける隙すらあたえてくれなかった。
それどころか、その視界に俺が入るや否や全力で逸らされ、逃げられる。
そうして放課後は藍原 君と取材の練習をするからとあっという間に晃の部屋へと逃げ込まれ、結局消灯時間を過ぎた今も戻ってくることはなかった。
ちょうど今日は木崎が見回りの当番の日だったようで、朝の言葉通り美鳥は晃の部屋に泊まるらしい。
伝言係として晃にこき使われた木崎から、何やらかしたんだと冷ややかな視線と共にその旨を伝えられた時は、正直少しだけほっとした。
話をしなければと思いはするものの、何を話せばいいのかいまだ答えは出ていなかったから。
しん、と静まり返った部屋で自分一人しかいないというのに気まずさを感じて、俺はデスクに置いていたパソコンを立ち上げた。とにかく何かして気を紛らわせようと、送られてきていたメールを開く。
ご回答の上今週中に返信ください。タイトルにご丁寧にそう書かれた彗 さんからのメールには、雑誌社からの取材の質問内容といくつかの資料が添付されていた。
二日前にメールを貰った時には流し読みしかしていなかったそれに、今度はしっかりと目を通していく。
ちなみに、直接会って取材したいという向こうからの話は彗さんが既に断ってくれているらしい。
世間に顔を出すことはしたくない。俺が今の会社に所属するにあたって出した条件を彗さんはきっちり守ってくれている。顔出しが必要な仕事はそもそも俺に届く前に彗さんが止めてくれているようだし、取材に関しても俺の曲作りの妨げになると判断した場合には断ったり、時には俺に許可をとった上で彗さんが代わりに回答してくれることもある。
でも、今回は出版社からのメールを彗さんはそのまま転送してきた。「私が答えてはいけない気がしまして。」そう電話口で笑っていた二日前のことを思い出す。意味がわからずメールを開き、フィギュアスケートと音楽についてと題されたあまりにもタイムリーすぎる質問内容を目にして俺も笑ってしまった。
参考にどうぞと添付されていたデータには、俺がCDを出した年から今までに俺の曲を使用した選手の名前と大会名が記載されていた。おそらく彗さんが独自でまとめてくれたのだろう。
興味がなかったから知らなかったが、国内だけでなく海外の選手の名前もそこにはあった。
選手に曲を使われることについてどう思うかと質問にあったが、純粋にありがたいと思う。自分の表現が、少なくともその選手には届いたという事だろうから。俺の曲を自身の表現の為に使ってくれるというのは、作った側からしてみれば嬉しい事だ。
そんなリストを上から下まで確認して、思わず口角が上がってしまった。
ずらりと並ぶリストのほとんどが同じ名前で埋め尽くされている。
今回の二曲以外にもあいつはこれだけ俺の曲を選んでくれていたのか。
リストに並ぶ美鳥飛鳥 の文字に、むず痒い気持ちになる。
「神様、ねぇ。」
神様みたいな人だとあいつに言われた。
美鳥飛鳥にとってsikiは雲の上の存在なのかもしれない。sikiの曲はあいつの心の深いところで響いているんだろう。
だからこそ、あいつは昨日俺に応えた。普通なら到底受け入れられないだろうことを、震えながら、大丈夫だと笑みすらうかべて。
わかっていて、俺はそのsikiへの好意につけ込んだ。
画面に表示された問いに、キーボードを叩いて回答していく。
――もし、選手に直接会うことがあれば、何を伝えたいですか?
そんな事決まってる。
ごめんと、酷いことをしたと謝りたい。
その上で、もしもあいつがそれを許してくれるなら……
隣にいたい。
sikiとして、あいつの演技に見合う音を。
櫻井色 として、誰よりも近くに。
他の誰でもない、そこに立つのは俺でありたいと思う。
「……馬鹿だな、俺。」
胸を渦巻く醜い感情は、なんてことは無い、ただの嫉妬じゃないか。
あいつを傍で支える事が出来る立華や晃に。そして何よりsikiに。
つまり答えは、そういう事か。
最後の一文を綴って見返した後、俺は文章をメールで送り返した。
頭の中はぐちゃぐちゃで、まだまとまってはいないけど。それでも何となく答えは出た気がする。
今日はもうピアノを弾く気にもなれないし、寝てしまおう。思いっきり避けられている中でどうやってあいつを捕まえて話をするか、全てはまた明日考えればいい。
とりあえず今何時だろうかと確認のためにデスクの脇に置いていたスマホに手を伸ばしたのだけれど、画面を開いて時刻を確認するより早く、手にしたそれは俺の手の中で振動し、着信を知らせた。
そこに表示された彗さんの文字に、俺は通話のアイコンをタップする。
「もしもし、」
『夜分遅く申し訳ありません。たまたまパソコンを開いていたらメールがきたもので。』
電話の向こうからカチカチとマウスをクリックする音が聞こえる。
まだ深夜と呼べる時間には程遠いものの、それでもそろそろ人々は就寝する時間帯だ。もしかしなくともこの時間まで仕事をしていたんだろうか。
「締め切りまで余裕あるだろうから、俺の回答の確認はいつでもいいから。」
『いえ、メールを拝見しましたが、質問の回答はともかく、曲を一曲差し替えたいというお話の方が気になりまして。動くなら早い方がいいかと。』
「あー、そうか。ごめん、また迷惑かけます。」
回答を返信するついでに曲の差し替えを打診したいという旨をメールに書いていたのだが、確かにこちらは急いだ方がいい話ではある。
「明日、明後日には書き上げる。」
『わかりました。いつでも動けるように質問の回答も今日中に目を通して送っておきますね。』
俺みたいなガキ相手に毎回文句一つ言わず対応してくれる彗さんには、上がらないどころか頭の下がる思いだ。
ありがとうと伝えれば、いつものようにマネージャーとして当然ですと返された。
『……伝わるといいですね。曲もですけど、この言葉も。』
電話口で聞こえた優しい声に、俺は言葉につまる。
「えっと、」
『あ、すみません。もう既に回答を確認させていただいてまして。……素敵だなぁって。』
「ぅ、」
一瞬にして体温が上がったのがわかった。
それが誰に向けて書かれたものなのか。まぁ、わかる……よな。
電話越しとはいえ俺の前で読まれるのはちょっと勘弁して欲しい。
『私が先に読んでしまうのが申し訳ないです。』
トドメにそんな事まで言われてしまえば、恥ずかしさからスマホを手にしたまま俺はデスクに突っ伏した。今絶対耳まで赤い。
そんな様子がまるで見えているかのように彗さんはくすくすと笑った。
『お元気そうでよかったです。……今回の事は本当に残念でしたから、落ち込んでいらっしゃるのではと心配していたんですが。』
「…………え?」
意味不明な言葉に、俺は気がつけば顔を上げていた。
「残念って、何の話?」
『え?……あ、』
電話の向こうで彗さんが固まったのがわかった。
『も、しかして……まだ、ご存知ないんですか?』
そう聞かれても思い当たる事がない。
彗さんの反応から察するに、絶対に大事な話なのに。
嫌な予感に思わず息を飲んだ。
「何の話?」
『っ、今すぐ、今すぐ御実家に電話されてください!』
「へ?」
『も、もも申し訳ありません、失言でした!私が話していい事ではないんですっ。す、直ぐに御実家に連絡して確認されてください!』
軽くパニックに陥っているらしい彗さんにはこれ以上何を聞いても答えは返ってきそうになかった。
とにかくわかったからと、謝罪を繰り返す彗さんをなだめてから通話を切る。
一体何があったっていうんだ?
ただ事ではなかった彗さんの様子に一瞬だけ躊躇したが、このまま無かったことにはできない。
俺は小さく息を吐いてから、言われた通り実家へと電話を繋いだ。
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